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橘靖竜
第214話 教室の記憶
【異世界・転移した学園/校舎棟・朝】
校舎の廊下が、何度も揺れていた。
壁が消えるわけではない。
床が割れるわけでもない。
だが、右にあるはずの階段が、一瞬だけ左に見える。
窓の外に校庭があるはずなのに、体育館の壁が見える。
二年一組の教室の扉が、三年二組の札を付けて現れる。
場所が、間違った名前で呼ばれかけていた。
香川先生は、廊下の中央で声を張った。
「ここは、校舎二階の廊下です!」
「右側に二年一組!」
「左奥に階段!」
「突き当たりに教材室!」
生徒たちも必死に続く。
「二年一組は、校舎二階です!」
「窓から校庭が見えます!」
「黒板の上に時計があります!」
一人の男子生徒が、震えながら言った。
「掃除用具入れ、後ろにあります!」
「扉が、いつも閉まりにくいです!」
その瞬間、歪んでいた教室の札が、少しだけ戻った。
王都術師が床の光を見て叫ぶ。
「今の記憶で、線が戻りました!」
香川先生は生徒を見る。
「続けてください!」
「小さなことでいい!」
「そこが本当に教室だったと分かることを言って!」
女子生徒が、涙を拭きながら言う。
「窓側の一番後ろの席に、机の傷があります!」
「誰かが昔、星の形を彫ったやつ!」
別の生徒が続く。
「黒板消しクリーナー、すぐ詰まります!」
「冬は窓側が寒いです!」
「廊下の掲示板に、文化祭の写真が貼ってありました!」
声が増える。
そのたび、校舎の輪郭が戻っていく。
ただの建物ではない。
机の傷。
寒い窓側。
詰まりやすい黒板消しクリーナー。
そんな小さな記憶が、校舎を現実へ繋ぎ直していた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
リオは校舎側の線を支えていた。
副鍵の光は弱い。
けれど、切れてはいない。
ノノの声が入る。
『校舎側、安定上昇!』
『教室の記憶、効いてる!』
『でも、下層ノイズは残ってる!』
ハレルは主鍵を支えたまま、校庭の端にいる獣影を睨んだ。
獣影は、まだ完全な形になっていない。
だが、その足が地面に触れるたび、別の場所が揺れる。
校庭を踏めば、体育館。
爪を立てれば、校舎。
影が息を吐けば、現実側の外周。
壊れる場所が読めない。
サキはスマホを握りしめていた。
画面の中で、reの光点が強く揺れている。
今までは、サキのそばでゆらゆら揺れるだけだった。
けれど、今は少し違う。
光が、小さく震えながら、画面の端へ寄ろうとしている。
サキは目を凝らした。
「……動いてる?」
ハレルが振り向く。
「reが?」
「うん。まだ少しだけだけど」
ノノの声がすぐに反応する。
『サキ、画面見せて!』
『こっちにも微弱変化出てる!』
サキはスマホを高く持つ。
画面の黒い地図の上で、reはサキの現在位置からわずかにずれた。
ほんの数ミリ。
でも、確かに動いた。
その先に、細い白い線がある。
ノノが息を呑む。
『そこ、校庭じゃない』
『体育館でもない』
『三点同期の線の……下』
『下層ノイズが刺さってる場所だ』
サキは画面を見つめた。
「じゃあ、reが教えてくれてるの?」
誰も答えられなかった。
reは言葉を発しない。
ただ、揺れている。
けれど、サキにはその光が、何かを示そうとしているように見えた。
アデルが外周から言う。
「断定はするな」
「だが、見えたものは使う」
ハレルは頷いた。
「ノノ、そこを押さえればいいのか?」
『たぶん』
『でも、攻撃する場所じゃない』
『名前で押さえる場所』
『そこが何と何を間違えているかを見つける必要がある』
セラの声が入る。
『reが示しているのは、ずれの穴です』
『穴を塞ぐには、正しい名前を重ねてください』
サキはスマホを胸に抱いた。
「正しい名前……」
その時、獣影が低く唸った。
地面を爪でかく。
ドンッ!
今度は、体育館でも校舎でもなかった。
現実側の外周が揺れた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/南西外周・朝】
南西外周の光具が、一斉に揺れた。
班長の片桐が、足元の光具を押さえながら叫ぶ。
「位置確認!」
隊員たちが続く。
「片桐、南西外周、外周線維持!」
「村井、南西外周、光具担当!」
「大谷、南西外周、布紐維持!」
その声に、揺れが少し戻る。
だが、指揮所の画面では警告が出ていた。
佐伯の声が無線に入る。
『南西外周、下層ノイズ上昇!』
『校庭からの衝撃が、そちらに流れています!』
片桐が歯を食いしばる。
「校庭から?」
『はい!』
『でも、現実側では南西に出ています!』
『場所の参照先をずらされています!』
片桐は足元を見る。
旧学園跡地。
南西外周。
自分たちはここにいる。
そのはずなのに、頭の奥で別の場所の景色が混ざる。
校庭。
体育館。
石造建物の通路。
「ふざけるな……」
片桐は声を張った。
「ここは旧学園跡地、南西外周!」
「校庭じゃない!」
「体育館でもない!」
「石造建物でもない!」
「俺たちは、南西外周を支えている!」
部下たちも続く。
光具の揺れが、ぎりぎりで収まる。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造建物・内部】
木崎たちは、まだ出口へ向かっていた。
日下部は封印容器を抱えて走る。
相馬は先頭で通路を確認しながら進み、
相馬班の隊員たちは、成人遺体二体のカプセルを移送台に固定して慎重に押していた。
通路の壁が、何度も別の場所に見えた。
一瞬、学校の廊下。
一瞬、白い研究施設。
一瞬、石造りの通路。
日下部は叫ぶ。
「ここは石造建物内部!」
「白い研究施設から撤収中!」
「白いコアは封印容器内!」
木崎も続く。
「木崎透!」
「石造建物内部!」
「出口へ移動中!」
相馬も声を張った。
「相馬、石造建物内部、移送班先導!」
相馬班の隊員たちも続く。
「佐久間、成人遺体カプセル一号を移送中!」
「宮野、成人遺体カプセル二号を移送中!」
声を出すたび、通路の揺れがほんの少し戻る。
だが、背後からサラリーマン影の声がする。
「持ち帰る場所、間違えません?」
木崎は振り返らずに言った。
「間違えねえよ」
OL影が、横の壁から顔だけを出した。
「それ、学校に戻しちゃったら大変ですよ」
日下部の手が、一瞬震えた。
白いコアが、容器の中で低く震える。
木崎は怒鳴った。
「日下部、聞くな!」
「分かってます!」
日下部は封印容器を強く抱えた。
「これは白いコア」
「封印済み」
「石造建物内部から回収中」
「学園帰還ラインには混ぜない!」
その言葉に、封印容器の震えが少しだけ収まった。
相馬が前方を見て叫ぶ。
「出口まであと少しです!」
「移送台、止めるな!」
木崎は息を吐く。
「名前、便利すぎるだろ」
日下部は走りながら答えた。
「便利というより、これが命綱です!」
出口の光が見えてきた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
サキのスマホの中で、reがまた少し動いた。
今度は、黒い地図の上に、細い線が浮かぶ。
その線は、校庭と体育館の間でねじれていた。
サキは叫んだ。
「ここ!」
「校庭と体育館が、混ざってる!」
ノノがすぐ反応する。
『確認した!』
『校庭の衝撃が体育館に流れた穴!』
『サキ、そのまま見てて!』
セラが言う。
『正しい名前を重ねてください』
『校庭は校庭』
『体育館は体育館』
『二つは繋がっているけれど、同じ場所ではありません』
ハレルは主鍵の光を強める。
「ここは校庭!」
「体育館じゃない!」
「校庭には、俺とサキとリオがいる!」
リオが校舎側から叫ぶ。
「体育館には青山先生たちがいる!」
「校庭とは別の場所だ!」
「でも、同じ学園の中にある!」
サキも声を張った。
「校庭と体育館は、同じじゃない!」
「でも、切り離されてもいない!」
「どっちにも、みんながいる!」
reの光が、少し強くなった。
画面の中のねじれた線が、ゆっくりほどける。
ノノが叫ぶ。
『ずれ幅、低下!』
『穴、塞がりかけてる!』
だが、獣影がまた足を上げた。
ジャバの声が響く。
『なら、もう一回だ!』
獣影が校庭を殴る。
今度は、校舎側へ負荷が飛んだ。
リオの副鍵が激しく震える。
「ぐっ……!」
ハレルが叫ぶ。
「リオ!」
『動かないで!』
ノノが叫ぶ。
『リオを助けに行ったら中心が切れる!』
リオは膝をつきかけながら、歯を食いしばった。
「来るな!」
「俺は、一ノ瀬涼!」
「校舎側の線を支えてる!」
「ここは校舎側だ!」
「校庭じゃない!」
校舎棟から、生徒たちの声が重なる。
「二年一組、校舎二階!」
「三年二組、校舎三階!」
「職員室、一階!」
声が増える。
リオの副鍵の震えが、少しだけ収まった。
サキの画面で、reがまた揺れる。
今度は、校舎側の穴を示すように、小さく光った。
サキは涙をこらえながら言った。
「見える」
「どこがずれてるか、少しだけ見える」
アデルが外周から叫ぶ。
「なら、伝えろ!」
「お前が見たものを、こちらが繋ぐ!」
サキは頷いた。
「うん!」
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/さらに深い場所】
Cは、静かに見ていた。
reが動いた。
ほんのわずか。
だが、確かに動いた。
ジャバは不満げに言う。
「何だ、あの光」
「邪魔くせえな」
Cは答えた。
「残滓ではありませんね」
カシウスの声が少しだけ低くなる。
「では、何だい」
Cは、少しだけ沈黙した。
「まだ名になりきっていないもの」
「あるいは、名を失わなかったもの」
ジャバが苛立つ。
「面倒なら潰せ」
「まだです」
「また待てかよ」
「観測します」
Cは言った。
「あれは、こちらの針を見ることができる」
カシウスが静かに問う。
「脅威か」
Cの声は、若いようにも、年老いているようにも聞こえた。
「可能性です」
そして、サキの画面に映る小さな光を見つめる。
「次は、あれがどこまで見えるか試します」
◆ ◆ ◆
教室の記憶は、校舎を支えた。
校庭の名前は、校庭を支えた。
体育館の名前は、体育館を支えた。
現実側の外周も、石造建物の回収班も、
自分たちの場所を声に出して踏みとどまった。
Cのずれは、まだ止まらない。
だが、サキのスマホに現れたreは、初めて小さく動いた。
それは言葉を発しない。
正体も分からない。
レアなのか、残光なのか、それとも別の何かなのかも分からない。
けれど、ずれた場所を示した。
ハレルたちは、ようやく理解し始めた。
Cの力に対抗するには、ただ守るだけでは足りない。
どこが、何と間違えられているのか。
それを見つけなければならない。
コメント
1件
うわあ、このエピソード、すごく良かった…。教室の小さな記憶の積み重ねが校舎を現実に繋ぎ止める、あの描写がもう、胸に来ました。机の傷や寒い窓側、そういう一つひとつが「ここが本当にここである」ことの証明になるんだなって。サキのreが動き始めたのも気になるし、Cがその光を「可能性」と呼んだのも意味深で、次が待ち遠しいです。