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あくまでも、私個人の見解です。
人に対して「守らなきゃ」と思っている時、私はその人を下に見ていることを自覚するべきだと思っています。「可哀想」という言葉も同様です。
自分を下げる発言をしている人に対して「そんなことないよ」と言っている時。内心「面倒だ」と思う人もいれば、「私がそばに居なくては」という思いに駆られる人もいます。
後者は、気持ちいいと思います。
誰かを救っているような気がするので。正義のヒーローみたいな気持ちになれるので。分かります。私もそうでしたから。
けれど、その人が本当に友達なのであれば、私はある程度本人に任せるべきだと思っています。もちろん、自死手前まで追い込まれてしまって、助けを求めることすらできない人はその限りではありません。けれど、日常の悩みの延長であれば、人間は助けてほしい時に助けてほしいと声を出せるものだと思います。そして、それを待つことが友達を信じてあげることだと思っています。
「助けてあげているんだ」という気持ちになるとき、それはもう対等な関係ではありません。自覚はなくても、自分のほうが優位と感じている関係です。(声をかけられた側がどう受け取るかは分かりませんが)
「助けを求める」→「助ける」が成立して初めて、対等な関係になると思います。
人間は弱い生き物ですから、自分より下の存在というものを無意識に認定して安心して生きている方が大半だと思います。私も例外ではありません。
ですが、友達をその対象にして、慰めて気持ちよくなるのは違うと思いませんか?