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動物市場で大きな馬をおそるおそる撫でると、頬をぴたりとくっつけてきた。
栗毛は思ったよりもごわごわしている。なーでなでなで。
「あはは、優しいだろ。馬は。乗っていくかい?」
「いや、これか用があるからな、また後にしよう」
「えっ」
アベルの言葉に令嬢が少しショックを受ける。ヒヒン馬にもふもふ羊にまっしろ兎とかわいいを満喫していたところだった。みんな令嬢にぴたっとひっついている。
「このもふもふ、買って帰っちゃダメ?」
「馬はともかく他は城で飼えるかな……」
いいでしょ? お願ーい!
キラキラした目に屈服しそうになる。
喜んで貰えて何よりだが、動物連れで議会に参加するわけにはいかない。
また必ずここに来ることを約束すると、令嬢は渋々引き下がった。
「お嬢さんは不思議と動物に好かれますねぇ」
店主の言葉はお世辞では無かった。普段は警戒心が強い種類でも、令嬢に近づくとかなり早い段階で警戒を解く。不思議な性質だった。
「馬には馬の、羊には羊の、兎には兎の物語があるのね」
ブラシで身体についた毛を落としてもらいながら、そんなことを言う。令嬢の言う物語のことはアベルにはよくわからなかったが、子供というのは時に、独特なことを言うものである。そういうものなのだろうと納得した。
議事堂に向かう道すがら、馬車の中で令嬢はアベルにひっついてくるようになった。
「兎さんかな?」
令嬢の頭をひとしきり撫でると「猫ですにゃん」と頬を差し出してくる。頬を撫で、喉元をくすぐると、ごろごろと鳴きまねをした。
にゃーにゃー言う令嬢のかわいさに痺れながら、文字通り猫かわいがりしていく。膝の上ですりすりする甘え方が、どことなく市場の動物たちを真似ているようだった。
城から出た頃は固かった令嬢の表情が完全に溶けている。
このまま議会をすっぽかして城に帰りたい、部屋でひたすらに猫かわいがりしたいという願望が心に芽生え始めた。
だが、それでは本末転倒である。
どうにか自制心を発揮して、抑え込んだ。
ふと、猫のような俊敏さで令嬢が小さな頭を上げる。
その視線の先では、未亡人らしき婦人と薄汚いが立派な服を着た帽子男が争っている。
男は手に男性向けのコートを持ち、婦人はそれを取り返そうと、男の袖を掴んでいるようだった。
「物盗りか?」
「なんだテメェ! ひっ」
アベルが馬車を停めさせると、男がこちらを睨み。睨んだはいいが、睨むべき相手ではないことに気づいて恐れおののいた。
目に飛び込んできたのは馬車に乗った王子と妖精のような令嬢である。見るからに格が違う、絶対に逆らってはいけない相手だ。男は瞬時に媚びへつらった。
「へ、へへ。こ、これは徴税でございます」
「この女が税を払わないもんで……差し押さえです」
あっしは徴税請負人、ちゃあんと許可証だってあるんです。家に。
その言葉を聞いて、王子の顔は険しくなった。
徴税請負人は政府に代わって税を徴収する職業人で、徴税によって街を運営する上で重要な存在だったが、同時にその腐敗も有名だった。
「あなたが脱税を?」
聞かれた婦人が跪いてうつむく。どうやら事実らしい。
「すみません、今年増税があったとは知らず。いつもの価格で針子の仕事をしていたもので……6ヶ月ほど溜め込んでしまって……借金が」
「確かに戦時に何度か増税したが、今年はしていないぞ。何かの間違いなのではないか?」
一般市民には計算ができず、文字も読めないものも多い。
そこにつけ込んで余計に税を徴収し懐に入れる不届きな輩がいるのだ。
徴税請負人は脂汗をかいてコートを婦人に投げつけ、逃げ出した。
「あっ」
驚いて馬車から身を乗り出した令嬢をアベルが掴んで止める。
「大丈夫だ」
高い帽子が飛んでいかないように手で押えながら、徴税請負人が走る。
いいところだった。いいところだったのだ。
夫を失い、孤独になった世間知らずの未亡人に借金をでっちあげてむしり取る。支払えなくなったら、借金を猶予してやるといって肉体関係を迫る。
当然拒まれるが、そうなったら亡くなった夫の遺品あたりを差し押さえる。大切なものを一つずつ失ううちに、涙を流して頭を垂れるだろう。すべてを失ってから差し出せるものが身体だけになるというのも悪くない。
何もかもうまくいくはずだった。
なのに。
「なんでこんなとこに王子がいるんだよッ!」
悪態をついた瞬間、視界がぐるりと回転して、石畳に叩きつけられた。何らかの魔術で腕を拘束されたのか、受け身が取れず、肺が潰れて息が出来ない。
緑の髪にメガネをかけた花売りらしき女が一瞬だけ見えるが、メガネに日光が反射して顔がよくわからない。やけに無駄のない動きで鉄拳が振り下ろされ、徴税請負人は気絶した。
「なんでミレナがここにいるの?」
以前、令嬢を解毒してくれたメイドのミレナが、今はモップハットにオーバースカート、エプロンに花かごといった花売りの姿をしていた。
ミレナは徴税請負人を引っつかんで石畳に叩きつけ、トドメとばかりに拳を振り下ろしてから、ずるずると裏路地に引きずっている。すこし上機嫌のように見える。まさかね。
「君を外に連れ出すのに護衛をつけないわけないだろう?」
町人らしき服装をした不在城の使用人たちが視線を合わせ小さく頷きあい、一人が馬車に近づいてくる。
「いかがされますか?」
「記録し、過払い分の税を返却しておけ」
「畏まりました」
使用人が投げ捨てられたコートを丁寧に畳んで、婦人の前にしゃがみ込み、婦人に手渡す。現状の確認と必要な手続きについて説明しているようだった。
「ありがとうございます……」
婦人が亡き夫のコートを抱きしめながら、アベルに頭を下げる。
アベルは婦人に何も言わず、御者に馬車に先を急がせるよう伝えた。
馬車が議事堂に向かっても、婦人はずっとずっと跪いていた。