テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
鷹槻れん/鷹槻うなの

35,460
鷹槻れん/鷹槻うなの

21,373
臣桜
51,196
#恋愛
水無月 京
1,300
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
背後から待ち望んでいた声が聞こえて、勢いよく振り返る。
その声と姿に、込み上げる熱を止められない。
「さっさとその手離せよ」
大股でこちらに向かう姿に、いつもの落ち着きはなくて。少しだけ乱れている前髪と息は、急いできてくれたんだって都合よく解釈してもいいんだろうか。
「あら、騎士のお出ましか」
ぬかったな、と呟く伊藤さんの腕を払い、豆さんは私をグッと引き寄せる。彼の胸板に勢いよく横顔が押しつけられて、豆さんの心臓の鼓動がスーツ越しに伝わる。
走ってきたことを差し引いても、思った以上の速度の鼓動に、私の拍動もつられて早くなっていく。
「なんかおかしいなと思ったら、お前の目的はこれかよ」
お行儀の良い仮面も、口調もどこかに捨てたらしい。顔は見えないけれど、声音だけから噛み付くような勢いはよくわかる。
「流石に卑怯すぎねぇか」
「やだなあ大豆生田さん」
彼の怒りに対して、間延びした伊藤さんの声が返ってくる。
「誘ってきたのは彼女ですよ?」
スッと指先から力が抜けていくのを感じる。自分の甘さをもう一つ思い知る。
「酔ったから少し休みたい、と言ったのは彼女の方で。私は散々断ったんですけどね」
可愛い顔して、結構大胆な子ですね。
余裕を持った態度の理由がハッキリとわかった。
彼が信じるとは思えないけど、何も証明する術はない。豆さんが伊藤さんの言葉を信じて私を突き放したらと考えると恐ろしくて、体が震え始める。
「へぇ、そうなんですか」
感情のない、平坦な豆さんの声が聞こえる。
彼の腕の中は温かいのに、心がどんどん冷えていく。次の瞬間にもこの腕から突き飛ばされるかもしれない。
「そうそう。若い女の子は怖いよね」
「よくもまあ、そんな嘘が堂々とつけますね」
大きくため息をついて出てきた言葉は、すっかりいつもの冷静さを纏っていた。
「嘘?そう一方的に決めつけるのはどうかと」
「弓家さん、今こんだけ震えてるのに?」
「演技派なんでしょう」
どこまでも怯まずに言い訳を繰り出す伊藤さんに、抵抗する手段のなさに怯えていれば。
ぎゅっと私を包む腕の力が強くなり、指先がトントン、と私の腕を叩く。
「大丈夫だから」
そっと、丁寧に囁かれたその言葉は私を安心させるのには十分すぎるほどで。
「鬼退治、しようぜ」
「本当はこちらが色々と損害を被ったわけなんで、彼女には色々請求したいところですけど」
「…なるほど?」
「今日は遅いし、大豆生田さんに免じて一旦解散にしましょうか。じゃあ私はこれにて…」
「まあ待ちなさいて」
あくまで威厳は保ちつつ、私を悪者にしつつ、そっとこの場を去ろうとした伊藤さんを豆さんは一声で制する。彼の指が私のカバンに付けられたテディベアをそっと撫でる。
「ちょっとごめんね」
豆さんは私を抱えていた腕を外し、両手でそのキーホルダーを弄り始める。
「クマがなんですか」
訝しげな様子の伊藤さんに少しも構わず、少ししてキーホルダーから取り出されたのは、黒い小さな箱だった。
私も成り行きが見通せずに少し戸惑う。それは一体何だ?
「ちょっと待ってくださいね」
少し黒い箱を操作した彼は、今度は自分のスマホを取り出し何かを確認している。耳を当てて何かを聞いている豆さんの目は、徐々に好戦的な色を宿し始めているように見える。
「豆さん…」
きっと反撃を仕掛けようとしている彼が、目の前にいるのにどこか遠くにいるように感じられて。すがるように名前を呼んで袖を引けば、チラリと視線が落ちてくる。
「大丈夫だから」
「え…?」
「おたくら何をイチャイチャしてますの」
伊藤さんの痺れを切らせたような声に、豆さんはにっこりと笑う。
「ああ、すみません。外野がいるのをすっかり忘れてました」
「…外野…」
この場で煽るのやめてもらえますか…!
焦りから彼のコートをギュッと掴めば、「ごめんごめん」と、いつものような言葉ばかりの謝罪が耳に飛び込む。
「伊藤さん」
豆さんの声は低い。視線はしっかりと彼を捉えていて、その圧は傍目で見ていてもはっきりとわかるほどだ。
「これを聞いても、まだそれが言えますか?」
「…は?」
豆さんはスマホを掲げたまま数歩近寄り、何かの音声を再生させる。
『混んでますね』
『えぇ』
ゴウゴウというノイズの合間に、クリアに聞こえる伊藤さんと私の声。時々聞こえる笑い声は、すれ違った歩行者のものだろう。
『着きましたよ』
『案外早いですね』
明らかに聞き覚えのあるこの声と会話。
これは…
伊藤さんもすっかり驚いた顔をしている。
「これ、さっきの一連の会話です」
思ったよりもよく録れていますね。割と安かったのにすごいな。
置いてきぼりにされる我々2人を差し置いて、豆さんは妙に満足そうだ。