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#🐟️×🍇
ねぎ茶
27
屋敷を出たハヤトとジントは、辺境の小さな村に流れ着きました。
身分を偽り、名も変え、二人だけの暮らしをはじめたのでございます。
畑を耕し、家畜の世話をする日々は、慣れぬ苦労の連続でした。
それでも、隣にジントがいるというだけで、どんな苦労も苦にはなりませんでした。
「こんな暮らし、お前には辛いだろう」
「辛くなんかない。誰の目も気にせず、お前の隣で笑えるだけで、俺は十分幸せだ」
「なあ、ジント。この先も、ずっとこうやって、お前と並んで生きていけるんだな」
「当たり前だろ。お前と、こうして生きていくって決めたんだから」
二人のあいだに、もう迷いはございませんでした。
見上げれば、同じ空が広がっている。
それだけで、この先を恐れる理由など、どこにもなかったのでございます。
夕暮れになると、ジントは決まって、野に生える草や花を摘み、香油を調えました。
「俺だけの香りだからな」
「心配すんな。誰も気にしてないから」
手首にひと撫でされるたび、ハヤトは、あの屋敷での香りを思い出すのでございます。
ジントは笑いました。
いっぽう、シュンの屋敷では、ジュウの日々が、変わらぬ穏やかさの中で過ぎてまいりました。
何ひとつ不自由なく与えられながらも、外へと続く道だけは、決して開かれません。
ある日、ジュウは机の上に置かれた一通の文に目を留めました。
宛名はシュン、差出人は、ハヤト。
──こちらは、うまくいっている。恩に着る。
その夜、ジュウはシュンに問い質しました。
「あの逃亡、シュンが手を貸したの?」
「ああ。俺が用意した」
「……なぜ」
「お前を、手に入れるためや」
ジュウは、言葉を失いました。
怒りと、呆れと、そこまでして欲しかったのかと、説明のつかぬ重みが、胸にのしかかりました。
──フリムイテ。
「ずっと、お前に見てほしかった。跡継ぎとしてでも、身代わりとしてでもなく、ただの俺自身を」
──イカナイデ。
「もし、出ていきたいなら。もう、止めへん」
ジュウは、しばらく黙り込んだのち、静かに答えました。
「──行かない。閉じ込められてるから、じゃない。自由に選べるって分かった上で、それでも、俺はここに残りたい」
その言葉に、シュンは、見せたことのない無防備な表情を浮かべました。
「ほんとうに?」
「びっくりしたし、呆れてるけど。ちょっとだけ嬉しいって思ってるのも、本当だから」
その日を境に、二人のあいだにあった歪な均衡は、少しずつ姿を変えてまいりました。
それでも、とジュウは、時折思うのでした。
迷宮の外に出られたわけではないのかもしれません。
閉じ込められていた迷宮の代わりに、また別の迷宮に、自ら足を踏み入れただけなのかもしれない。
その迷宮に、出口があるのかどうか、もう確かめようとは思いませんでした。
この迷宮になら、いつまでも迷っていたいと、そう思えてしまったからでございます。
老人は、そこまで語り終えると、ゆっくりと瞬きをした。
「──それが、この地に伝わる物語です。ブランドのお話とは、随分と違うでしょう」
中庭には、いつの間にか、夜も深まった静けさが満ちていた。
四人はしばらくの間、誰も言葉を発しなかった。
「……綺麗なだけの話じゃ、なかったんですね」
仁人が、静かにそう呟いた。
「綺麗じゃないから、価値がないわけじゃありません。むしろ、綺麗すぎない分だけ、残ったのかもしれないですね」
老人はそう言って、微かに笑った。
仁人が、ためらいがちに口を開いた。
「ブランドの伝説にあった、『最後に残ったのは、香りだけ』という一節は、どこから来たんでしょう」
「その一節だけは、あながち嘘ではありませんよ」
老人は、桑の葉を見上げた。
「香油からきているのだと思います。あの香りを嗅いだ者は、香りの中から、出られなくなる。迷宮を作ったのは、閉じ込めた側ではなく、香りの方だったのかもしれません」
少し間を置いて、老人は、静かに付け加えた。
「もっとも、本人たちに、逃れる気などなかったのでしょうが」
「……ヴェスティージュ」
仁人が、思わず呟いた。
「残り香、という意味です。あの香水の名前」
柔太朗は、自分の手首に、そっと目を落とした。
「……出口をなくしたのは、愛だった。あのコピーは、少しだけ本当だったんですね」
老人は、何も答えず、ただ目を細めた。それから、思い出したように付け足した。
「香油の作り方は、近在の村々に、今も伝わっておりましてな。市場の隅で、小さな瓶に詰めて売る者も、おりますよ」
夜風が、桑の葉を静かに揺らしている。
聞いたばかりの物語を胸の裡で反芻しながら、老人の家を後にした。
コメント
1件
るりさん、第12話読了しました…🥀 ハヤトとジントの逃避行の果て、質素だけど確かな幸せにじんときました。「同じ空」だけで怖くないっていうのがもう、重みがあって…。シュンが実は手を引いてたって真相、あれは正直驚いたけど、ジュウが「自由に選べるからこそ残る」って決めたシーンが一番好きです。閉じ込めじゃなくて、自分で選んだ迷宮って良いなあ。「出口をなくしたのは愛」の真実味、心に残りました。続き、気になります🤍