現在、僕らの方が攻勢に転じたように見えているかもしれないが、そうでもない。夢香が出社停止になってからも夢香たちのマンションには松永賢人が毎日のように訪れていた。
小麦による逆洗脳によって娘たちは今や僕らのスパイ同然になっていた。小麦は真希に指示して、夢香の部屋にボイスレコーダーをセットさせた。
夢香は娘たちに松永は大事な相談相手だと紹介していたそうだけど、確かに出社停止になったことについて相談もしていたが、録音されていた音声のほとんどは行為中のもの。
「旦那よりいいか?」
「何言ってるの? 私の旦那はずっと前から賢人さんだけ。それにあいつとは三年もしてないから、どうだったかもう忘れちゃった」
「三年もレスられてしかもおまえにほかに男がいたと知ったら、そりゃ向こうも怒るわな」
「あいつに抱かれるなと言ったのは賢人さんじゃない!」
「そうだが、怪しまれないようにするために、たまには抱かせてやればよかったな」
「嫌よ。体が汚れるじゃない。私を浮気者みたいに言わないで! ああっ」
不倫を僕に知られていると分かった上で逢瀬を重ねる二人。夢香も離婚上等ということ。僕は純愛に水を差す邪魔者扱い。これで話をしたいと言われてもね。
いつか和海が言っていた通り、夢香の不倫は遊びの浮気ではなく、松永との再婚を夢見た本気だった。夢香はそれを純愛と主張する。不倫である時点で純愛ではないと思うが、頭の中がお花畑になっているから何を言われても今は聞く耳を持たないだろう。
義姉とのLINEに書いていたとおり、夢香にとって松永は運命の人。松永も同じ気持ち。僕に支払う慰謝料もすでに用意しているそうだ。夢香が請求された分もおれが払うと豪語していた。
だが、相場の二倍の慰謝料の支払いを求める内容証明が、元奥さんが依頼した弁護士からもうすぐ届く。愛する娘との面会不可の文言も添えて。彼は驚愕するだろう。
松永の勤務先はこおろぎ観光という旅行社。学校と旅行社というのは無関係に見えて、実は関係が深い。遠足など学校行事の際のバスの手配など小さな仕事もあるが、旅行社側にとって魅力なのはなんといっても修学旅行。大規模校の修学旅行となれば億単位の金額が動くこともある。
修学旅行業者に選定された旅行社が何から報酬を得るかといえば、学校からの支払いばかりではない。生徒たちの移動手段の航空会社やバス会社、泊まるホテル、食事するレストラン、体験活動する施設、さりげなくまたは露骨に旅行日程に組み込んだお土産屋など、そのすべてからそれぞれ少なくないマージンを徴収する。つまり学校からの支払いだけですでに黒字なのに、マージンの分をすべて利益とすることができる、実はおいしい仕事なのだ。
和海はこおろぎハウスのときと同様に、教員間のネットワークを利用して、こおろぎ観光がどこかの学校の修学旅行業者の募集に手を挙げたという情報をキャッチしてはその学校の教員に会議で反対意見を言わせて、こおろぎ観光の選定を阻んだ。不選定となった表向きの理由はもちろん〈総合的な判断により〉。こおろぎ観光側はおかしいなと思いながらも、選定されるわけもないのに募集があれば空しく手を挙げ続けた。
こおろぎ観光は秋実施の修学旅行業者募集に応募して七校立て続けに不選定となった。その頃、中学校長である和海の父親がこおろぎ観光の横浜支店の支店長に電話をかけた。和海の父親が校長になる以前、担任や学年主任として生徒を引率した修学旅行に支店長は添乗員として何度か同行したことがあり、二人は顔見知りだった。
「貴社に関してよからぬ噂を聞いて真偽を確かめるために電話した次第です」
「よからぬ噂というと?」
「あなたの支店で課長職にある松永賢人という男が教員の奥さんと不倫関係になり、奥さんをそそのかして娘二人を連れて家出させたそうです」
「事実なら許されません。事実関係を確認し早急にご報告します」
「許されないのはこの話の続きです。松永は奥さんの新居に入り浸り、奥さんの体だけでは飽きたらず、とうとうまだ小学生の二人の娘さんまで性欲のはけ口に……。こんなはずじゃなかった、と奥さんは今ではご主人に泣きながら復縁を懇願してるそうです」
「そ、そんなことが報道されたらわが社は……。今すぐ本人を尋問し、今日中に結果をお知らせします!」
「そうして下さい。そんな社員がいるようでは修学旅行を貴社に任せたら女子生徒たちの身が心配だ、と県内の多くの学校で不安が広がっています。それを理由に貴社を不選定とした学校もあるようですね」
不倫カップルの理性をかなぐり捨てた卑わいな声がボイスレコーダーからまだ聞こえてくる。
「あいつのせいで仕事に行けなくなったのは悔しい!」
「浮気される自分に問題があったと考えないで、一方的に夢香に制裁するなんてひどい男だ」
「たとえあいつがすべてを私から奪ったって、私たちの真実の愛が壊れることはないわ!」
「当然さ。おれたちの愛は運命だ。永遠に続くんだ。――夢香、またイクぞ!」
「賢人さん、すごい。五十歳なのに今日もう何回目? 私も、イクっ!」
「夢香、孕め!」
「今度は産んでいいの?」
「ああ。十五年前に生まれなかった子の分まで幸せにしてやろう」
「うれしい!」
十五年前にそんなことが……。僕が初めてだと言ってたくせに。
二人のいるお花畑を草一本残さず焼き払ってやる! 復讐の炎は僕の心の中で、静かにそしてあちこちに飛び火しながら燃え広がっていった。
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