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今思えば、夢香は僕と松永を比べていたんだと思う。よく文句を言われたものだ。僕の給料が少ないとか、年齢よりも幼いとか。地方公務員の僕の給料がそれほど低いとは思えない。でも僕より十歳年上で大手旅行代理店の課長職を務める男と比べたらそりゃ少ないだろう。それに僕は学校で同僚にも生徒にも幼いなんて言われたことはない。僕より十歳年上の松永と比べて幼く見えるという意味だったわけだ。真面目に考えて悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
三年前、おそらく松永との交際を再開させたことをきっかけに、夢香は僕を侮るようになった。
「子どもじゃないんだから、いちいち言われなくても空気を読んで行動してよね!」
と怒鳴った十分後に、
「おまえは馬鹿なんだから、私が言ってないことは絶対にするな。ただ私の言う通りに行動すればいいの! 分かった?」
と前言と両立できない文句をぶつけてきたこともあった。
僕にはおまえ・あいつ呼ばわりで何様かという態度なのに、松永に対しては従順で、呼ぶときもさん付け。
正直松永に嫉妬した。まもなく破滅する男だと分かっていても、夢香に愛されている松永がうらやましくてたまらなかった。
その日、夜中にもかかわらず松永は会社に呼び出され、夜通し幹部たちから尋問を受けた。松永は夢香との不倫は認めたが、娘たちへの性的虐待は断固として否定した。幹部たちに松永をかばう者はなく、不倫で騒ぎになったのが二回目であること、会社に莫大な損害を与えたこと、その二点をもって松永は二者択一を迫られた。夢香と完全に別れるなら平社員に降格した上で会社残留、別れないなら退職金なしの懲戒免職。そのどちらかを選べ、と。
松永は即断即決して前者を選択。運命の二人の真実の愛はあっけなく崩壊した。
松永は午後、支店長を伴って夢香のマンションを訪問した。真希たちは小学校から帰り、もう家にいた。支店長はもちろん、本当に松永と夢香が別れたどうかを確認するために同行したのである。
夢香は松永が会社の上司を伴って部屋に入ってきたことに困惑した。支店長は十五年前の事件当時は大阪の支店にいて、夢香とは初対面。玄関に入ってきた松永を見て、姉妹が怯えたように奥に逃げていく。
「松永君、やっぱり君はあの子たちに……」
「違います!」
二人が何の話をしてるか分からず、夢香の戸惑いはさらに深まった。
リビングで三人の話し合いが始まった。まず支店長が夢香に自己紹介し、録音の許可を二人から取った。次に、支店長に促され、松永が口を開いた。
「端的に言うぞ。夢香、別れよう」
夢香にとって一番ありえない言葉だった。だから十秒ほど脳がフリーズして口を利くことができなかった。
「どうして? 私を見捨てるの?」
「見捨てる? 裏切ったのはおまえだろう? おれに会えば愛してると言いながら、裏では泣きながら旦那に復縁を懇願してるそうじゃないか」
「言いがかりはやめて! 三年前、おまえと再婚したいと言ってくれたあなたの言葉を信じて、この三年身も心もあなたに捧げてきた。家を出てから旦那と会ったことなんて一度もない。嘘だと思うなら娘たちに聞いてみればいいじゃない!」
「そうだな。親が嘘つきでも子どもは嘘をつかないだろうからな。呼んできてくれ」
「嘘つきですって!? この人でなし!」
口汚く罵り合う運命の二人。支店長は不倫カップルの痴話げんかに口を挟まず、ただ呆れて聞いている。
夢香に連れてこられた幼い姉妹はなぜかまだオドオドした様子。
「真希! 望愛! お父さんと住んでいた家を出てからお母さんが一度でもお父さんと会ったことがあるかどうか、知ってるとおり答えて!」
いつも素直な二人なのに、姉妹はずっと口を固く結んだまま。
「どうして答えないの?」
「気に入らないことを言うと、おしおきされるから」
「おしおき? 誰に?」
姉妹がおずおずと腕組みして座る松永の方に顔を向けると、夢香と支店長の顔が真っ青になった。
「賢人さん、あなた、私の目を盗んでこの子たちに何をしたの!」
「松永君、子どもは嘘をつかないんだろ。君はやっぱりこの子たちの心と体に消せない傷を……」
徹夜で尋問を受けた疲れがたまっていて、松永の怒りはあっさりと限界を超えた。座っていた木製の背もたれ椅子を振り上げて、赤鬼のような顔で叫ぶ。
「殺すぞ! くそガキども! いつおれがおまえらに暴力を振るったって言うんだ?」
「今だよ」
支店長が後ろからタックルし、松永を床に転がした。弾みでテーブルも倒れ、テーブルの上にあったものが床にぶちまけられる。泣き叫ぶ子どもたち。突然の修羅場に呆然と立ち尽くす夢香――
支店長は年配だが柔道経験者。そのまま松永を抑え込むと、
「奥さん、早く!」
と催促した。夢香はハッとしてすぐに警察に通報した。
「頭のおかしい男が椅子を振り上げて私の娘たちに殺すぞって脅してるんです!」
五分後に到着した警官たちは素早く松永の身柄を確保し、緊急逮捕した。
「おれをハメやがって! おまえら全員ぶっ殺してやる!」
松永もさんざん暴れたが、抵抗も空しくパトカーに乗せられ連行されていった。
また別の警官が現れ、夢香と支店長から事情聴取した。その間、幼い姉妹はずっと泣き通し。怖かったねと女性警官に頭を撫でられている。
「もうここにいたくない。本当のおうちに帰りたい」
「本当のおうち?」
「お父さんと住んでいたおうち。私たち、あの男とお母さんに誘拐されたの」
警官から話を聞いた夢香はもちろん僕のDVを主張し誘拐を否定。姉妹は「お父さんと住みたい」と何度も泣きながら訴えたが認められなかった。警官たちは親権と監護権について僕とよく話し合うようにと夢香に助言して、警察署に戻っていった。これで僕のもとに帰りたいという姉妹の意思は、警察に強く印象づけることができた。
翌日、真希と望愛は学校が終わると、夢香のマンションに帰らず電車に乗って自力で僕の自宅に帰ってきた。
二人が僕の自宅に入るまで見届けた小麦から、
「完璧なシナリオだったでしょ」
とLINEが届いた。先日の里英・絵理香親子との話し合いで出てきたプランCとはこれのこと。松永は一人娘の絵理香だけでなく、再婚を予定していた夢香まで失った。
「完璧すぎて怖いよ」
と返信した。