コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
きっと間に合う、結界に逃げ込めるってそう思ったのに、まるで周りの総てがスローモーションになったみたい。
こんなに僅かな距離なのに、結界に指先が触れるまでがやけにゆっくりに感じられる。背後で魔物が草を蹴る音が、生々しく耳に響いた。
まさか、死なないよね? あたし。
縁起でもない考えが、瞬間、脳裏をよぎった。
「させるかっ!」
突然の叫び声と共に聞こえたのは、肉と骨を断つ音、魔物の断末魔。同時に、あたしの体は思いっきり突き飛ばされて、結界の中に勢いよく転がり込んでいた。
なんとか体勢を立て直して振り返ったら、首席騎士様が血まみれの剣を右手に掲げたまま、左手で風の刃を無数に生み出し、一斉に魔物に叩き込んでいた。
すごい……。
剣も魔法も、ダブルで使えるんだ。
圧巻の戦闘センスに、もうただ茫然と見守る事しかできない。
首席騎士様は、もう何の魔物だったのかすら判別がつかないほど完全に息の根を止められた魔物を一瞥すると、ヒュッと音を立てて剣を振り、血糊を落として剣を鞘に納める。
そして、無表情のまま結界の中に悠然と帰還した。
「あ、あの、ありがとうござ……」
「結界の外に出るなと言ってあっただろう!」
「っ」
結界が震えるほどの怒声だった。
「死にたいのか!」
さらに怒鳴られて、思わず涙がじんわりと浮かんでしまった。
自分が情けなくて。
ただでさえ何の役にもたたないのに。せっかく結界だって張ってくれたのに。言いつけさえ守れないで、結果、迷惑をかけるだなんて。
自分のダメさ加減が嫌になる。
「……その、すまん」
あたしが泣いてしまったからだろう、首席騎士様は、なんとも気まずそうに目を逸らす。
「違……っ、あたし、ごめんなさい……」
最悪だ、しかも気を遣わせてしまった。涙を止めようと思うのに、溢さないようにするので精いっぱいだ。
申し訳ないと思っているのに、命が助かったという安心感や、帰って来てくれたという嬉しさもやっぱりどこかにあって、どうしても込み上げてくるものが抑えられない。
「すまん」
「違うんです……ほんと、すみません」
ちくしょう、涙よ止まれ。これ以上、首席騎士様に気まずい思いをさせてどうするつもりだ、自分に言い聞かせてぐっと顔をあげる。
そして、思いっきり頭を下げた。
「ごめんなさい! もう絶対に結界から出たりしません! ……あと、本当に助けてくれてありがとうございました」
「あ、ああ」
あたしの勢いに、首席騎士様は少し驚いたようだけれど、視線をあちこちに泳がせたあと、ぽつりと一言、こう口にした。
「君は、魔力が高いだろう」
「……?」
確かにあたし、魔力だけは豊富にあるけど、急になんでその話? 首席騎士様が何を言いたいのかは分からぬまま、とりあえずあたしは首肯した。
「魔物は、魔力に惹かれる。君の魔力は魔物にとっては極上のエサというか、恰好の獲物というか……、美味そうな匂いを振りまいている状態だ」
「ひえっ……」
「だから、結界を張った」
知らなかった……! だからあんなにもすぐに魔物が登場したのか。なんでこんなタイミングで出てくるんだよって思ったけど、あたしが撒き餌みたいな状態になってたってことか。
「結界をでると危ない。……出ないで欲しい」
あたしは首がちぎれそうな勢いで頭をぶんぶんと縦に振った。そりゃあ結界から出たら魔物に食べてくださいって言ってるようなもので、どう考えても自殺行為だもん。
「絶対に、出ません!」
全力でそう言ったら、首席騎士様はほっとしたように薄く笑った。
うわぁ……笑ったの、初めて見た。
意外にも優し気に細められた目に、あたしの緊張感が一気に解ける。ついついじっくりと見つめていたら、あたしの視線に気づいたらしい首席騎士様が、だんだんと顔を赤くしていく。
そして、押されでもしたみたいに一歩うしろに下がってしまった。
視線が定まらないどころか、顔自体が所在なさげにおろおろとあっちを向いたり天を仰いだりと落ち着かない。
何かを言おうと口を開け閉めしているけれど、そのたびに思いとどまっては気まずそうにため息をつく。
あれ? この感じ、さっきも見た。
ジェードさんが言ってたヤツだ。首席騎士様は、またもいきなり『何を話したらいいか分からない』モードに入ってしまったらしい。
「あ、と……その、君はそもそも、なぜ結界から出たんだ」
絞り出すように小さな声でそう尋ねられて、あたしもハッとした。
ベリー!
慌ててあたりを見回せば、ベリーは無事に……というか、あたしの体につぶされる事もなく枝ごとその辺になげだされていた。さっき首席騎士様に助けて貰った時、結界内に転がり込んできちゃったから、その時に手から離れちゃったんだな。
手早くベリーの枝を拾い上げる。
ああ良かった。あんな思いをして手に入れたものだもん。せっかくだから役に立ってもらわないと。
振り返ったら首席騎士様が安定の無表情に戻っていた。ちょっと距離があると平気なんだな。面白くなって、少し笑いが出てしまった。
「ベリーを採ろうと思って……ごはんを作って、待っていようと思ったんです」
あたしの視線の先を追って、焚火や刈られた草を一瞥した首席騎士様は、「そうか……そうだな」となにやら頷いている。
「こんなに無理して採る必要なかったのに、手が届かなくて、ついムキになっちゃって」
ごめんなさい、ともう一度謝ると、首席騎士様は「いや、ありがとう。ベリーは好きだ」と言ってくれた。
表情はまったく動かないから、本心なのか、気を遣ってそう言ってくれたのかは正直分からない。
それでも、その時あたしは、なんとか首席騎士様とうまくやっていけそうな、そんな予感がした。