ヨアヒムとダビドの間で条件がまとまり、罪人同士の交換が行われた。
国境近くのエルゲラ辺境伯領にいたマティアスたちは、比較的早くヘルグレーン帝国へ引き渡されたが、皇都にいたオラシオがカーサス王国へ戻ってくるには、しばらくの時間を要した。
そしてようやく、待ちかねた到着の日――。
ブロッサとホセとエバは、ダビドの指示によって、密かに王城へ招集された。
簡素な服に着替えさせられたオラシオは、一般的な牢屋ではなく、レオナルドと同じ北の塔に拘置されている。
調度品が整い、使用人も付き、寝起きするには何の問題もない収監部屋で、ダビドとアラーニャ公爵家の四人が顔を合わせた。
一同を前に、厳かにダビドが口を開く。
「明日から行われる裁判で、アラーニャ公爵が犯した罪が詳らかになり、最終的な刑罰が決まる。家族としての面会が許されるのは、今日限りだと思って欲しい」
そんなダビドの言葉に、ブロッサが食ってかかる。
「刑罰云々の前に、オラシオさまのこれまでの功績を、鑑みるべきだわ! 優秀な頭脳でもって、どれだけ国政の役に立ってきたのか! お兄さまなら、この稀有な才能のありがたみが理解できるでしょう!?」
「……例外なく、横領は大罪だ。家族へ累が及ばないだけ、ありがたいと思わなければ」
「そんなの嘘よ! 横領なんて、するはずがないわ! オラシオさまは、腐るほどの財産を持っているのよ!? 私が降嫁したときの支度金だって、手つかずで残っているんだから!」
「残っていない」
ブロッサの主張に、オラシオ本人が口を挟む。
全員がぎょっとした顔で、発言したオラシオを見た。
「馬鹿皇子が振り回していた変な槍だとか、盗賊くずれの傭兵に着せる装備一式とか、そんなガラクタを買うために使った」
「っ……!? 宰相の職を引退後、二人で旅行をするために、取っておくと言っていたのは……」
「嘘だ。旅行だなんて、考えたこともない」
これまでも冷たいと思っていたが、より一層の冷たさをオラシオから感じる。
意図的に突き放されているのが分かって、ブロッサは堪らず縋りついた。
「オラシオさま、ホセが言っていたのは間違いですよね? ヘルグレーン帝国の側妃を、誘拐しようとしたなんて……」
「それは本当だ。ウルスラと二人で、逃げるつもりだった」
「その女が……! 側妃という立場を使用して、そそのかしたのでしょう!? きっとオラシオさまは、権力に逆らえなくて仕方なく――」
ばっ、とオラシオがブロッサの腕を振り払う。
「低能すぎて嫌気がさす! 聡明なウルスラを、お前と一緒にするな!」
ブロッサがその場にへたり込んだ。
確かにブロッサは、すでに婚約者が決まっていたオラシオを、権力でもって横取りした。
その過去を今さら責められ、ぼろぼろと頬を涙がつたう。
「だって、オラシオさまのことが、好きだったから……」
「私が愛しているのは、今も昔もウルスラのみだ」
オラシオはもう、ブロッサを視界に入れようともしない。
金色の瞳にそっぽを向かれたブロッサは、今度はダビドに懇願する。
「お兄さま、どうしたら減刑されるの!? このままだと、オラシオさまは絞首刑なんでしょう!?」
「恩赦を実施できるだけの、祝い事があればよかったが……」
「レオの婚約者を、決めたらいいわ!」
「レオ自身、まだ幽閉されている最中だ」
「じゃあ、他に方法は!? オラシオさまが、死んでしまうじゃないの!」
絶叫する声が、低い天井に響く。
しかしダビドにも、どうしようもないのだ。
数日前から、その眉根には深いしわが寄っている。
諦めきれないブロッサは、他の手を考える。
「私がオラシオさまの罪を半分、肩代わりするならどう!? そうすれば、せめて生きていられるんじゃないの!?」
だが、ブロッサの必死の嘆願を、オラシオが遮った。
「邪魔をするな。ウルスラが死刑を望むのなら、私は甘んじてそれを受ける」
「オラシオさま、投げやりにならないで! 二人で償っていきましょう!」
「捕まってしまったこの身では、もうウルスラとは添い遂げられない。私は……来世に賭けることにした」
達観したオラシオは、ブロッサを無視して自分の世界に浸る。
「きっとウルスラも、それを願っているのだ。今世で皇帝に嫁いだのを、悔いているのだろう」
「オラシオさま……?」
「生まれ変わって、早くウルスラと一緒になりたい」
ほう、とオラシオが熱のこもった溜め息をつく。
誰にも陥落しないと思われたオラシオが、ウルスラを恋い慕って頬を染めている。
それを目の当たりにしたブロッサは、顔から表情が抜け落ちた。
長らくオラシオを尊敬していたホセは、父の異常ぶりに思考が止まっている。
その隣に座るエバは、目の前で繰り広げられている両親の愁嘆場にはまるで興味がなく、きょろきょろと部屋の外を気にしていた。
(レオさまは、どの辺りにいるのかしら? 北の塔の構造を覚えて、忍び込んでやるわ)
バラバラな家族の姿に、ダビドは痛むこめかみを押さえ、それぞれに発言を促す。
「これが最後だ。お互いに心残しがないよう、よく考えて欲しい」
だが、誰も反応しなかった。
重苦しい雰囲気のまま、面会は終わる。
この場を設けたのは間違いだったか。
ダビドは肩を落とし、後悔した。
◇◆◇◆
ファビオラとヨアヒムは、オラシオと入れ替わるように王都を出発して、ヘルグレーン帝国を目指すことになった。
その前の晩には、グラナド侯爵家でお別れパーティを開き、ファビオラとヨアヒムの婚約が本物になったと家族に報告をした。
「お姉さま、おめでとうございます!」
「ありがとう、アダン」
「ファビオラがいなくなるのは、寂しいわ」
「お母さま、今年はモニカの結婚式に招待されているし、来年はシトリンさんの結婚式に招待されますから、すぐに会えますよ」
「それに私も宰相の職に就任した。これからは外交で、ヘルグレーン帝国を訪ねる機会も増えるだろう」
「お待ちしています、グラナド侯爵。……お義父さまとお呼びしても?」
ヨアヒムはしかめ面のトマスに、まだ早い、と言い返されていた。
それを聞いて、みんなが笑う。
そんな楽しい時間を思い出に、ファビオラは王都を旅立った。
揺れの少ない馬車の中で、ファビオラとヨアヒムは隣り合って座っている。
通り過ぎる領地や町について、ファビオラはひとつひとつ説明をした。
学生時代は何度も往復した道のりだが、これからはそれも少なくなる。
しみじみと噛みしめるように、景色の流れを味わうファビオラを、ヨアヒムは柔らかい眼差しで見つめていた。
グラナド侯爵領からは、馬車のまま大型船に乗り入れ、エルゲラ辺境伯領まで運河を下ると聞いて、ヨアヒムもバートもそわそわし始めた。
アダンもそうだったが、男性はのきなみ大きな乗り物が好きなのだ、とファビオラは認識を改める。
船の中をあらかた案内し終わると、バートから「あとはお二人で」と言われ、甲板に取り残されてしまった。
どうやらバートなりに気を遣って、ファビオラとヨアヒムが二人きりになれる時間を、つくってくれたようだ。
それに感謝して、読み終わった最新刊の感想を、ヨアヒムと語り合う。
「そう言えば、私はヨアヒムさまからサイン本をいただきましたが、ご自分の分はあるのですか?」
「サインをしてもらえるのは、一人につき一冊までと決まっていたんだ。私はファビオラ嬢のためにメッセージを書いてもらうと決めたから、自分の分はサインがなくてもいいと思っていた。ところが――」
ヨアヒムがそこで、ふっと笑った。
「私の後ろに並んでいたバートが、私の分だと言って、サインをもらってくれた」
ヨアヒムが『朱金の少年少女探偵団』シリーズの熱心なファンだと、バートは知っている。
それならば、『ヤン・ヘンドリックス』のサインが欲しいだろうと、思いを汲んでくれたのだ。
「代金を払おうとしたら、これは誕生日の贈り物ですから、と本を手渡された。バートとは、十年も一緒にいるけれど、そんなことをしてもらったのは初めてだった」
「誕生日だったんですか?」
「ちょっと過ぎてたけどね」
ファビオラは調査不足だった自分を責める。
取り急ぎ、ヨアヒムへの贈り物を用意しなくてはならない。
焦るファビオラと違って、ヨアヒムは少し悲しそうな顔をした。
「ちゃんとメッセージも書いてあった。『ヨアヒムさまへ、長生きしてください』って。それを見て、バートの言いたいことが分かってしまったんだ」
ヨアヒムは幼少期から、命を狙われ続けた。
それをバートが護り抜いたから、今がある。
「バートは、私から離れるつもりだ。これからは自分の力で自分を護れ、と伝えたかったんだろう」
「どうして離れる必要があるのですか? 皇太子になっても、引き続き護衛をしてもらえば――」
「正しくは、バートは護衛じゃないんだ。……暗殺者なんだよ」
「っ……!?」
「これから表舞台に立つ私の側に、そんな裏稼業の自分がいては、迷惑になると思っているのだろう」
ヨアヒムの声が沈む。
長年、連れ添った相棒の考えは、手に取るように分かる。
「バートは決して、人殺しを楽しむような性格じゃない。ただ、技術的に優れていたから、暗殺者として育てられただけで。……以前、言われたんだ。私から離れるときは、新しい職場を紹介してくださいって」
苦しげにヨアヒムが息を吸う。
「だけど出来ることなら、バートにはもう人を殺して欲しくない。これ以上の業を、背負わせたくない。それだけが、生きる道じゃないはずだ」
しかしバートの暗殺術は、誰しもが欲する才だ。
そして本人も、その能力の高さに誇りを持っている。
だからヨアヒムは悩み、どうするべきか、と葛藤していた。
それを打ち明けてもらったファビオラは、自分も力になりたいと思う。
「ヨアヒムさま……暗殺者というのは、気配を感じさせずに近づいて、標的の息の根を止める達人。そんな認識で、合ってますか?」
「他にもいろいろなことが出来るが、概ね、その通りだと思う」
それならば、もしかしたらファビオラは、再就職先を斡旋できるかもしれない。
しかもそれは、暗殺の技術を必要としながら、人を殺さない職業だ。
「ヨアヒムさま、私に心当たりがあります」
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