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肩の上で寝ていたシエルが目を開く。
そして。
魔獣を見るなり。
ぺろりと舌なめずりした。
「待て」
嫌な予感しかしなかった。
シエルの耳がぴくりと動く。
今にも飛び出しそうだ。
だが。
その前に、しゆらが一歩前へ出た。
「待ってください」
「ん?」
「少し変です」
しゆらは森の奥を見つめている。
魔獣がいた方向だ。
「何がだ」
「……わかりません」
そう言いながらも、迷いなく歩き出す。
「おい」
「すぐ戻ります」
全然すぐ戻りそうな歩き方じゃなかった。
「予紬」
ルカが袖を引く。
「追いかける?」
「当たり前だ」
森の中へ入る。
数分。
いや、一分も経っていなかった。
「予紬さん」
前方から声がする。
しゆらだった。
そして。
その後ろにいた。
「……は?」
ルカが固まる。
角を持つ小型魔獣。
さっきの個体だ。
逃げていたはずなのに。
何故かしゆらの後ろをついて歩いている。
警戒もしていない。
「何した」
「別に」
しゆらは首を傾げた。
「話を聞いてもらっただけです」
「話?」
「はい」
魔獣を見る。
魔獣もこちらを見る。
それから。
しゆらの隣へぴたりと寄った。
完全に懐いていた。
「意味がわからん」
「私もです」
たぶん嘘だ。
その時。
シエルが突然低く唸った。
ぐるる……
いつもの嫉妬ではない。
警戒だった。
視線は魔獣の足へ向いている。
見る。
後ろ足。
血が流れていた。
毛に隠れて見えなかっただけだ。
「怪我してる」
しゆらもしゃがみ込む。
よく見ると金属が食い込んでいた。
鉄製の罠。
俺の顔から表情が消える。
「……人間か」
森の中で自然にできる傷じゃない。
狩猟罠だ。
しかも新しい。
錆びていない。
最近設置されたものだ。
「予紬さん」
しゆらがこちらを見る。
俺は罠を外しながら答える。
「近くにいるな」
「人間ですか」
「ああ」
嫌な予感がした。
研究所から離れている。
なのに。
もう人間の痕跡がある。
偶然か。
それとも。
「……追ってきてる?」
ルカの声が小さくなる。
森が静かだった。
風の音しかしない。
だが。
その静けさが逆に不気味だった。
俺は外した罠を手の中で確かめた。
新品同然だった。
最近設置されたものらしい。
だが、よく見ると違和感がある。
軍の刻印じゃない。
人間領で使われる規格とも違う。
罠の金具には、見覚えのない三本爪の紋章が刻まれていた。
「……?」
思わず眉をひそめた、その時だった。
肩の上で休んでいたシエルが低く唸る。
ぐるるる……
逆立った毛並み。
鋭く細められた瞳。
視線は森の奥へ向けられていた。
何かいる。
「下がれ」
ルカとしゆらを後ろへ下げる。
森の空気が変わった。
さっきまで聞こえていた鳥の鳴き声が止み、風の音だけが木々の間を抜けていく。
静かすぎる。
その沈黙を破るように、上から声が降ってきた。
「ほぉ」
全員が反射的に見上げる。
木の太い枝の上。
そこに少女が座っていた。
銀色の髪。
頭には黒い角。
燃えるような赤い瞳。
見た目だけなら十代後半ほどに見える。
だが、その目には年齢では測れない妙な迫力があった。
「儂の罠を壊したのはお主らか」
静かな声だった。
だが敵意は隠していない。
少女は枝から飛び降りる。
ふわりと着地した姿は羽のように軽い。
シエルが警戒を強める。
だが少女は気にも留めず、怪我をした魔獣の方へ歩いていった。
そして傷口を見るなり眉をひそめる。
「暴れおって……」
罠から逃れようと必死にもがいたのだろう。
傷は思った以上に深かった。
魔獣は少女を見るなり小さく鼻を鳴らす。
少女はしゃがみ込み、その額を優しく撫でた。
「痛かったじゃろう」
先ほどまでの刺々しい声とは別人のようだった。
魔獣も安心したように目を細める。
その様子を見て、少女は小さく息を吐いた。
「食料だったんですか」
しゆらが静かに尋ねる。
少女は頷いた。
「そうじゃ。森の仲間達の飯になる予定じゃった」
そう言いながらも、魔獣を撫でる手は丁寧だった。
「今年は獲物が少ない。子供もおるし、怪我人もおる。腹を空かせて待っておる奴もおるからの」
赤い瞳が少しだけ伏せられる。
「だから持ち帰らねばならんのじゃ」
その言葉だけで十分だった。
仲間のため。
それが伝わる。
少女はすぐにこちらへ向き直る。
「勘違いするでないぞ。儂は優しいわけではない」
誰も何も言っていない。
「飢えれば死ぬ。だから食わせる。それだけじゃ」
どう見ても仲間想いだった。
「仲間?」
思わず聞き返す。
少女は胸を張った。
「そうじゃ。夜哭きの森の者達じゃ」
ルカが目を見開く。
しゆらも少女を見た。
やはり。
あの手紙は本物だったらしい。
俺は小さく息を吐く。
「森の外れの家で手紙を見つけた」
その瞬間。
少女の表情が変わった。
「家じゃと?」
今度は本気で驚いていた。
「避難所らしい場所だ」
少女はしばらく黙り込む。
やがて小さく舌打ちした。
「……まだ残っておったのか」
知っているらしい。
やはり関係者だった。
「お主ら、あそこまで行ったのか」
「ああ」
「中に誰かおったか?」
「いや」
少女はほんの少しだけ安堵したような顔をした。
だがすぐにいつもの表情へ戻る。
「そうか」
短い返事だった。
それでも、その一瞬だけ見せた顔が全てを物語っていた。
あの場所にも何か思い入れがあるのだろう。
やがて少女の視線が俺へ向く。
値踏みするように見つめたあと、吐き捨てるように言った。
「人間か」
空気が冷えた。
隠そうともしない嫌悪。
「……そうだ」
少女は鼻を鳴らす。
「解せぬのう。何故半魔共がお主などと行動しておる」
ルカが顔をしかめる。
しゆらは黙ったまま少女を見ていた。
少女は続ける。
「人間は奪う。人間は焼く。人間は殺す」
研究所の炎が脳裏をよぎる。
少女の瞳には強い憎しみが宿っていた。
きっと一度や二度ではない。
何度も同じ光景を見てきた目だ。
「つい先日もそうじゃったろう」
ルカの耳が伏せられる。
しゆらも小さく俯いた。
少女はそれを見て鼻を鳴らした。
「ほれ見ろ。やはり人間は人間じゃ」
その時だった。
しゆらが一歩前へ出る。
「でも」
少女が目を向ける。
しゆらは真っ直ぐ言った。
「予紬さんは違います」
少女が笑う。
馬鹿にするような笑みだった。
「何を根拠に?」
「優しいです」
即答だった。
俺が固まる。
ルカが吹き出しそうになる。
少女も固まった。
数秒の沈黙。
そして。
「……は?」
間抜けな声が漏れる。
しゆらは構わず続けた。
「ご飯くれますし」
「それは普通じゃ」
「怪我も治してくれます」
「研究者ならやるじゃろ」
「抱きしめてもくれました」
「そこは聞いておらぬ」
ルカが吹き出した。
シエルまで鼻を鳴らしている。
少女は額を押さえた。
「解せぬ……」
本気で解せなかったらしい。
「何故そこで抱きしめる必要があるのじゃ……」
誰も答えられない。
俺も答えたくない。
少女はしばらく頭を抱えていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
そして初めて俺をまともに見る。
敵を見る目ではなく、理解できない生き物を見る目で。
「お主」
赤い瞳が細められる。
「何者じゃ?」
森を風が吹き抜ける。
その問いに俺が答えるより先に、ルカが口を開いた。
嫌な予感がした。
「よつむはね」
「やめろ」
「すっごい変人」
「おい」
「研究以外できないし」
「おい」
「でも優しい」
少女が黙る。
しゆらも頷く。
「優しいです」
「お前まで乗るな」
二人とも真顔だった。
少女はしばらく俺を見つめ――
やがて小さく吹き出した。
「……変な連中じゃのう」
少女は小さく吹き出した。
ほんの少しだけ柔らかくなった表情だったが、それも長くは続かなかった。
すぐに赤い瞳が俺へ向く。
警戒。
あるいは嫌悪。
どちらにせよ好意的な感情ではない。
「とはいえ、人間は別じゃ」
やっぱりそこか。
少女は腕を組み、値踏みするように俺を見る。
「お主だけは信用ならぬ」
迷いのない断言だった。
ここまで真っ直ぐ嫌われると、逆に清々しい。
「そうか」
「そうじゃ」
即答だった。
ルカが思わず吹き出す。
「よつむ嫌われてる」
「知ってる」
「よつむなのに」
「どういう意味だ」
「よつむだから」
意味が分からなかった。
少女も同じことを思ったらしく、解せぬという顔をしている。
しゆらだけが小さく笑った。
その時だった。
ぐぅぅぅ……
森の静寂を破るように妙な音が響く。
全員の視線が一斉に集まった。
ルカだった。
「違う」
誰も何も言っていない。
「今のボクじゃない」
まだ誰も何も言っていない。
「絶対違う」
腹は正直だった。
少女は呆れたように額を押さえる。
「腹を空かせておるのか」
「空いてる」
「さっきまで否定しておったじゃろう」
「それとこれとは別」
真顔で言うな。
思わずため息が漏れた。
少女も同じ気持ちだったらしい。
「解せぬ……」
その様子が面白かったのか、しゆらが小さく吹き出す。
珍しい。
声を出して笑った。
ルカもつられて笑い出し、肩の上のシエルまで小さく鼻を鳴らす。
先程まで張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
少女はそんな俺達をしばらく黙って見ていた。
そしてぽつりと呟く。
「……騒がしいのう」
嫌そうな口調だった。
だがその声音には、不思議と棘がなかった。
どこか懐かしむような響きさえある。
俺はその変化を見逃さなかった。
「仲間が多いんだな」
少女の眉がぴくりと動く。
少しだけ迷ったあと、小さく鼻を鳴らした。
「多いのう」
「子供もいるのか」
「おる」
短い返事だった。
だが先程までより声が柔らかい。
「阿呆もおる」
「どこにでもいるな」
「全くじゃ」
即答だった。
その瞬間だけは、人間嫌いの半魔ではなく、面倒見の良い姉のように見えた。
もっとも本人に言えば怒るだろうが。
その時。
不意に風向きが変わった。
少女の表情も同時に変わる。
先程まで残っていたわずかな笑みが消えた。
赤い瞳が森の奥を射抜くように見つめる。
「……まずいの」
「どうした」
「人間じゃ」
その一言で空気が張り詰めた。
ルカの耳がぴんと立つ。
しゆらの表情からも笑みが消えた。
少女はしゃがみ込むと地面へ手を当てる。
しばらく目を閉じたまま周囲の気配を探っていたが、やがて小さく舌打ちした。
「三人……いや四人か」
「追手か?」
「知らぬ」
少女は立ち上がる。
その顔には先程まで見せなかった焦りが浮かんでいた。
「じゃが、この辺りを嗅ぎ回られるのは困る」
その理由は想像できた。
夜哭きの森。
そこには子供がいる。
怪我人もいる。
腹を空かせて待っている仲間もいる。
人間に知られていい場所ではない。
少女は再び森の奥を見る。
そして心底嫌そうな顔をした。
「面倒な時に来おる」
「なら隠れるか」
俺が言うと、少女はしばらく黙り込んだ。
考えている。
いや、迷っている。
本来なら見捨てたいのだろう。
人間を連れて帰るなど論外のはずだ。
だが、このまま放置すれば追手に見つかる可能性が高い。
それは夜哭きの森にとっても危険だった。
少女は深いため息を吐いた。
「……お主ら」
「ん?」
「足は速いか?」
「普通」
ルカが答える。
少女は即座に首を振った。
「遅いのと同義じゃな」
失礼だった。
ルカが頬を膨らませる。
だが少女は構わない。
再び俺達を見る。
しゆら。
ルカ。
傷だらけのシエル。
そして俺。
その視線には露骨な迷いがあった。
しばらく沈黙が続く。
やがて少女は観念したように目を閉じた。
「本来なら人間など連れて行かぬ」
そこで一度言葉を切る。
そしてゆっくりと続けた。
「じゃが、このまま放っておけばお主らは確実に見つかる」
風が木々を揺らす。
少女は盛大にため息を吐いた。
まるで自分の決断に納得していないように。
「……来るか」
ルカが目を丸くする。
しゆらも少し驚いていた。
少女はそっぽを向いたまま続ける。
「勘違いするでないぞ。お主らを助けたいわけではない」
「はいはい」
「返事が軽いのう」
本気で苛立った声だった。
だが。
その言葉は確かに。
夜哭きの森への招待だった。
コメント
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第13話読み終えたわ! しゆらが魔獣を懐かせるシーン、マジで「何した!?」ってなったw そして銀髪の半魔少女も良いキャラしてるね。「人間は奪う」って強い言葉の裏に、きっと辛い過去があるんだろうな…最後の「来るか」のセリフ、ツンデレ最高すぎる🔥 夜哭きの森編、めっちゃ楽しみ!