テラーノベル
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俺達が復帰へ向けて動いていた頃、世界にコロナという災いが渦巻いた。
これは流石に想定外だったが、俺たちはもう自分たちで決めた道を突き進むしかなかった。
そんな中、若井と涼ちゃんの 同居の解消が決定した。当初より、復帰までの期間、と決めていたので、そろそろ頃合いということだった。
部屋の引き上げが始まる前に、俺は最後にと2人の家へ遊びに来させてもらった。
「どうなの2人は。超仲良しになった?」
俺が確認のように改めて2人に問いかける。
「うん、俺涼ちゃん大好きー。」
若井が涼ちゃんに、人たらしの笑顔で臆面もなく伝える。
「あ、ありがとう!嬉しい!俺も若井大好きだよ。」
涼ちゃんは少し照れながらも、ちゃんと若井に応える。2人はなんだか握手まで交わしてしまって、側から見ると若干わざとらしい。だが、こんな軽口を叩けるほど、2人の関係は進展したと見て間違いないだろう。
リビングで少し3人で話をした後、俺は涼ちゃんに部屋を見ても良いかと訊いた。
「そっか、元貴まだこっちは入ってなかったね。」
涼ちゃんは快く承諾してくれ、どうぞ、と部屋のドアを開けた。若井は、じゃー俺ちょっと、と自室に引っ込む。どうせ彼女に電話か何かだろう、と俺は横目で見送った。
涼ちゃんの部屋は、涼ちゃんの香りで満たされていた。色鮮やかで華やかなインテリアが、涼ちゃんによく似合っている。ふとベッドのサイドテーブルに目をやると、可愛らしい小皿に見覚えのある紐が置かれていた。
「これ…切れたんだ?」
「ああ、うん。この間お風呂に入ってたらプチッと。」
それは、俺が活動休止当初に2人に渡した『鎖』だった。あの時、ドロドロとした黒い感情もある中で渡したミサンガは、俺の願い通り2人を俺のそばにとどめてくれた訳だ。
「涼ちゃんは、願い事叶った?」
「うん、ミセスがずっと続きますようにって。もうすぐ復帰だから、願いが叶うよね。」
涼ちゃんは屈託のない笑顔でそう答えた。
そう、これからも、いやこれからこそがミセスのフェーズ2としての正念場なのかもしれない。俺たちのブランディングが功を奏するのか、はたまた…。
そんな大事な時期に、俺は事もあろうにバンドメンバーである涼ちゃんへの恋心に気づいてしまったのだ。いや、きっとこれまでの俺は、心の疼きに気付きながらも、涼ちゃんへの気持ちに無意識だが蓋をしてきたのだと思う。これは愛ではない、執着だと理屈を捏ねて。
今は、3人で走り出したこの時を大切に したい。また、俺がミセスを崩すわけにはいかないんだ。
だから、大丈夫。これからも俺は、蓋をし続けるんだ。
曲作りだけではなく、復帰ライブへの練習も大詰めを迎えていた。 練習中の意見の応酬にも自ずと熱が入る。
休憩中、涼ちゃんがずいぶんと自己練を詰めている様子を見て、俺は少し心配になった。その表情が硬いように感じたからだ。
その夜、俺は涼ちゃんに連絡をした。
『涼ちゃん、今日はそっち行ってもいい?』
『珍しいね、引っ越してから初じゃない?場所わかる?』
『いちお地図送って』
涼ちゃんから地図アプリのリンクが送られてきた。涼ちゃんの新居は、また俺の家の近く。それだけの事でも俺は顔が綻んでしまった。
「おつかれ」
部屋に招き入れてもらった俺は、コンビニで買ってきたお菓子なんかを手渡した。
「あ、ありがとー。適当に座ってて。」
涼ちゃんはいつもの笑顔でコップやお皿を用意する。
「今日さ、だいぶ根詰めてなかった?」
涼ちゃんの飲み物を注ぐ手に少しの動揺が宿る。
「ああ〜、ごめん気にさせちゃった?もうすぐ復帰だし、久しぶりのライブだし、なんか練習してもしても不安が抜けなくってさ。」
涼ちゃんがソファーにいる俺の隣に座り、はい、と飲み物を手渡してきた。
「ありがとう。もちろん不安はみんなあるだろうけどさ、それだけ?」
涼ちゃんは自分の手にあるコップを見つめ、少し言いにくそうに話し始めた。
「今俺が考えちゃってる事言うと、元貴とかみんなはいい気はしないかもしれないと思って、隠そうとしてたんだけど、これじゃあ隠せてないよね。」
「言ってよ。」
「うん…。」
涼ちゃんはひと口お茶を飲むと、ゆっくりとテーブルにコップを置く。
「えっとね。ライブのね、セトリが…」
しばらくの間を置いて、重い口を開く。
「…ごめん、高野とあやかを思い出しちゃって…。」
俺は、謝らないでよ、と涼ちゃんの肩に手を置く。
「どの曲も大好きなのに、今までだって何回も聞いてきたはずなのに、なんか、すごく自分の中で2人がいないことに繋がっちゃって…。 」
そうか。あの時俺が、先に涼ちゃんに全力で寄りかかってしまったから。2人が去った事に対して、俺だけが怒りも悲しみも涼ちゃんに吐き出したから、俺の気持ちは軽くはなっても、涼ちゃんはまだ大きなものを抱えているのかもしれない。
俺は、涼ちゃんの背中を優しくさする。
「あのセトリはさ、我ながら攻めてるよね。俺も、やってて心にグサッとくる時あるよ。」
「曲そのものの思い出とかもそうなんだけど、歌詞がなんか、脱退の事そのまま歌ってるように感じるのもあって。」
「わかる!特に俺あの…」
「「月とアネモネ?」」
俺と涼ちゃんの声が重なる。そっか、涼ちゃんも同じ事感じてたんだ。俺は、不謹慎にも少し嬉しく思ってしまった。
「心にくるよねー、あれ。」
「大好きなんだけどね、あの曲。その時の環境によって感じ方が変わるから、すごい曲だよね。」
「ありがと。」
「他にもさ、あーこの曲はあのライブで初めてやったなぁとか、この曲の時は誰がこー言ってたとか、あんな事もあった、こんな事もやってた、なんていろいろ出てきちゃってね。ごめん、それでちょっと確かに元気なかったかも。」
涼ちゃんが力無く笑う。
「無理に忘れるなんて無理だけどさ、自分を追い詰める為に思い出すのはやめて欲しいな。もし勝手に思い出しちゃって、心が凹んだら、その時はまた俺に話してよ。」
涼ちゃんが少し驚いた顔で俺を見た。
「元貴がそんなに俺を見てくれてたなんて、ちょっとびっくり。」
「なんで。見るよ。」
「あは、ありがとう。いや〜…正直さ、ああやって人が離れてっちゃう時に、ああ俺ってダメだなぁっていつも思うよ。」
涼ちゃんが困った笑顔でまた自分を卑下する。俺はもどかしくなって涼ちゃんに直球を投げた。
「涼ちゃんさ、前も思ったけど、なんでそんなに自分に自信ないの?」
「元貴が自信ありすぎるんだよ。」
涼ちゃんが茶化すように笑って言うが、俺はまだ涼ちゃんを見つめている。
涼ちゃんはバツが悪そうに少し俯いてポツリポツリと話し始めた。
「前に元貴がさ、恋したことあるかって聞いたでしょ。俺は、それなりに人を好きになったことがあるんだけど、みんななんでか離れてっちゃうんだよね。良い人だけど、とか、頼りないから、とか、なんか変な人、とかも言われたことあったかな。」
涼ちゃんが悲しげに笑う。
「俺はさ、元貴とちょっと違うけど、やっぱり元貴に似てるのかも。人を好きになるのが怖いんだ。こんな自分が、誰かを好きになって良いのかなって、どこかでブレーキかけちゃうんだよね。」
そっか、涼ちゃんも…。俺はたまらなくなって、涼ちゃんの首に抱きついた。
「…涼ちゃん、愛してる。俺が愛してるよ。」
「…ありがとう。」
それは、あの日に貴方がくれた言葉。俺の心を解いてくれた言葉。俺だってそうだよ。涼ちゃんを、涼ちゃんのままで、愛してるんだ。だから、俺にもこの言葉をお返しさせてね。
たとえ、貴方とは意味が違う言葉だとしても。
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