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薄暗い裏通りの小道。空気の巡りが悪く、カビ臭く汚れた箱が雑然と並んだ一角は、人ひとりの姿もなくがらんとしていた。
ゼピアの街から南へ下ったあたり。
産業も商業も何もない小さな田舎街マリザイを訪れたフレアとペトラは、イチルから受け取ったメモを頼りに、見るからに怪しげな集落に足を踏み入れていた。
街全体が高さ10メートルはあろうかという土壁に囲まれ、それでなくても真っ茶色で異様な雰囲気の建物の数々は、窓一つなく無愛想この上なかった。壁の周辺には、何かの残骸なのか、フタが開けられたままの空箱が堆く積まれていて、一つ崩せば今にも押し潰されそうなほど不安定だった。
「なぁフレア、本当にこんなとこに人がいるのかよ。あの野郎、ゴミ捨て場の地図書いて渡しやがったな」
ぶつくさ文句を言うペトラをよそに、フレアは積まれた箱の隙間から向こう側を覗いてみた。 やはり見えるのは高々とそびえ立つ外壁だけで、建物の入口さえ垣間見ることはできなかった。
「わざわざこんなとこまできたってのに無駄足だったぜ。フレア、もう帰ろうぜ」
不機嫌に振り返ったペトラの腕が箱に当たり、バコンと音を立てた。
マズいと身体を硬直させるが、箱は簡単に凹み、バランスを崩した箱の雪崩に二人は飲み込まれてしまった。
「なんだよこれ! フレア、大丈夫か?!」
崩れた箱の海を泳ぐペトラは、底に沈んだフレアに手を伸ばした。しかしフレアは反応せず、平泳ぎで箱の上へと這い出たペトラは、フレアの名を何度も呼んだ。
「フレア、何処行った?!」
もう一度呼びかけたところで、今度はペトラの足元から声が聞こえてきた。
「こっちよ」と答えたフレアは、箱の下からペトラの足を引っ張った。
「おい、引っ張るなよ!」
「大丈夫? でもペトラちゃんのおかげで目的の場所が見つかったみたい。これ見てよ」
水に潜るように意を決して箱の海に沈んだペトラは、掻き分けた先にいたフレアに導かれるまま地面を覗き込んだ。そこには地下へ通じる入口らしき扉が付いており、ガチャンと丸のハンドルを回したフレアは、箱をどけながらゆっくりと扉を開けた。
「地下に続く階段だ。なぁフレア、勝手に入っていいのかよ」
「どうせ手ぶらで帰れないもん。お土産話の一つもしないと、みんなにバカにされちゃうんだから」
「それはそうだけどよ……」
「女は度胸って言うよ。ほら、行ってみよ?」
腕まくりして精錬板製の板を持ち上げた二人は、「よいしょ」と声を合わせて扉を閉めた。
地下の空間は途端に闇に包まれたが、すぐに二人に反応したかのようにパッと淡黄色の光が灯った。
「……魔法? やっぱり人がいるのかな」
覆い被さっていたペトラがフレアの上からどきながら言った。
灯りと言っても吹けば消えてしまうほど淡い光だったが、光の袂を追った二人は、浅くて数の多い階段をゆっくりと下った。
開けた踊り場で足を止めた二人は、ぼんやりと見える先の空間を凝視し、ゴソゴソ耳打ちした。
耳打ちの中身は、「フレアが先に行けよ」だの、「ペトラちゃんが先に行ってよ」というなんでもない会話だったが、こそこそ話に気を悪くしたのか、不意に先の部屋からズルッという音が聞こえてきた。
肩をすぼめた二人は、顔を合わせ、「誰かいる」と呟いた。 音の主は麺でもすすっているのか、もう一度ズルズルと音を立ててから、「誰だ」と重低音の効く声で質問した。
再び肩をすぼめた二人は、「ハヒッ!」と気の抜けた声で返事をした。
「……客か? 悪いが今日はもう店じまいだ。帰れ、目障りだ」
もしかして本当に工房なのかもと頷いた二人は、「あの」と恐る恐る話しかけた。
しかし返事はなく、仕方なくペトラが怖怖しながら一歩踏み出した。
「おい、……そこから一歩でも踏み込んでみな。クビが飛ぶぞ」
誰かの忠告でペトラが足を止めるとすぐに、目前を何かが横切った。
思わず尻餅をついたペトラは、あわわと情けなく膝を付いて這いずった。しかし怯まず胸に手を当てたフレアは、意を決して鼻から思い切り息を吸うと、一息で吐ききってしまうような大声で質問をした。
「あの! 私はゼピアでADをやっているフレアと言います。こっちの子は一緒に働いているペトラです。少しだけ、話を聞いていただけませんか!」
緊張からハァハァと呼吸が荒くなったフレアは、返事のない薄暗い廊下の先を見つめた。
すると今度は地面を擦るような音が聞こえてきて、闇の奥から背は高くないが横に大きく歪な影が、ゆらりと立ち昇った。
「AD? なんだぁそりゃあ」
薄らぼんやりした光を背負い現れた影は、二人に当たる全ての光を遮り、目の前に立ち塞がった。
背の丈は二人より少し高いくらいだった。しかしぎゅっと詰まった腕や足はフレアの胴回りほど太く、体全てが筋骨隆々という以外、言い表すが言葉がないほど重厚だった。
顔の下半分にシルバーの髭を蓄え、頭には職人がするシンプルな帽子を被っていた。鬼のような鋭い目玉をぎょろりと動かしたその影は、倒れたペトラを、まるで物でも見るかのように言った。
「鍛錬が足りとらん。丹田に重心がのっとらん証拠だ。どこぞの未熟ものが、ここに辿り着いたのは奇跡か、はたまた偶然か。どちらにしても世も末だ」
蔑むようにペトラを見下げたドワーフ族の屈強なひげの男は、真横に立っていたフレアを下からジッと眺め「これもまた」と嘆いた。それきり二人を無視した男は、何を言うでもなく来客用ギミックを解除してから、奥へと戻ってしまった。
「あ、あの! ご、ゴルドフさんですよね。犬男の紹介で、私たちはここへやってきました」
再び思い切り息を吸ってからフレアが言った。
「いぬお?」と呟いたゴルドフは、「イチルのことか」と自己完結し、会話を打ち切った。
「私たち、魔道具を錬成できるようになりたくて、ここへやってきました。お願いします、私たちに錬成を教えて下さい、お願いします!」
フレアが思いの丈を叫ぶが、奥から反応はなく、代わりにカランカランと何かが転がってきた。
ウイスキーボトルのような形状をした銀色の箱を拾い上げたフレアは、しばし見つめてから、その意味を読み取り、「わかりました」と返事をした。
「……ペトラちゃん、行こう」
「はぁ? おいフレア、行こうってどこへ。まだ話の途中だろうが!」
強引にペトラの手を掴んで表へ出たフレアは、外扉の上に積もった箱の山を派手にぶちまけ、ムスッとした表情を隠すことなく怒りをあらわにした。
状況が読めず、フレアをなだめたペトラは、箱の山から這い出しながらやっと質問をした。
「おいったら。どうしたんだよ、話も途中だったのに」
ムスーっと頬を膨らませたフレアは、右手に持った銀色の小箱をペトラの前に突き出した。
陽の光の下でよく見れば、酒を入れるために用いるリダン膏製の小瓶のようだった。そこでようやく、ペトラもゴルドフの真意を理解した。
「さ、酒もってこいってか、初見の客相手に?!」
「犬男の仲間だし、どーせ変なやつだとは思ってたけど、やっぱり想像してたとおりじゃない!」
フレアに酒瓶を受け取ったペトラは、呆れながら瓶をふるふると振るった。
空の瓶は異様に軽く、当然中身は入っていなかった。 文字通り、使いに行ってこいという意味に違いなかった。
「大人しく言うこと聞くつもりなのかよ。こんな無礼な大人の」
「フンだッ、ここで逃げたらそれこそアイツの思うつぼよ。毎日毎日散々良いように使われて、こっちはアイツのやり口なんて手に取るようにわかるんだから」
「なぁフレア、どんどん口が悪くなってんぞ……」
苛立つフレアをよそに、ペトラは酒瓶のフタを開けようとした。しかし瓶のフタは回らず、ピクリとも動かなかった。
「なんだこの瓶。溶接されたみたいに開かねぇじゃん。どうなってんだよ」
「ふ~ん、なるほどね。今回はそういう方法で嫌がらせするんだ。ペトラちゃん、だったらどうにかして開ける方法を探しましょう。きっと方法があるはずよ」
イチルにいびられる毎日を過ごすせいで、完全にすれてんな、というペトラの視線に気付かず、逆手に瓶を持ったフレアは、積み重なった箱をこれでもかと蹴り潰しながら先に行ってしまった。「待てって」と声を掛けたペトラも、すぐに後を追いかけた。
目ぼしい施設がないマリザイを離れた二人は、近郊で最も発展した街、リールに入った。 察しの良すぎる二人は、どうせこの瓶も一筋縄ではいかないに決まっているという前提の元、大人の思惑など無視し、さっさと魔法商を掴まえ話を聞いていた。
「う~ん、見たことのない封印術式だね。お嬢ちゃん、コイツをどこで?」
「すぐ近くの街です。手に入れたはいいけど、開け方がわからなくて」
「だとしたらこの辺りに残ってる古い精錬製の術式かね。少し待ってな、中がどうなってるか見てやるよ」
専用の魔道具を取り出した魔法商の男は、コツコツと瓶の端を叩くと、今度は目に装着した道具を顔ごと近付け眉をひそめた。しかし時間を要しても表情は一向に変わらず、それどころか険しくなるばかりだった。
「なんだぁ、この瓶。特殊な結界でも張られてんのか、中を見ることもできないじゃないか。なぁ嬢ちゃん、もう少し詳しく調べてみてぇんだが、良かったらコレ、売っちゃくれねぇかな。中身は知らんが興味がある」
ダメですと断ったフレアは、仕方なく瓶を受け取りお礼の小銭を手渡した。
「済まないね」と詫びた魔法商の男に手を振った二人は、別の方法はないだろうかと街をひとしきりうろついてから、街外れの一角で腰を下ろした。
「やっぱ犬男絡みは一筋縄にゃいかねぇな。なぁフレア、前から聞きたかったんだけど、犬男って一体何者なんだ。本当は知ってんだろ?」
はぁとため息をついたフレアは、前にも言ったけどと前置きし、私も知らないと首を振った。
「急にウチを買い取ったかと思ったら、早く金を返せ、もっと施設を大きくしろって、毎日毎日言われるがまま。だけどオーナーなことは確かだし、アイツがきてから施設が動き出したのも本当。それに、もしアイツがいなかったら、今頃ウチは無くなってたと思うし。悔しいけどそれも事実……」
「なんだかよくわからねぇけど、みんなの話聞いてると、それほど悪い奴じゃないのかな。あ~んな顔してるけどさ、口の端っこから牙生えてるし!」
「悪い奴じゃなくたって、嫌なヤツには変わりないもん。私の顔を見れば嫌味ばかり言ってさ。すぐアンデッドってバカにするし」
「……そういやフレアってさ、本当にアンデッドなの?」
「ぺ、ペトラちゃんまでそんな酷いことを?! 私はアンデッドじゃありません。歴としたアンデッドヒューマンです!」
「あ、……ひゅ? なんだよそれ……」
「そんなことどうだっていいの。今はどうにかしてフタを開けて、アイツの鼻を明かしてやらなきゃ!」
他愛もない会話する背後で、何者かがゴホンと咳払いをした。
振り返ると、そこには二人の知らない男が立っていた。