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次が楽しみ☺️
今は江戸時代中期。これは江戸でひっそりと流行っていた本屋、「若葉屋」のお話。
「おっ、伊賀瀬屋さんじゃないですか。今のおすすめはこの狂歌集ですよ。」そう言うのは老舗の本屋、「若葉屋」の大旦那、若葉屋双丸(わかばやふたまる)だ。
双丸は20年ほど前に妻をめとっていました。妻の名は琴。親しみを込めてお琴、と、呼ばれています。お琴は結構な美人で、巷(ちまた)でも有名で、結婚前は平凡な庶民から武士まで様々な人から求愛されていました。お琴の父は時の将軍、徳川家継の遠い親戚ではありますが血を引く朝川政忠忠之助(あさかわただまさちゅうのすけ)と婚約させたがりましたが、お琴はそれを拒否。求愛者の一人でお琴が本当に愛した、若葉屋双丸と結婚したがり、反対する父を母のきよと一緒になんとか説得させて双丸の所に嫁入りしました。結婚してから20年は経つというのに双丸はお琴にデレデレのめろめろです。そしてそんな双丸とお琴の間に産まれたのが、長男の善丸と次男の善吉、長女の鈴(お鈴)、次女のひわ(おひわ)、三男の福寿丸、三女の涼(お涼)、四男の福与丸、五男の清松丸(清松とも呼ばれる)、四女のいそ(おいそ)です。長男の善丸は17歳、次男の善吉は16歳、長女のお鈴(鈴)は11歳、次女のおひわは10歳で、四人は店の手伝いをしています。この物語はお鈴が中心です。
ある日、鈴が本の調達をしたり、接客をしていると母のお琴が声をかけてきた。「鈴や。今日も手伝いお疲れ。いつもありがとう。ちょいと休憩してきなさい。」優しくそう言って鈴の手に小銭を握らせてくれた。母、お琴の思いが小銭の温もりと一緒に伝わってきた。「ありがとう。母様」鈴はそう言って小銭を握りしめて飛び出した。鈴の目的は決まっていた。幽弦茶屋(ゆうげんちゃや)という美味しい茶屋へ行こうと決めたのだ。特に特性あんころ餅は最高だ。他にもわらび餅や八ツ橋、まんじゅう、おもち、するめいかや芋菓子、焼き菓子、鶏肉などおいしくてたまらないものがたくさんある。少しだが日本酒もあって幽弦酒(ゆうげんしゅ)が大人気だ。鈴はどれを買おうか迷いながら幽弦茶屋の道を歩いていきました。「あれ?」気づくと鈴は知らない神社の鳥居の前にいました。すぐに踵を返そうとしたとき、かすかな声をとらえた。「誰?」声をかけても返事はない。鈴は残雪を踏みしめて神社へ入った。その時も声は途絶えなかった。でもその声は聞くごとに弱々しくなっていた。急がないと…鈴は足を早めた。
「そこにいるのね?」鈴はお賽銭箱へ続く階段の下を覗き込んだ。そこには茶色い子犬が震えながらうずくまっていた。よく聞くと確かに「く〜ん」と小さく鳴いている。「子犬?」鈴は驚いたもののすぐに握りしめていた小銭を懐にしまい、子犬を抱き上げ、袖に来るんだ。「ここにいちゃ寒さをしのげないよ。寒いね。寒いね。でも大丈夫だよ。大丈夫。」そう呼びかけ、鈴は幽弦茶屋に行くのを諦め、ものすごい速さで父の店であり、家である若葉屋に駆け戻った。「母様!母様!あ!ひわ!ひわ!おひわ!来て!」若葉屋ののれんをくぐった瞬間叫んだお鈴を見て客はおろか、家族も目を見張った。「なんだい?どうしたんだい?鈴?」お琴が言った。「大変なの!子犬が死にかけてて…おひわ!ひわ!あったかい布を用意して!」そう言ってぞうりを脱いで鈴はあがり、お客に挨拶もせず、奥の部屋へ駆け込んだ。「お鈴ちゃん、子犬一匹で大変なあわてようだな。」お客の一人がいった。「お鈴ちゃんは優しいもの」そんな会話がちらほら聞こえたが、お琴と双丸はは客に詫びた。「すみません。お騒がせして。まだ十一の娘ですゆえ。」二人は丁重に詫びた。客は「へへ。そんなん木にしてないでぇ」と言った。二人はほっとして仕事を再開した。
「大丈夫だよ。子犬ちゃん」おひわは優しく呼びかけてゆっくりと子犬の体を軽く、濡らした布で拭いた。「柴犬…かな?」鈴がつぶやいた。「小さいね。」「そりゃ子犬だからね。」温かい高級の乳とおいしいごはんを食べた子犬はすっかり元気になっていた。
とてもかわいい丸い黒い目をくりくりとさせ、鈴に甘えていた。「ねえ、鈴ねえさん。名前を決めようよ」おひわが言った。「いいよ。決めよ」鈴はうなずき、すぐに言った。「今日ね、幽弦茶屋でずんだ餅を買おうかなって少し考えたの。だから、『ずんだもち』っていうのはどう?ひわ?」「いいね!さすがねえさん!でも少し長いから『ずんだ』でいいと思わない?」「確かに!ありがとう、ひわ!」こうして小さな柴犬の子犬の名が決まったのです。
「誠に申し訳ありませんがしばらくの休みをいただきます。いつ再開するかはまだ分かりません。まことに申し訳ございません。」としょっぱい匂いのするシミをつけた紙に筆で書かれていました。お客は「はてな?」と思いましたがきっと外出かなんかだろうと思い、さほど気になりませんでした。
さて、若葉屋の二階の奥の部屋では嫌な咳が止まらず聞こえてきます。それに混じって、「大丈夫かい?」「何か欲しいものはある?」「暑くない?寒くない?」というような心配する声が聞こえてきます。あの子犬、ずんだの拾い主にして飼い主の鈴が流行病にかかったのです。この流行病はかかったら嫌な咳や喉の痛み、高熱がでて、死亡率が高いという厄介な病で、治るとしてもとても長い年月がかかります。鈴は一週間ほど前に症状がでて、今はとてもひどく悪化しているのです。
それからほんの少しの回復と病状悪化を繰り返して一年。あと4ヶ月ほどで正月です。「鈴、お鈴、聞こえるかい?」「母様…」「あのね、もうすぐ正月でしょう?そこでね、あんたの病が治るように伊勢神宮に初詣に行きたいの。でも私らじゃあ大変だから、ずんだをおかげ犬として伊勢神宮に初詣に行かせようと思うの」お琴がゆっくり話した。「ずんだをおかげ犬?!」鈴は咳と高熱を我慢して跳ね起きた。「それって危険じゃない?」「大丈夫よ。鈴。知り合いの旅人さんに頼んだから。」「…分かった」そう言って鈴は布団に寝転んだ。