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それから数週間、何事もなく順調に撮影は進んでいった。1月下旬にしては寒さが緩み、比較的暖かい日が目立ったのも、良い方向に作用したのだろう。
地方ロケの合間には、周辺の遊園地や動物園でのヒーローショーもこなし、動画の反響も上々。
視聴率こそ莉音たちが率いる《ドラゴンライダー》と拮抗してはいたものの、数々の困難を乗り越えてきたとは思えないほど、獅子レンジャーの撮影は驚くほど順調に進んでいた。
「えっ!?」
そんなある日。撮影を終えて次のスケジュール確認のため会議室に集まっていたメンバーの前で、凛から唐突に告げられた言葉に驚愕の声が上がった。
――「明日は完全オフ」。
ここまでスケジュールをぎっちり詰め込まれていただけに、突然のオフは嬉しいサプライズだが、あまりに唐突すぎて誰もが頭を追いつかせられない。
互いに顔を見合わせ、ぽかんと口を開けたまま呆然とする。
「ここまでみんなほとんど休みなしで頑張ってくれていたからな。撮影本数にも余裕ができた。久しぶりの完全オフだ。ゆっくり羽を伸ばしてくれ」
「たく、兄さんはいつも唐突なんだから……」
蓮は小さく嘆息する。もっと早くに教えてくれれば予定のひとつも立てられるのに。けれど、それが兄らしいところでもある。
昔から肝心なことをギリギリまで言わないのだ。決して意地悪ではなく、ただ、常に全体の状況を見極めてから判断する性格ゆえ。
最初の頃こそナギたちもその“無茶ぶり”に振り回されていたが、最近はようやく慣れてきたようだった。
「まぁでも、久しぶりのオフかぁ。なにしよっかな」
「……」
――ナギと過ごしたい。
ふと心に浮かんだ願いに、蓮は自分で驚いた。
いや、正確に言えば「一緒に過ごしたい」というより「デートに誘いたい」だ。
けれど、ほぼ毎日顔を合わせている仲間に、わざわざオフまで付き合わせるのは図々しいだろうか。
ナギだって、たまには一人でのんびり過ごしたいかもしれないし……。
(でも……)
胸の奥で小さく疼く感情を持て余し、視線をさ迷わせていると――
「……あの……。もしよかったらコレ」
不意に後ろから袖を引かれた。
「?」
振り返ると、弓弦が視線を逸らしたまま、そっと何かをポケットに押し込んでくる。
そのまま、何も言わずに逃げるように立ち去ろうとする背中に、蓮は思わず首を傾げた。
不思議に思ってポケットを探ると、一通の封筒が入っている。
中を覗き込むと、そこには――映画のチケット。しかも二枚。
よく見ると主演の欄に《草薙弓弦》の文字。
恋愛映画の名手と呼ばれる監督が手掛けた期待の新作で、今まさに世間で話題を集めている作品だった。
「えっ、コレ……っ」
混乱する蓮が思わず顔を上げると、弓弦がほんの一瞬だけ振り返り、何かを言いたげに口をパクパクと動かす。
けれど結局声にはせず、プイッと顔を背けると、そのまま早足で出て行ってしまった。
(……ナギと映画に行けってこと、だよな?)
あまりに露骨なお膳立てに、苦笑が漏れる。
「全く……高校生のくせに生意気な真似を」
思わず口元が緩むのを、蓮は必死に隠した。
ほんの少し緊張している自分が、なんだか可笑しい。
映画に誘うくらい簡単じゃないか。
そう自分に言い聞かせ、蓮は意を決してナギの方を振り返った。
「ナギは、明日何か用事がある?」
「別にこれと言って無いけど……急に改まって、なに? あ、もしかして……」
ナギは何を思ったのか、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、蓮の顔を覗き込んでくる。
「……っ」
その視線に思わず目を逸らしそうになるが、グッと堪えて見つめ返した。するとナギがするりと身体を寄せてくる。
ふわりと香るフレグランス。鼓動が自然と速まる。
「も~、お兄さんのエッチ。まだみんないるのにさぁ……」
「え?」
蓮はきょとんと目を瞬いた。何やら勘違いしているらしい。
「改まって聞かれると恥ずかしいじゃん。えっと、つまりさ。……そういう事したいんでしょ?」
最近忙しくて、ゆっくり出来なかったしね――と少し照れながら言うナギに、蓮は危うく持っていた封筒を握り潰しそうになった。
(なんでそうなるんだよ! 俺=ヤることしか頭にないってことか!?)
……まぁ、確かに嫌いじゃないし、むしろ大好きだけれども!
――じゃなくて!
「まぁ、シたいのは確かにそうなんだけど……そうじゃなくて! 明日さ、映画に行かないか? って……誘おうと思っただけだったんだけど……」
「――へ? えっ、あ……」
差し出されたチケットを見て、ナギは自分の勘違いに気付いた。
みるみるうちに首から耳まで真っ赤になっていく。
「あー俺、用事があったんでお先に失礼しまーす!」
「はるみん待って! アタシも! じゃぁまた!!」
「……棗さん、私達も出ましょうか」
「えっ? あ、ははっ……うん。そうだね」
示し合わせたかのように、仲間たちはぞろぞろと部屋を後にする。
残された二人の間に、なんとも言えない沈黙が落ちた。
蓮は居た堪れなくなり、思わず天を仰いだ。
「最悪……」
「ハハッ。まぁまぁ……。僕はそんなナギも可愛いから好きだけどね」
「ちょっとお兄さん! フォローになってないからね、それ!」
顔を真っ赤にして不満げに文句を言う姿が、またたまらなく可愛い。
――あぁ、自分は本当にナギに惚れてるんだな。と、改めて思い知らされる。
「でもさ……僕のこと、ナギの身体にしか興味ないって思われてたなんて、ちょっとショックだったな」
「ち、違っ! そういう意味で言ったわけじゃ……」
「じゃぁ、アレはどういう意味で言ったのかな?」
「うぅっ……それはっ、その……」
もごもごと口ごもるナギに、蓮は苦笑を浮かべ、そっと手を伸ばす。
俯いた横顔に触れ、頬を掌で包むと、吸い付くような柔らかさがじんわり伝わってきた。
親指で目尻を撫でると、ナギは恥ずかしそうに視線を泳がせる。
その姿が愛しくて仕方がない。
「シたくて堪らなかったのは、ナギの方じゃないの? あの言い方だと、一日中抱き合いたいって言ってるのと、あまり変わらないんじゃないかな?」
「だ、だって……」
「だって?」
「最近忙しくて……そんな暇も無かったし……」
モジモジと指先を捏ね合わせながら、視線をさまよわせるナギは、文句なしに可愛い。
本当はもっといじわるを言ったり、からかってみたりしたいのに――
結局ナギがこうして素直で可愛いことを言うから、全部どうでもよくなってしまうのだ。
結局そのあとはナギの家に行き、互いの気持ちを確かめ合うように、何度も抱き合った。
笑い合い、時にからかわれながらも、夜更けまで離れることができなかった。
――そして翌朝。
「ナギ。ほら、起きて……」
「んー……あと10分……」
ナギは羽毛の上掛けを頭からすっぽりかぶって、丸く小さくなった。
「そうやってダラダラしてるうちに日が暮れちゃうよ?」
蓮はため息をつきながらも、問答無用で上掛けを剥ぎ取った。
すると、一糸まとわぬ姿で眠っていたナギの身体が外気にさらされ、寒さに肩をすくめて小さく震える。
……これはこれで、なんだか妙にエロいんだけど。いや、そうじゃなくて!
「うー……」
枕にしがみついて抵抗していたナギは、やがて観念したように重たげな身体を起こした。
「ほら、早く支度しなよ。コーヒー淹れておいてあげるから」
「……頭痛い……身体も怠いし」
ベッドの上で胡坐をかき、寝ぐせでぼさぼさになった髪をぐしゃっとかきながら、不満げに声を漏らす。
「こんな姿、よい子のみんなには絶対見せられないよね」
「……誰のせいだと思ってんの。何回もさぁ……」
「う……それは申し訳ないと思ってるけど……」
蓮は思わず目を逸らした。
止まらなかったのは自分のせいだと分かっている。
――でも、最後の方はナギも結構ノリノリだったはず、なんだけど。
「と、とりあえず支度しておいでよ。待ってるから」
微妙な空気を誤魔化すように促すと、ナギは顔をほんのり赤くしながら、ばっとベッドを飛び降りた。
「取りあえずシャワー浴びて来なよ。ベタベタで凄いことになってる」
「誰のせいだと……」
不満げにぶつぶつ言いながら、床に散らばった服の山からシャツをひとつ掴み取り、そのまま浴室へと姿を消していった。
待つ事約15分。ナギが身支度を終えた。クシャクシャだった髪はセットされカジュアルなハーフコートにざっくりとした網目のマフラー、タイトなジーンズ。ラフないでたちなのに背が高くてスタイルもいいから何を着てもカッコよく見える。
何時もの小悪魔モードも可愛くてちょっと幼く見える彼も中々捨てがたいが、こうして年相応のカッコよさを見せつけられると、本当に年下なのだろうか? と不思議に思ってしまう。
「どしたの?」
「いや、何でも」
蓮がジッと見ている事に気付いたのか、ナギが怪訝そうに振り返った。慌てて何でもない風を装う蓮だったが、やはり隠しきれなかったようで、ナギはふっと笑う。
「まぁいいや。準備もできたし行こ」
「あぁ、そうだね。でも、その前に……」
玄関で靴を履いて、こちらをナギが振り返ったタイミングで頭を引き寄せチュッと軽く唇を触れ合わせる。
「……なっ、なに」
「んー、なんとなく? キスしたくなったから」
「……ッばかっ!」
不意打ちには相変わらず弱いらしい。じわじわと赤くなる頬を誤魔化すようにドアの向こうに消えて行ったナギの後姿に可笑しさが込み上げて来て、ククッと忍び笑いを洩らしながら蓮も慌ててナギの後を追いかけた。
日差しは届いてはいるものの空気は肌を刺すように冷たい。
「やっぱ寒いね」
「そりゃ、冬だもん。仕方ないよ」
言いながら、ナギの腕を掴んで握り自分のポケットの中へ一緒に引き込む。
「ちょ、ここ、外だよ?」
「誰もいないから大丈夫」
「そう言う問題じゃ……」
口を尖らせてブツブツと文句を言いつつもポケットの中で繋いだ手を離そうとしないのは多少なりとも嬉しいから、と言う事だろうか? 繋いだ手に少し力を込めてやると、ナギは俯いてコツンと頭を蓮の胸元にくっつけてきた。
「素直じゃないなぁ」
「……うっさい」
素直になれないところも可愛いと思えるのだから、自分は本当にナギが好きなんだなぁ。と、しみじみ思う。
「今日は沢山楽しもう」
「……うん」
こんなにも心躍る休日はどのくらいぶりだろう? むしろ、初めてかもしれない。
こんな機会を与えてくれた兄と、映画デートのお膳立てしてくれた弓弦にはいくら感謝したってしたりない位だ。
「うわ……凄い」
映画館へ出向くと、壁のあちこちに宣伝用のポスターが飾られていた。普段一緒にいる時にはそんな風に感じないが、弓弦の番宣用ポスターの前で写真を撮っている女性客の姿を見ると、改めて彼の存在の大きさを実感する。
「一緒に仕事してる時は、ただのクールな高校生って感じがするんだけど。こうして見ると、やっぱり有名人なんだなって思うよ」
「確かに。弓弦って凄かったんだ……。わかってたことだけど、格差を見せつけられた感じ?」
「何それ」
思わず苦笑してナギに視線を移せば、彼はポスターを眺めながら眩しそうに目を細めていた。
「だってさ、やっぱすげぇって思うし。俺なんてまだまだ駆け出しで、代表作だって今やってる《獅子レンジャー》だけで……。こうやって主役張って映画に出てるのとか見ちゃうと、やっぱ敵わないなぁって思うし……」
ナギは目を伏せ、羨望と少しの諦めが混じったようなため息をついた。
蓮は胸の奥がきゅっと痛む。
――励ましたい。でも、下手な言葉を並べても届かない気がする。
「……そろそろ行こうか」
「うん」
蓮は敢えて何も言わず、代わりにナギの手をぎゅっと握る。
そのままチケットを手渡し、ゲートをくぐって館内へと足を進めた。
平日の昼間ということもあって場内は思ったより空いていたが、話題作とあって座席はそこそこ埋まっている。
二人は一番後ろにあるカップルシートへ腰を下ろした。
自然と肩が触れ合い、密着する体温が心臓を早鐘のように打たせる。
「……何か、恥ずかしいな」
ナギは照れ隠しのように身体を預け、ぐりぐりと頭を蓮の胸に押し付けてきた。
「え、そう? 僕は気にならないけど」
蓮はそっと肩を抱き寄せ、こめかみに軽く唇を触れさせる。
「っ……ちょっと!」
暗がりで顔ははっきり見えない。けれど、ナギが真っ赤になっているのは気配で分かる。
その可愛さに、笑みがこぼれるのを止められなかった。
「何で? 誰も見てないよ」
「そういう問題じゃなくて、やっぱり恥ずかしいってばっ」
シレっと言いながら唇を寄せると、恥ずかしさのピークに達したのか、ナギがポカポカと蓮の胸を叩きながら、むくれたように唇を尖らせた。
その仕草がまた可愛くて、蓮は思わず笑ってしまう。
「もー、笑うなよ。俺、怒ってるんだから」
「ごめん、ごめん。ナギがあんまり可愛いから……」
そう言って抱きしめると、ナギはボソッと「バカ」と呟いた。それでも抵抗しないあたり、本気で怒っているわけではなさそうだ。
そうこうしているうちに映画が始まり、二人はそっと手を握り合ったまま大画面へ意識を向ける。
物語は、幼馴染の男女が当たり前のように過ごしていた日常が、彼女の病気発覚によって少しずつ崩れていく……というベタなストーリーだったが、演出が良く、どんどん引き込まれていく。
普段あまり映画を観る機会のない蓮ですらそう感じるのだから、隣のナギはどうだろう?と視線を向けると、スクリーンを食い入るように見つめる真剣な横顔があった。
(こういうの、好きなのか?)
意外に思いながらそっと肩を抱き寄せると、ナギは一瞬だけ視線を向けたが、すぐにスクリーンへ戻してしまう。
ちょうど画面の中では、弓弦扮する主人公たちのキスシーンが流れていた。
その場面に釘付けになっているナギを見ていると、胸の奥にチクリとした痛みが走る。
(……こんな風にキスしたいって思ったのかな? それって、なんかムカつく)
どす黒い感情を抑え込もうとしても、一度芽生えた嫉妬はなかなか鎮まらない。
映画の登場人物にまで嫉妬してしまう自分の狭量さに、蓮は自嘲気味に息を吐いた。
やがて長めのキスシーンが終わり、ナギはどこかホッとしたような顔をして、蓮の腕に頭を預けてくる。
その仕草はあまりにも可愛らしく、思わず頬が緩みそうになる。
けれど、さっき芽生えた嫉妬の火はまだ消えきらず、どうしても眉間の皺が抜けなかった。
そんな蓮の様子に気付いたのか、ナギが不思議そうに顔を覗き込んできた。
「どうかした?」
「……別に」
まさか――映画のキスシーンに嫉妬してました、なんて言えるはずもない。
曖昧に濁すと、ナギは怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「嘘。絶対怒ってる」
「怒ってない」
「でも……」
「何でもないって」
顔を背けて言葉を遮ると、ナギは唇を尖らせて不服そうに肩をすくめた。
その表情を見た瞬間、胸がちくりと痛む。――ただの八つ当たりだ。いい歳して何をやってるんだと、自分が情けなくなる。
「もう、何だよ。……じゃあいいよ」
ぷいっと顔をそむけてしまったナギ。
しまった! と後悔が込み上げたときにはもう遅い。
「――る……」
「え?」
「もう帰るから」
立ち上がろうとしたナギの腕を、蓮は慌てて掴んだ。
「待って」
「なんだよ」
「ごめん。……八つ当たりした」
バツが悪そうに視線を逸らすと、ナギは小さくため息を吐いた。
「もぅ……何それ。子供みたいじゃん」
呆れたように呟きながらも、ナギは蓮の手を振り払わない。
むしろ宥めるように、その手の甲を指先で優しく撫でてきた。
「さっきの……キスシーンに、嫉妬してた」
思い切って白状すると、ナギは一瞬きょとんとし、困ったように眉を下げる。
変なことを言って呆れられたか、と不安がよぎったが、その心配は杞憂だった。
ナギは身体ごと蓮に向き直ると、何も言わずにぎゅっと抱きついてきた。
肩口に顔をうずめているから表情は見えない。けれど、耳がほんのり赤く染まっているのがはっきりと分かる。
「お兄さんって、ほんっとに……ほんっとに馬鹿だよね」
全くもって酷い言われようだ。
けれど胸に広がるこの温かさの前では、そんなことどうでもよかった。
蓮はナギを強く抱きしめ返し、二人だけの世界に没入した。
映画を観終えた後は、話題のカフェに寄ったり、ショッピングを楽しんだりして過ごした。
途中で《獅子レンジャー》に気付いたファンに囲まれる一幕もあった。小さな子供だけでなく、いわゆる“大きなお姉さん”層まで熱心に声をかけてくれて――そこで改めて、この作品が幅広く愛され始めているのを実感する。
これまでの地道な撮影やイベント出演が、確実に報われつつあるのだと胸が温かくなった。
――そんな賑やかな時間を経て、外に出れば街はすっかり暗く、イルミネーションが灯り始めていた。
そんな木々の中をゆっくり歩きながら、蓮達は帰路についていた。
右手にはしっかりとナギの手が握られている。
映画の余韻に浸っているのか、ナギは嬉しそうにニコニコしながら蓮の腕に縋りつき、時折思いついたように指を絡めてくる。
周囲が暗くて良かった。
きっと今の自分の顔はとんでもないことになっているに違いない。
「やっぱ、弓弦君ってさ……プロだなぁって思った。なんか、女の子たちが憧れるのわかった気がする……」
「そっか……」
「うん。演技だってわかってるのに俺までなんだかドキドキしちゃったし」
楽しそうに話すナギに悪気なんて無いのだろう。でも、何だかその言葉が面白くなくて蓮はつい素っ気ない返事をしてしまった。
「なんか……妬けるんだけど……」
「え?」
思わず出てしまった本音に、しまった! と口を塞ぐ。ナギはびっくりした様に目を見開いている。
「お兄さんって、結構独占欲強いよね」
「うっ……耳が痛い」
前々から自分でも気付いてはいた事だが、こうもはっきりと指摘されたら立つ瀬がない。
「でも、そう言うお兄さんもいいと思う。だって、それってつまり俺の事大好きって事じゃん?」
クスクス笑いながら見上げてくるナギは何処か嬉しそうで、あぁやっぱりこの子には敵わないなぁ。と、つくづく思った。
「……そう、だな。目に入れても痛くないし、いっその事監禁して僕だけしか見えないようにしてやりたいとか、考えてるし……」
「うっわ、それは流石に引く……」
「冗談だって」
「お兄さんの場合、冗談に聞こえないってば……」
ブツブツ文句を言っているが、それでも蓮の腕を離す気はないらしい。寧ろギュッとくっついて来る所が可愛らしい。
「そんなお兄さんも好きだけど……」
「何か言った?」
「んーん、何でもない」
ポソッと呟かれた言葉は上手く聞き取れず聞き返してみるが、ナギは首を横に振るばかりで答えてはくれなかった。
このまま家に戻るのも味気なくて、国道へ出てバスに乗り海沿いの町まで足を伸ばした。美しい夜景が見られると話題の観光スポットで、公園のすぐ近くには雑誌にもちょくちょく取り上げられる有名なレストランがある。お洒落な店内には静かなBGMが控えめに流れており、耳に心地いい。
「此処のパエリアが美味しいんだ」
どうしても一度ナギを連れて来たいと思っていた店がそこだった。
真夏の繁忙期には予約なしではまずは入れないこのレストランも、流石に冬のこの時期ではすんなりと入店する事が出来、海岸沿いを見渡せる席に通された。
「へぇ、綺麗だね……」
大きなガラス窓は広く取られており、そこからは夜の海を一望できる。ライトアップされた観覧車やビルの夜景はまるで宝石箱をひっくり返したかのように煌めいていた。
「どう? 気に入った?」
「うん。連れてきてくれてありがとう」
にっこりと微笑むナギを見て、蓮は満足げに頷く。
「喜んでもらえて嬉しいよ」
ナギの嬉しそうな顔を見ていると、つれて来てよかったと心の底から思う。
他愛もない話をしながらコース料理に舌鼓をうっていると、突然ナギがテーブルの下で蓮の足をつついた。
「ねぇ、あれ……」
「え?」
顎で指す先には、男性2人が向かい合って座っている。
一人はサングラスをかけ、もう一人は大きめのマスクをしていたため、最初は表情まではよくわからなかった。
だが、料理が運ばれてきて一人がマスクを外した瞬間、周囲の女性客がわずかに色めき立つのが見えた。
「もしかしなくても、あれって……ゆきりん達じゃない?」
変装しても、隠しきれないイケメンオーラ。
ちらちらと視線を送る客がいるのも無理はなかった。
それでも当の本人たちは気付いていないふりなのか、あるいは視線を楽しんでいるのか、堂々と食事を続けている。
「こんなところで何やってんだろ……」
「さぁ……デート、とか?」
まさかこんな所で鉢合わせるなんて思ってもみなかったが、確かにデートスポットとしては雰囲気もいいし、海も見えるからムードはあるだろう。
自分もそのつもりでナギを誘ったのだ。チョイスとしては間違っていない。
「ねぇねぇ。あの二人、どこまでの関係だと思う?」
「どこって、そりゃぁ……」
物凄くいい雰囲気ではあるけれど、“どこまで”と聞かれると答えに窮する。
雪之丞はもちろん、弓弦だって奥手な方だと勝手に思っていた。
けれど今日の映画で見た彼は、そんなイメージを軽く吹き飛ばすほど堂々としていて……キスシーンひとつで日本中の女性を虜
にしてしまうのだから、もし本気を出したら雪之丞なんてあっという間に手のひらで転がしてしまうのかもしれない。
もっとも、目の前の二人はほんわかした空気を纏っていて、とてもそういう関係には見えないけれど。
「……なんか、俺たちと似てるね」
不意にナギが笑いながらそう言った。
確かに――お互いに気持ちは隠しきれていないのに、周囲から見たらどこまで進んでいるのか分からないような、不思議な空気をまとっている。
その言葉に蓮は思わず苦笑し、テーブルの下でナギの手をそっと握り直した。
「あーもうっ、ゆづってば、男になんなさいよ! じれったいなぁ」
「!?」
突然、聞き慣れた声がどこからともなく響き、蓮とナギは顔を見合わせる。視線を巡らせると――弓弦たちの席と自分たちの中間あたり、柱の陰からコソコソ覗き込む怪しい人影が二つ。
「ねぇ、あれって……」
「はるみんと……草薙姉だね……」
二人ともこちらには全く気付かず、物陰に身を潜めて弓弦と雪之丞を凝視している。
「大丈夫だって。あれ、どう見たって両想いだろ」
「でも……ゆきりんがどう思ってるか分かんないし……」
「……覗き見とは、あまり感心しないなぁ」
乾いた笑みを浮かべつつ蓮が声をかけると、二人はびくぅっと肩を跳ねさせ、まるで壊れたロボットのようにギギギ……と振り返った。
「……あ、あはは……これは、えーっと」
「つか! アンタらなんでいるんだよっ!」
「いや、それはこっちの台詞だけど」
困惑する蓮に対し、ナギは肩を震わせて笑いを堪えている。
「僕たちはデートに決まってるだろ? 君たちの場合は……デート、って感じじゃなさそうだけど」
二人は全身黒ずくめ、同じような帽子までかぶっていて、まるでお揃いのスパイごっこ。尾行目的で示し合わせてきたのでは、と疑いたくなる。
「ち、違うの! 今日、この近くでたまたまサバゲーの体験やってて……ガラス越しにゆづの姿が見えたから、それで……っ」
「へぇ~……サバゲー、ねぇ……」
「おいっ、余計なこと言うなよ、クソ女!」
あたふた取り繕う二人のやりとりがあまりに滑稽で、蓮は思わず口元を緩めた。
弓弦も雪之丞も、まだこちらに気付いていない。
――折角のデートを邪魔したくはない。けれど気になって覗いてしまう。
……どうやら、東海と美月も大差ないらしい。
「シーッ、静かに。あの二人に気付かれたら困るだろ?」
「ナギまで……なにちゃっかり参加してるんだ」
「だってぇ……気になったんだもん」
確かにその気持ちはわかる。わかるのだが、もしも見付かった場合を考えると少々厄介だ。
「そんなに雪之丞たち気になるのかい? 僕が居るのに……」
少し拗ねた口調でそう言うと、ナギはハッとした顔をする。
「ごめっ……そんなつもりじゃなかったんだ」
申し訳なさそうに目を伏せるナギは可愛い。こんな風に言われてしまったら、怒るに怒れないではないか。
「……でたよバカップル」
「蓮さんって、案外したたかよねぇ。弓弦にも見習ってほしいわ」
呆れ半分、茶化すような東海と美月の声に、蓮は否定せずふふっと笑った。
俯いて申し訳なさそうにしているナギの頬を、指先でそっと撫でる。
――その瞬間、彼以外の存在なんてどうでもよく思えてしまった。
食事を終えて外に出ると、夜風が頬を撫でる。
ライトアップされた海沿いの公園は、昼間の喧騒が嘘のように静かで、まばらな家族連れやカップルがいるだけだ。
「あ、ほら……ここから下に降りられるみたいだよ、お兄さん」
「へぇ、ここから直接海に出られるのか。下りてみようか」
手を取って歩き出すと、外灯の届かない砂浜は一気に暗く、波の音と潮の香りだけが耳と鼻を満たす。
まるで世界に二人だけが取り残されたかのような錯覚。
頭上の星は、手を伸ばせば掴めそうなほど近く、瞬くたびに二人を照らし出す。
足を取られそうになる柔らかな砂を踏みしめながら、はぐれないようにとナギの手を強く握りしめた。
そのぬくもりが心地よくて――もう二度と離したくないと思った。
聞こえるのは波の音と、時折すぐ側の国道を通る車の音だけ。空を見上げれば、満天の星と月の光。
真っ暗な砂浜に人工的な光は無く、砂浜と海面の境すらわからない。
「流石に寒いな」
「そりゃまぁ、真冬だし?」
クスクス笑い合いながら吐き出す息は白く、凍りそうだ。繋いだ手だけがじんわりと暖かい。
「あ……、あそこにイルカみたいなものがいる!」
「え? どこっ?」
蓮の言葉に反応し辺りを見渡そうとするナギの顎を掴んで、そのまま軽くキスをする。
「冗談だよ。イルカなんてこんな暗いのに見えるわけ無いだろ?」
「~~~ッ」
騙されたと気付いて何も言えなくなったナギの頬に手を添えて、蓮は再びキスを仕掛ける。
ゆっくりと唇を舐めてから、少し強引に舌を割り入れると、ナギは一瞬だけ身体を強ばらせたものの、おずおずと口を開いて蓮を受け入れた。
「……っふ……」
湿った音が響き、長い睫毛が小さく震える。角度を変えて貪るように深く口づける。
歯列をなぞり、上顎を舐め上げるとナギの身体が震えた。
「お兄さん……此処、外……だから……っ」
「大丈夫。誰も見てないよ」
頬を赤くして潤んだ瞳で見つめられ、吐息の甘さにくらくらする。
「んっ……ッ」
誰もいないのをいい事に、そのままキスの雨を降らせる。額、瞼、頬、そして唇へと。
ナギもその気になって来たのか抵抗する事なくそれを受け入れ、腕を蓮の首に回して身を委ねる。
キスの合間に漏れる吐息と、静かな波の音が耳を犯す。
「んぅ……っ、お兄……さん」
甘えた声が蓮の欲望を煽る。
このまま砂浜に押し倒してしまいたい衝動に駆られる――だが、理性がぎりぎりのところでブレーキをかけた。
(……駄目だ。こんなところで、そんなこと)
乱れた呼吸を整えながら、蓮はナギの髪を撫で、額にそっと口づけを落とした。
「――言っとくけど」
「ん?」
「これ以上シたら暫く口利かないから!」
そっと唇を離して釘を刺され、蓮は困ったように頬を掻いた。
「や、やだなぁ……。するわけ無いだろ?」
「嘘ばっか。絶対、このままシてもいいなぁって思ってたでしょ」
じとっとした視線を向けられ、僅かに視線が泳ぐ。流石に、最近では蓮の思考回路を見抜いてきたのか、中々手強い。
「えー……っと……」
「……ねぇ、ホテル行こ? 俺も、キスだけじゃ足りないし……」
するりと股間を撫でながら耳元に艶声が吹き込まれぞくりとした感覚が背筋を走った。
「は……、いやらしいな。そんなに我慢できないんだ?」
「っ、こんな所で襲われるよりマシって話! で? どーすんの?」
揶揄うように首を傾げて笑みを浮かべると、ナギはむっと唇を引き結んで不機嫌そう眉間にシワを寄せる。
だが、早く返事を寄越せと言わんばかりにいやらしく腰を押し付けて来る辺り、彼も期待しているのがわかる。こういう所が可愛くもあり、虐めたくなる所以でもある。
もちろん、ナギを啼かせるのは楽しいし、艶っぽい姿も可愛いから見たいと思うのは当然だ。もとより今日は一日中イチャイチャしたいと思っていたから、むしろ好都合かもしれない。
蓮はクスリと笑い、ナギの髪をそっと指で掬った。
「いいよ。行こうか……ナギからのお誘いを僕が断るわけ無いだろう?」
そのまま髪に口づければ、ナギが少し恥ずかしそうに俯いて擦り寄って来る。
「お兄さんのばか……」
「キミが可愛すぎるのが悪い」
そっと耳元で囁いて腰を抱くと自然に身体が密着し、互いの硬くなった熱に気が付きどちらともなくクスリと笑みを零す。
「僕はこのままでも構わないけどね」
「……変態っ」
「酷いなぁ。変態はキミの方だと思うんだけど? ほら、こんなにもいやらしい……」
意地悪な笑みを浮かべながら、ぐりぐりと腰を押し付けてやるとナギの身体が僅かに震える。
「ぁ……んっ、んッ……だめ、だってば……」
抗う声とは裏腹に、腰を押し付けて来る動きは止めようとしない。寧ろ、もっと強い刺激が欲しいと強請っているようで、自然と口元がにやけてしまう。こんなにも積極的に求めて来るなんて、一体どこでスイッチが入ってしまったのか。
今夜はたっぷり可愛がってやると心に誓い、蓮はナギを抱き寄せる。
肩を寄せ合い歩き出すと、街の灯りが遠くに瞬き始めていた。
「……ほんと、お兄さんって意地悪」
「ナギが可愛いのが悪いんだよ」
耳元に囁くと、ナギは俯いたまま耳まで真っ赤にして、ぎゅっと蓮の腕にしがみついてきた。
冬の冷たい夜気の中、二人だけの熱はひときわ強く――そのまま、ホテル街へと足を運んでいった。
「そう言えば、あの二人……どうなったんだろう?」
火照った身体を横たえ、腕の中でスマホを弄っていたナギが、ふと思い出したように顔を上げて呟いた。
「もしかして、雪之丞たちのこと?」
二人きりで居る時に、他のカップルの事を思い浮かべるなんてナンセンスだ。
何となく気に入らなくて、蓮はナギの首筋に顔を埋める。
「ぁ……っ、ん……急になに?」
「別に。ただ、こうやってる時に他の男の名前を出すのはマナー違反じゃない?」
「何それ……んっ、んっ……だって、気になるじゃん……」
胸の突起に舌を這わせながら問うと、ナギの身体がぴくりと跳ねる。
「……僕と二人で居る時は僕だけの事を考えてよ」
こんなのはみっともないヤキモチだとわかっている。ナギは純粋に友人たちの関係が上手くいくことを望んでいるだけだ。
それは分かっているが、気持ちがついて行かない。
「ふっ……お兄さんてばヤキモチ?」
くすくすと笑いながらナギが手を伸ばして蓮の頬を撫でる。
「そう、だね。……僕は自分で思っていた以上に心が狭いらしい」
「ふは、何だよそれ。まぁ、お兄さんがヤキモチ妬きなのは知ってたけどさ」
まさか素直に認めるとは思わなかったのだろう。ナギはくすくすと笑みを零して蓮の身体に擦り寄って来る。
「ふふっ、でも……そう言うの、ちょっと嬉しいかも……」
「そう? 引いたりしないんだ?」
「しないよ。だってさ、それだけお兄さんが俺の事大好きって事じゃん?」
すりすりと頬を寄せてきて、ぎゅっと腕にしがみついてくる。
その仕草があまりにも可愛くて、胸がいっぱいになる。
「……ナギは本当に、僕を甘やかすのが上手いね」
思わず苦笑しながらも、蓮はその小さな身体を抱き締める。
互いの心臓の鼓動が重なって、冬の夜の冷たい空気さえどこか温かく思えた。
「俺さ、お兄さんがレッドで良かったって思ってる」
「なんだよ。急に……」
「だって、ずっっと憧れてたんだよ? 俺……。一つの役を共有出来るってだけでも凄い事なのに、プライベートでこんな関係になるなんてさ、夢みたいだよなぁって」
すりすりと身体を擦り寄せて、背中にするりと腕が回る。
「正直、最終回なんて来なきゃいいのにって思う」
「っ、」
「だって、そしたら……ずっとお兄さんと一緒なのに」
すり……と背中に指が這い、ぞくりとした感覚が蓮の身体を蝕んだ。
「ナギ……」
「それだけじゃない。弓弦君も、ゆきりんも、はるみんも、美月もみんな好きだし、出来れば皆とずっとずーっと一緒に居たいけど……やっぱり無理、なんだよな……」
ぎゅっと腕に力が入り、少し苦しそうにナギは言葉を吐き出した。そんな姿を見ていられずに、蓮はナギを身体から引き剥がすとその頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「わっ、ちょぉ!? 何するのさ!」
「別に? ただ、やっぱりナギは可愛いなぁって思っただけだよ」
「っ、こ、子供扱いすんなっ」
耳まで真っ赤に染めて拗ねたように俯いてしまうナギが可愛くて、愛おしくて仕方ない。
蓮はクスリと笑みを零して、ナギの額にキスを一つ落とした。
「別に子供扱いなんかしてないよ。子供相手にこんな欲情するなんてあるわけないだろ?」
「……ばか」
耳元で囁きながら腰を押し付けてやると、ナギは恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。その仕草もまた可愛らしい。
「まぁ、色々あったけど楽しい現場だったと僕も思うよ。 色々あり過ぎたお陰でスタッフ間の仲も凄くいいしね。だからさ……、大丈夫じゃないか?」
「え?」
「番組が終わったって、僕らの絆はそう簡単に消えるようなものじゃない。今までアクターとしても裏方としても沢山の現場を見て来たけど、僕も……皆が大好きだから。まぁ、一番好きなのは君だけどね?」
そう言ってちゅっと額にキスをすると、ナギは嬉しそうに笑って首に腕を絡めて来た。
そのままゆっくりと唇を合わせ、舌を絡ませる。お互いまだ少し息が上がったまま、ゆったりとしたキスを繰り返す。
「ね、もう一回シてもいい?」
「……俺が断れないのわかってて聞くんだもんなぁ……お兄さんってば酷いよ」
ぷうっとむくれた顔をするナギも可愛い。
「ナギが可愛すぎるからいけないんだよ」
「……あっそ」
照れてぷいっとそっぽを向くナギ。その横顔が可愛くて、蓮はクスクスと笑いながら、ゆっくりと彼に覆いかぶさった。
ナギの吐息が熱を帯び、重なる影が静かな夜に溶けていく。
もう、この先にどんな未来が待っていようと――彼とならきっと大丈夫。
そう確信しながら、蓮は再び深く唇を重ねた。