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翌日、二人連れ立って現場に行くと、辺りは物々しい雰囲気に包まれていた。
スタッフがバタバタと走り回り、そこかしこから指示の声が飛ぶ。
「おはよう。やけに騒々しいけど……何かあった?」
近くにいた雪之丞に声を掛けると、彼は一瞬ビクッと肩を跳ねさせてから蓮の方に視線を向ける。
「蓮君! えっとボクたちも今来たばかりで何が何だか……」
「私達が到着した時にはもう、こんな状態で……スタッフも誰一人詳細を教えてくれないし、訳がわからないんです」
どうやら二人も状況が把握できておらず、困惑しているようだ。
「現場にはトラブルは付き物だし、俺たちある程度の修羅場は乗り越えて来たけど……今回はなんだろう?」
ナギが不安気に蓮の裾をギュッと握りながら問いかけて来る。
最近は結束力も高まって来ており、いつもならもっと和気あいあいとしている現場で、こんなに雰囲気が張り詰めている事はあまり無かったのに。
スタッフたちの慌てっぷりから察するに、何かが紛失したか、もしくは見付かってはいけない秘密文書が見つかったか……。
それとも、また何かあの役立たず監督が何かやらかしたのだろうか?
「取り敢えず僕は兄さんに連絡を取ってみるよ。 ……そう言えば、美月君は? 今日は一緒じゃ無いのかい?」
スマホを弄りながら姿の見えない美月の行方を問うと、結弦が気まずそうに視線を泳がせた。
「それが……今日は、その……。姉さんとは会ってなくて」
「会ってない? それってどう言う……」
確か結弦は美月と共に実家暮らしだった筈だ。それなのに、会ってないと言うのは一体どういう事なのか。
もしかして、先日のMISAとの一件で自信を無くしてしまって嫌になってしまったとか? いや、まさか! 昨日会った時にはそんな素振りは全く見せていなかった……。 それか何か事件に巻き込まれたとか? 一抹の不安が脳裏を過ぎる。
「昨日は久々のオフだったので……その……友人と少し出掛けてたんです。それで、うっかり終電を逃してしまったので……」
おやおや? これはもしかして? そう言う事なのだろうか?? 昨夜、自分たちが雪之丞とのデートを目撃していたとは露ほどにも思っていない様子の弓弦に、蓮はにやりと笑ってみせる。
「へーえ? なにそれ、意味深だな。もしかして恋人とか?」
「ちっ、違いますよ! 只の友人です!」
慌てた様子で顔の前で手を振る弓弦の顔が赤い。否定のしようがないほど嘘が下手だと蓮は思った。
映画の中の人物と同一人物だとは到底思えない。 チラリと雪之丞の方を見れば、居た堪れないのかスマホに視線を落として聞こえない振りをしている。
もっと突っ込んで色々と聞きたいところだが、流石に今はそんな事をしている状況では無さそうだ。
「まぁ、いいや。その辺の事は落ち着いたらじっくり聞かせて貰おうかな。ねぇ、雪之丞? お前も気になるだろ?」
「ひゃいっ! えっ、え……っあ、ぁあごめんっ聞いてなかった」
こちらは弓弦よりもっとわかりやすい。わざと話を振ってやればあからさまに肩を跳ねさせ、視線を思いっきり泳がせる。 その様子にドs心が擽られ、つい根掘り葉掘り聞きだしてやりたい衝動に駆られたがナギにわき腹を小突かれて、ハッとして口を閉じた。
「もー、駄目だよお兄さん。今はそれどころじゃないでしょ。その件は、後で詳しくと追及しよ? ね?」
「ちぇっ……わかったよ。仕方ないなぁ」
明らかに挙動不審な二人の関係が何処まで進展したのか正直かなり気になるのだが、仕方がない。それにしても、美月も東海も何処で何をしているのだろう?
そんな事を考えていると、背後からバタバタと煩い足音が聞こえて来た。
「はよーっす。あれ? みんな早くない?」
「はるみん!」
小走りに駆けて来たのは、東海だけだった。東海は廊下に集まっている面々を見比べ、何かおかしいと思ったのか首をかしげる。
「おはよう、東海。美月さんは一緒じゃないのかい?」
「あぁ、美月なら凛さんに呼び出されて、随分前に此処に着いてるはずだけど……。確か今日は『役作り』のための個人的な指導を受けるからって前々から約束してるって言ってたから」
「役作り? そっか、よかった彼女に何かあったわけではないんだね?」
「え? う、うん……多分? って。アイツいないのか。って言うか、アンタ
達は廊下で何やってんだ?」
「弓弦君の恋愛事情について追及しようと思ってただけだよ」
「っ!? 何ですかそれっ!? だから、友人との食事会だったと言っているでしょう?」
蓮の一言にすかさず弓弦が目を丸くして反論してくる。その横で雪之丞が顔を伏せて困惑しており、蓮はにやりと口角を上げた。
「草薙君の恋愛事情? 暇人かよ」
「えー、でもはるみんは気にならない?」
「別に。つか、呑気すぎだろ」
寧ろこの状況で動じないあたり、東海の方が大物のような気がする。
「でもまぁ、とにかく。美月さんに何もなくてよかった」
「そうだね」
蓮の言葉に、その場にいた東海を除く3人が頷いた。
「それにしても、じゃぁなんでこんなに慌ただしくしてるんだろう?」
「うーん? 俺ら放置するくらい忙しいって珍しいよねぇ」
これじゃぁ堂々巡りだ。取り敢えずバタバタしているスタッフの一人を捕まえて話を聞かなくては。
顔を見合わせそんな事を話していると、話題が逸れて何処かホッとしたような表情を浮かべた弓弦が小さく「あっ」と声をあげた。
「今、マネージャーからメッセージが届いたんですが……。今日使用する予定だったスタジオの機材トラブルらしいです」
「機材トラブル?」
「はい。マネージャーによれば、朝一で出社したスタッフが現場のチェックを行おうとスタジオを覗いてみた所、天井からメインのライトが落ちていたと」
「うっそ、何それこわっ! あれって落ちるものなの?」
話を聞いて一同騒然となる。もし、演技中に部屋のライトが落ちてきたらと思うと……背筋が凍る思いがする。
「いま、マネージャーが他のスタッフと一緒に、急いで交換用の機材を手配してるらしいんですけど……。いつになるか正確なことはわからないそうです。原因は不明……」
「成る程。それじゃぁ確かに皆、混乱しても仕方ないね」
「……うん。でも、こんなトラブルは滅多にない筈なんだけど……」
ふむ、と蓮は思考を巡らせた。
いくら長年使われてきたスタジオとはいえ、あんな大きな照明器具が“自然に”落ちるものだろうか。
偶然にしては出来すぎているような気がしてならない。
ぞわりと背筋を撫でる嫌な感覚を覚えながら、蓮は無意識にナギの手を握り締めていた。
「あ! 蓮さん居た!」
「え?」
突然声を掛けられ、顔を上げると視線の先には息を切らせた美月の姿。
「良かった。遅いから心配したよ……。と言うか兄さんは? 一緒じゃないのかい?」
「連絡も入れずに遅れたのは本当に悪かったと思ってるの。でも、これには深いワケがあって……」
モゴモゴと口籠る美月に一同は互いに顔を見合わせ首を傾げる。
「それって、機材トラブルの件と何か関係あるのかな?」
「え? 機材トラブル?」
きょとんとして首をかしげる彼女は、とても演技をしているようには見えなかった。恐らく、本当に何も知らされていないのだろう。
「そう言えば此処に来る途中スタッフがバタバタ走り回ってたわね。何があったの?」
「面倒くせぇな。それは後から教えてやるから、そっちでなにがあったのか教えてくれよ」
面倒くさそうに問う東海の声に、美月はふぅと息を吐き出してからすっと視線を前に向ける。
「えっとね、何処から説明していいのかわからないんだけど……。今朝、凛さんに演技の個人指導を受けていたら扉の隙間に封筒が挟まってたの」
言いながら美月はポケットから一枚の白い封筒を取り出して見せる。コンビニでも買えそうな封筒の中には、三つ折りになった紙が一枚入っていた。
一斉に美月の手元を覗き込むと、そこには雑誌や新聞の文字を切り取った文章が貼り付けられており、『ミドウ レンをコウばンさセよ』と、記されて
あった。
「――これ……」
「誰かの悪戯にしては名指しだし、気味が悪くて。しかも……刃物でずたずたになってたのよ。蓮さんのスーツ……」
「えっ!?」
「衣裳部屋は厳重に鍵が掛かってた筈なのに、蓮さんのだけが破れてて……。流石にこれは事件性が高いって事になって、慌てて蓮さんに連絡入れようとしたんだけど、なんでか電波が上手く繋がらなくって……それで、急いで走って来たんだけど……」
美月の言葉に、その場にいた全員の表情が一気に強張った。
「ねぇ、お兄さん……もしかして、天井が落ちて来たのって偶然じゃなくって……」
「蓮さんを狙っていた可能性が大きいですね」
「――ッ」
ぐっと息が詰まるような思いがした。自分が狙われるなんてそんなまさか……。だが、これは明らかに悪意を感じる。
一体誰がこんな事を……。
ゴクリと息を呑む音がやけに大きく響く。ぐっと息が詰まるような思いがした。
自分が狙われるなんて、そんなまさか――そう思いたい。だが、これは明らかに悪意を孕んでいる。
一体誰が、何のために。
答えの見えない問いが頭を巡る中、現場の空気は凍りついたままだった。
「お兄さん……」
「だ、大丈夫……。平気だよ。ナギ……心配しないで」
そうは言っても、明らかな殺意を感じて平気なはずはなかった。
心臓が痛いほど脈打ち、嫌な汗が背中を伝う。
「今、凛さんも対応に追われてるみたいで……。安全が確保されるまでは私たちも自宅待機してて欲しいって、凛さんから伝言を預かって来たの」
「まぁ、確かにそうなるよな」
「……せっかく、軌道に乗り始めてたのに……」
雪之丞の残念そうな声がやけに大きく響いて、出演者全員が重い空気に押し潰されそうな気分になった。
「クソっ……こんな大事な時に……」
「なぁ、オッサン。何か心当たりはないのかよ?」
「うーん……? 心当たりか……」
「この間のさ、アイツじゃない? ほら、蓮さんを昔ケガさせたって言ってた元スタッフ……」
そう言えばそんな奴もいたような気がするが、アイツがそんな手の込んだ事をするだろうか?
凛から次は容赦しないとまで言われていたのに?
だが、衣裳部屋に簡単に潜り込めると言う事は、内部に詳しい者の犯行である可能性が高い。
そう考えれば、現在のスタッフの中に塩田と繋がっている奴が居て、そいつと共謀して今回の事件を起こしたとしても不思議ではない。
前回も、あそこで出会うのは不自然だと思っていたし、もしかしたら裏で糸を引いている誰かが……。
「あの、もしかして……今も、このスタッフに混じって私たちを監視してる誰かが居るって事ですよね?」
「……っ確信は無いけど、そう言う事になるね」
弓弦の言葉に、その場にいた全員が凍り付いた。
今まで和気あいあいとやってきた――数々の修羅場を一緒に乗り越えてきた仲間だったはずのスタッフの中に、裏切者がいるかもしれないなんて。
信じたくはない。けれど今回の一件は、偶然にしては不審点が多すぎる。
誰かが裏で糸を引いている。
その「誰か」は、今もすぐそばで自分たちの様子を窺っているのかもしれない。
そう思った瞬間、背筋を冷たい汗が伝った。
「一先ず、撤収しようか……。あまり迂闊な事は喋らない方がいい」
「うん……そうだね」
蓮の提案に頷きつつも、不安感は拭えない。皆の表情にも一様に影が落ちている。
映像のストックは2週分ほど残っていたはずだ。データを消されたりしない限りは放送日に間に合わないなんてことはないだろう。
「ごめん、みんな。僕のせいで……」
「お兄さんのせいじゃないって! 悪いのは犯人だし!」
「ナギ……ありがとう。でも……」
流石にこうもトラブル続きだと、流石に堪える。
犯人、もしくは共犯者が今までずっと一緒にいたのかと思うとゾッとしてしまう。
「あーぁ、ほんっと迷惑! こんなに人に恨まれるってどんだけだよって感じ」
「ち、ちょっとはるみん! 何言って……」
「だってそうだろ? 美月だって、今回の仕事を足がかりにしていろんな仕事したいって言ってたじゃん。まぁ、草薙くんは既に超有名人だから、痛くも痒くもないんだろうけどさ、それでも多少は草薙結弦ってネームブランドに傷がつくだろうし?
ナギだって、有名になりたいんだろ? このトラブルって、結構マイナスじゃねぇの?」
いつもの調子で、さらりと毒を吐く東海だったが、言っていることは尤もで正論でもある。
蓮は、無言で唇を噛み締めた。
「そりゃ、俺だって、有名になりたいよ。でも、だからってお兄さんのこと迷惑だなんて……」
「本当かよ。 まぁ、アンタはそうかもな。この人のこと大好きだし? 」
「そっ、それは……っ」
顔を真っ赤にして慌てふためくナギに、東海はフンと鼻を鳴らして肩をすくめた。
「この際だから言うけど、オレ……。オッサンの事初めて会ったときから大っきらいだったんだ」
「……っ」
「はるみん! ち、ちょっと!」
「無駄に顔だけは良くて、華があって、ブランクあるとか言ってる癖にいきなりの主役抜擢。しかも、あの凛さんが兄だろ? 演技も下手くそなぽっと出のお坊ちゃんかと思えば、ムカつく位演技は上手いし、意外と紳士的なとこもあるし。腹立つんだよ」
これは褒められているのだろうか、けなしているのだろうか? 判断に迷う。
「俺等がどんだけ努力したって、どんなに頑張ったって、アンタは一瞬であっさり追い抜いていく。そういうところが嫌いだった。……でも、今は少し違う」
東海は真っ直ぐな目で蓮を見つめた。その強い視線に射竦められそうになる。
「凛さんが言ってたんだ。 アイツは天才だって。一度見た台本は全部頭ん中に入ってるし、言わなくても感覚で演じ分けられる。凛さん曰く、とんでもない逸材なんだって。ただ、何でもできる分、思考が中学生くらいで止まってるから敵も多いんだって。最初は、そんなわけ無いだろって思ってたんだけど……」
そこで一度言葉を切り、東海は言いにくそうに頭をかいた。
「ずっと一緒に居たらわかる事ってあるじゃん? 凛さんの言うとうり、ほんっとガキみたいだなって思う所も多々あるし、コイツどうしようもねぇなって思う事もあるけど……でも、現場に入ってアンタが台本読んでんの見たことないし、稽古の時とか撮影に対しては割と真摯に役と向き合ってる。演技してる時のアンタは、確かに凄い。それは認める」
不器用な言葉だけど、それが東海なりの最大限の賛辞だということは伝わってきた。
胸の奥が少し熱くなる。
「……なんだよ、それ。結局褒めてるのか、けなしてるのかどっちなんだ」
「どっちもだよ。オッサンは、ムカつくくらいすげぇ役者だ」
東海の真っ直ぐな視線に、蓮は思わず苦笑を漏らした。
「はるみん……」
「だから! はるみんって呼ぶなつってんのに! って、そうじゃなくってさ……。なんっつーか……飄々とこなしてへらへらしてる分、色々と誤解されやすいんだろうなって。だからさ、えぇっと……何が言いたいかっつーと……要するに、アンタの良さに気付けない誰かの恨みをかって、嫌がらせをされてるんだと思う。流石にこの一件はやり過ぎだとは思うけどさ」
東海はそこまで一気に言うと、深く息を吐き出した。嫌味な言い方ではあるが、これは彼なりの精一杯の励ましの言葉なのだろう。
「なんだ、もー……いきなり不穏な事言い出すから、ドキドキしちゃったじゃない」
「はるみん、いい性格してるよね。俺も、もう付き合ってられるか!ってバラバラになっちゃうのかと思った」
「あのなぁ! オレがいつそんな事言ったよ!?」
「言ってたじゃない。いい迷惑、だとか不安を煽る事ばっかり」
美月の言葉にナギも雪之丞もウンウンと頷く。
「ボ、ボクも東海が呆れて降りるって言い出すのかと思った」
「うっ、棗さんまで……」
普段大人しい雪之丞にまでそう言われて、東海は言葉を詰まらせた。
「なんだかんだ言って、はるみんってば蓮さんの事好きでしょ? よく、あの動きは凄かったとか、どうやったらあんなキレがでるんだ? って、撮影した蓮さんの映像ガン見しながらめちゃくちゃ言ってるし」
「なっ、馬鹿女! 何言ってっ!」
「へぇ~……そうなんだ。ふぅん、それは知らなかったな」
蓮はにやにやと悪い笑みを浮かべながら、東海の肩をがっしりと掴んだ。秘密を暴露されたのがよほど腹が立ったのか、東海は首からジワジワと赤くなりながら掴んでいた手を振り払らいバッと距離を取った。
「あぁ、そうだよ! 悪いかよ! でも、だから余計に腹立つだろ! いいモン沢山持ってんのにこんなトコでわけわかんねぇ卑怯な奴らに足を引っ張られてさ、なんで怒らないんだよ……。なんでそんなに落ち着いてられる? 普通、もっと焦ったり怒ったりするもんだろ!?」
ヤケになって捲し立てる東海に、蓮はふっ……と表情を和らげた。
普段あまり感情表現が豊かとは言えない彼にしては少し珍しい表情だ。
「ありがとう。はるみん、普段あまり話してくれないから、そんな事思ってたなんて知らなかったよ」
微笑みと共にそう言えば、東海は更に顔を赤く染める。何か言いたげに口をパクパクとさせながらも言葉にならないようで、その様子を一同がニヤニヤと見つめていると気付いた彼は恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。
そして照れ隠しのように小さく舌打ちする。素直じゃない所が彼らしいなぁと思う。
「でも、多分だけど……。今ここで僕が取り乱したり困った顔をしたり、騒ぎたてたらきっと犯人の思うツボだと思うんだ。確かに一旦引退した身だから僕の事を快く思っていない人が何人かいるのも知ってる。昔はもっと尖ってたから敵も多かったし。正直、心当たりがあり過ぎて犯人の検討も付かないけど、僕は獅子レッドを降りるつもりはないし。やっぱり、この仕事が……ここに居るメンバーが大好きだから……誰がどれだけ邪魔をしてきても、僕は役を降りる気はないよ。流石に、他のメンバーに白羽の矢が立ってたらキレてたかもしれないけど」
真っ直ぐ前を見つめ、ハッキリとそう告げた蓮に、東海もナギ達も黙り込んだ。
「でも、これからどうするんです? 照明が降って来るとか流石に警察案件だと思うんですが」
弓弦の一言に一同は再びうーんと口を閉ざした。沈黙を破るように、蓮は小さく息を吐く。
「……警察への報告は兄さんに任せよう。僕らは下手に騒ぎを広げず、此処は指示に従って自宅で待機すべきだと思う」
そう言い切った蓮の声は、先ほどよりも強く、揺るぎない響きを帯びていた。
その言葉にナギも、美月も、そして東海もゆっくりと頷く。
だが――胸の奥の不安が完全に拭えたわけではない。
犯人はまだ、このどこかに潜んでいるのだから。
「警察に公表する気は無い」
突然、降って湧いた声に一同が一斉にそちらを振り返る。
そこには疲れ切った表情の兄の姿。
「御堂さん、どういうことですか? 事件性が高い以上はきちんと捜査してもらった方が……」
「ちょっと面倒な事が起きたんだ」
「面倒な事……? 僕を降板させろっていう脅迫文の事ならさっき彼女から聞いたよ」
蓮の言葉に凛は首を横に振る。
「いや、違うんだ……それとは別件で……」
「……別件?」
意味深な言葉に一同が首を傾げると、凛は苦虫を噛み潰したような表情でナギと蓮を見た。そして、重い息を吐きだすと困ったように頭を掻きながら口を開く。
「取り敢えず、小鳥遊君と蓮以外は戻っていい。すまないが状況が落ち着いたら連絡をするから、それまでは待機しておいて欲しい」
「どうしてですか!? どうして、オジサンとナギだけ!? 俺らは蚊帳の外なんてそんなの嫌です!」
珍しく東海が食って掛かる。だが、凛は無表情のまま首を横に振った。
「これは……小鳥遊君と蓮の問題だ。他のメンバーには関係ない」
その言葉に全員が息を吞んだ。そして、暗に自分達は仲間ではないと宣言された気がした。勿論、凛がそう言う意味で言ったわけではないのは全員わかってはいるが……それでも何となくショックを受けているだろうことは容易に想像がついた。
「兄さん、もっと他に言い方があるだろ……」
「いいんだよ、これで……」
「でも……」
食い下がる蓮に凛はそっと目を伏せた。そして小さくため息を吐くと再び全員の顔を見て口を開く。
「少し……。いや、かなり込み入った話になるから今は言えないが……。一歩対応を間違えれば共演者のお前らにも被害が及ぶ可能性がある。特に草薙君は知名度が高い分、巻き込まれたら無傷では済まない筈だ。対応をこれから考えるから、それまでは待機していて欲しいんだ」
「無傷では済まないって……。蓮さんと小鳥遊さんが関係していると言う事は……ゴシップ関係ですか?」
「え……」
弓弦の冷静な言葉に思わずナギは声を上げる。
胸の奥に嫌な予感が広がっていく。
――ゴシップ。
それはつまり、自分とナギの関係が世間にバレたという事だろう……。
「……っ」
心臓が早鐘を打つ。息苦しいほどの沈黙の中、凛は何も否定せず、ただ重く瞼を伏せていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 二人は確かに傍から見てもイチャイチャしてたけど……撮られてたって事?」
「あぁ」
凛の言葉に重い沈黙が下りる。
「……どうして……俺ら別に悪い事なんて何もしてないのに」
「ナギ。 キミはどうしたって有名人だから……、ごめんね。僕がもっと注意深く周りを見ていればこんな事にならなかったんだ」
悔しそうに歯噛みし、拳を震わせて俯くナギの肩を抱こうとしたが、触れるか触れないかというところでその手を降ろした。
ナギの言うとうり、確かに自分達は何も悪い事はしていないし、出来る事なら大きな声で世間に自慢の恋人なんだと公表したいとも思う。
だが、現実はそんな甘い物じゃない。
まだまだ世間は同性愛については厳しい一面を持っているし、芸能人のゴシップネタなんて普通の男女でも炎上する世の中だ。これが出回れば、ナギと蓮は世間のバッシングに晒される事になる。
凛もそれは分かっているのだろう。その拳が怒りか、悲しみか、悔しさか……固く握り締められている。
「とにかく、対応を考えるから暫く撮影は中断。それと、小鳥遊君はしばらく自宅謹慎。蓮は今日から俺の家に泊まる事」
「は!? ちょっと待ってよ兄さん! なんでナギだけが自宅謹慎なんだ!」
凛の言葉に納得いかないと蓮が抗議の声をあげる。その表情は今まで見た事がないほどに悲痛に歪んでいた。
「当然の措置だと思うが? 言っておくがお前も俺の家から一歩も出ることは許さない」
「そんなの……横暴じゃないか」
「横暴? あれほど周りには気を付けろと言っていたのに、こんな記事を書かれたお前には言われたくないな」
凛の口調は冷たかった。珍しく怒っているのか、その目は鋭く蓮を射抜いている。その視線に一瞬気圧されるも、グッと拳を握って負けじと睨み返した。
――ナギを守れるのは、自分しかいない。
互いの視線がぶつかり合う。
張り詰めた空気の中、誰も口を開けず、ただ重苦しい沈黙だけが流れていた。
「兄さんこそ……相変わらず過保護過ぎだよ。どうして僕だけ……」
「お前が、狙われているからだ。切り刻まれたスーツをお前は見たか?」
「……いや……それは、見てない……けど……」
「あれをやった奴は、相当お前に恨みがあるようだ。狙われていると言う事は、お前の住んでいるマンションもバレている可能性が高い。お前を守るためだ……わかってくれ」
悲痛な面持ちで語る凛に、蓮はそれ以上何も言うことができず俯いて強く拳を握り締める。 なぜ? どうして?
犯人は一体何の目的があってこんな事を……。
「蓮君……悔しいのはわかるけど、今は凛さんの指示に従おう?」
「……っ……クソッ……」
オドオドとした口調で雪之丞に窘められ、蓮は唇を強く噛んだ。口の端が切れて血の味が滲んだが今はそんな事はどうでもいい。
「わかった。ナギ……、みんな……巻き込んでごめん」
「謝んなよオジサン。 大丈夫! きっと何とかなるって! おれはいつか近いうちにまたみんなで撮影出来るようになるって信じてるから」
「そうよ。悪いのは犯人なんだから! ナギ君も蓮さんも、何にも悪い事なんてしてない! それはアタシたちが一番よく知ってるし、信じてるから! だから、謝らないで」
「……はるみん……美月……」
二人は蓮の両手を握って力強く頷いた。そして、二人の言葉を引き継ぐように弓弦と雪之丞も口を開く。
「御堂さん、今は我慢しましょう。情報が少なすぎる……何か解決策はないか、私の方でも調べてみますから……」
「ボクも……大した力にならないかもしれないけど……」
「お兄さん。大丈夫、今生の別れじゃないんだからそんな顔しないで。俺なら平気。実家に戻って大人しく弟の世話しとくよ」
その言葉に胸が熱くなるのを感じた。こんなに心強い味方は居ないだろう。そう思うと自然に目頭が熱くなり涙が零れそうになったので、それを誤魔化す様に鼻を啜る振りをして蓮は天井を見上げた。
「みんな、ありがとう……」
その言葉にそれぞれが安心しきったような微笑みを浮かべる。まだ何も解決していないが、今はこれで良いんだと思う事にした。
そんな四人の様子を見て凛は一人頷いている。そしてそっと蓮の肩を抱き寄せたかと思うとその頭を優しく撫でた。
「兄さん……?」
「……すまない」
その言葉は一体誰に向けての物だったのか……、そう呟いて辛そうに眉を顰めるとそのまま強く抱き締めてくる兄に、蓮は何も言えなかった。
「……何も心配するな。お前は俺が守るから絶対に」
凛が何を思っているのかは分からなかったが、敢えて追及することはしなかった。