二十五
ゴールを見届けた神白は、ガッツポーズをした。自陣側へ向き直り、感情を爆発させながらダッシュを始める。
天馬が近づいてきた。顔の全部で笑っている。神白は満ち足りた思いで笑い返し、天馬と並走を続ける。
センターラインまで至った。ぱしんっと背中に衝撃がきた。振り向くと、暁だった。野性味のある笑顔を神白に向けている。
神白は、暁に負けない大きな笑顔を返した。他の選手も集まってきて、神白を讃えている。
(やった! 初得点! それも、優勝を決定づける値千金のスーパー・ゴールだ! 誰にも文句は付けさせない! 今日のヒーローは、俺だ!)
狂喜する神白は、ベンチに目を遣った。エレナは泣き笑い、レオンは感服したような男前スマイルだった。隣ではゴドイが、興奮しきった表情で叫んでいた。ロレンソは開いた口が塞がらないといった面持ちである。
ルアレはすぐにボールを戻し、試合を再開させた。だが集中しきったヴァルサの守備に、決定機を作れない。
ピッ、ピッ、ピー! 試合終了を告げるホイッスルが鳴った。喜びのあまり神白は叫んだ。ヴァルサのベンチは、神白の得点時以上の盛り上がりである。
やがて両チームの選手はコート中央に集った。審判がヴァルサの勝利を告げた後、握手へと移行する。
「ちぇっ、負けちゃったか。でもなんか清々しい気分だよ。でも次は勝つからね」手を握った瞬間、オルフィノは呟いた。幼さの残る顔は、さっぱりした微笑の表情だった。
「今日はお前の天才を否応なしに見せつけられた。最後の俺のセーブも、ほとんど山勘だったしな。けど次にやる時は完全に止めるからな」
強い視線をオルフィノに遣って、神白は断言した。オルフィノは受け流すかのように微笑み、手を解いた。
次に神白はモンドラゴンと握手した。モンドラゴンは難しい面持ちで、一言も漏らさなかった。神白も空気を読んで、余計な台詞は口に出さなかった。
握手の時間は終わり、両チームの選手は客席へと歩いて行った。ヴァルサの十一人は手に手を繋ぎ、横一列になって観客席を仰ぎ見た。神白は感動のあまり涙ぐみながら、皆に合わせて両手を挙げた。
だが、ぼとん。神白の眼前を物体が通過した。神白は既視感を感じつつ、落下物に目を遣る。丸々肥えた、豚の頭だった。
二十六
(また、豚の……。俺が、何を──)神白は衝撃のあまり固まる。すると、観客たちが次々と立ち上がり始めた。
「裏切り者が、恥を知れ!」「どの面下げて俺たちの前に出られんだ!」「ろくでなし(Gilip○llas)!」「糞野郎(Cabr○n)!」
放送禁止用語すら用いて、ルアレのファンは神白を罵倒した。容赦は一切なく、皆、憤怒の表情で声を張り上げている。
ファンたちはヒートアップし、物を投げ込み始めた。中年の女性が上手投げで卵を放った。べちゃり。避ける気力もなくなった神白の頭に命中。ぬるりとした感触が生じる。警備員たちが止めに入った。それでもファンたちは、神白への罵詈雑言を止める気配はない。
(はは……。何だこれ。なんて運命だ。禁断の移籍をやらかした俺は、一生こうやってぼろくそに言われて……。下手すれば何かの拍子に命まで落とすんじゃあ……)
絶望のあまり目眩すら覚え、神白はくらりとよろけた。その時だった。
「やめて!」
悲壮な調子の女の声がした。神白ははっとして顔を上げた。
エレナだった。神白の前に立ち、庇うかのように大きく両手を広げている。
「サッカー選手はいろんな理由で移籍をするのよ! キャリア・アップのため、お金のため、家族の生活場所を変えるため。それがどんなものでも移籍は、彼らが真剣に考えた結果なの! 部外者が責めて良い道理なんてない!」
懸命そのものなエレナの説得に、ファンたちは投げる手を止めた。(エレナ──)神白の胸にじわりと暖かいものが生じる。
「神白君はなんにも悪いことはしていない! だからこれ以上、神白君を責めないで! お願い!」
エレナが言葉を切ると、あたりに静寂が訪れた。神白の口元は自然に綻んだ。おもむろに歩き始め、エレナの前に出る。
「神白君……」不思議そうな囁きに神白は振り返った。エレナの頬のあたりは涙に濡れており、両眼は赤くなっていた。
「ありがとう、エレナ。もう大丈夫だ。あとは俺の出番だよ」心からのお礼を告げて、神白は客先に向き直った。
「ルアレのファンの皆さん。ご存知でしょうが、僕、神白樹は十五歳の時にルアレからヴァルサに移籍しました。それから必死に頑張って成長し、今ではヴァルサのフベニールAの正ゴールキーパーにまでなれました。僕がルアレにいた頃に受けた、ファンの皆さんからのサポートのおかげです。感謝してもしきれません」
吹っ切れた思いの神白は、客席を直視し高らかに告げた。ファンたちの表情から毒気が抜け、物を投げ込む手が止まる。
「これからも僕は、より優れた選手になるために全力で努力します。その過程で移籍をする可能性はありますが、ルアレに戻るつもりは今のところありません。でも絶対に、皆さんから受けた恩を忘れません。ルアレと戦う時は全力を尽くして、両チームのファンが楽しめる試合にすることを誓います」
力強く言い切った。晴れやかで爽快であまりにも満ち足りた心持ちだった。
しばらくして、卵を投げ込んだ女性がぱんっと手を叩いた。顔付きは、泣き出しそうにも見える切ないものだった。そのままゆっくりと拍手を始める。
やがて、他のファンたちも続いた。多くの者が神白に、優しい微笑みを見せている。
「良かったね、神白君」背後から小声が聞こえた。神白は後ろを見返り、瞠目した。エレナの身体は、現れた時と同じ神聖な光に包まれていた。
「君はサッカーでも精神面でも大きく成長した。私の役割はこれで終わり。だからとっても名残惜しいけど、ここでお別れだね」
エレナは寂しげに呟いた。表情は、諦観を滲ませた穏やかな微笑だった。
「結局、私が何者かはわからないままだったよね。初めて会った時は進んで言いたくないって話したけど、当てて欲しい気持ちもちょっとあったりしたのよ。ほら、美人の女心は秋の空みたいに複雑だか──」
「カタルーニャ独立運動に便乗した偽デモ隊に殺害された、ヴァルセロナSC・フェメニの選手。それが君の正体だ」
神白はぴしりと断言した。驚いた様子のエレナは、大きく目を見開いた。