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「月島!」
「月島?」
「おいどこだ月島!」
「あっ月島!」
「月島ァん!」
(面倒臭い………)
時は明治、かの有名な金塊争奪戦も、沢山の人を翻弄した鶴見劇場も幕を閉じ、各々の人生の再スタートを決めた。
ある時、不死身と謳われた元軍人の一等卒は、山奥でアイヌの少女とひっそりと暮らして。
そしてまたある時、奇公子だとからかわれたひとりの薩摩隼人(かっこいい)(イケメン)(眉目秀麗)は、自身の元部下(現右腕)を伴侶に迎え入れ仲睦まじく暮らしましたとさ。
(って、ちょっと待て。なんだこの結末は。おかしいだろう。)
と、ひとつの物語の結末に頭を悩ませる男がひとり。意外と小柄な背丈と、短く刈り上げた坊主頭、そしてオマケに首の後ろの大きな傷跡。いくら察しの悪い者でも分かるだろう、この男こそが噂の薩摩隼人と生涯添い遂げた男、月島基なのである。
そりゃ勿論、この男も初期の頃は一生涯添いとげる事を素直に頷きやしなかった。世間体がなんやら、お家はどうするのですか、貴方にはもっと良い人がいる。耳にタコができるほどには何百回も聞いたそのセリフ。
だがそんな堅物を丸め込んでとうとう添い遂げるまでに至ったひとりの青年には拍手しか送ることは出来ない。
話を戻そう。
この男、月島基が悩んでいるのはその事だけじゃない。むしろその事はもうどうでも良いのだ。過ぎたことだし。
悩んでいるもうひとつの事柄、それは ───────
「月島ァ!」
後ろから声が聞こえてくる。同時に駆け寄ってくる足音も。
俺、月島基が悩んでいる最大の原因がこれ、これなのだ。
用がないのにも関わらず、俺の姿を見掛けるとまるで雛鳥かのように名前を永遠と呼び続けてくる。一時期はノイローゼになりそうな気持ちも垣間見えていたが、今となっちゃそんなことはもう慣れっ子だ。それに呼ばれる度に腰にゾワゾワとなんだか知らない感情が蓄積されていく。最初は嫌悪感だと思ったが、添い遂げる、ましてや恋仲であるあの御方に嫌悪感などを抱くはずがないとひとり考えていた。
それに、最近になってやたらと呼ぶ回数が増えた気がする。いつもより三割増、いや五割増と言っても良いくらいだ。一体何がしたいのだろう、いつもいつもこの御方の思考は読み取れない。自由気ままで天真爛漫、俺が補佐に着いたばかりの頃よかは落ち着いた気もするが。
「月島ァ?おい、聞いとるのか。なァん」
クソ、発情期の猫みたいな声出しやがって。こんな声でも腰が栗毛立つのを感じる。俺の身体はどうしてしまったと言うのか。一拍置きはしたが、生憎無視出来るという立場でもないので渋々ながらに言葉を返す。
「……今日もお元気そうでなによりです。どうか致しましたか」
皮肉たっぷりの笑顔で後ろを振り向き、見上げるようにして鯉登の顔を見る。随分と大きくなってまあ、俺の顔一個分くらいは差があるのでは無いのだろうか。
「……月島ァん…」
なんなのだ、なにがしたいのだこの御方は。先程返事を返してやったというのに、またこうだ。一体何が目的なんだ?
「ハア……何かあるなら口でお言いなさい、鯉登少尉」
怒り通り越して最早呆れの境地にまで至った俺は、至って普通の、そこらの貴婦人達が談笑する様な声色で返してやる。これが幸をなしたのか否か、目の前の上官は途端に笑みを浮かべて上機嫌になる。
「……ウフフ。なんもなか、だいじょっだ」
なにが大丈夫だ、なにが。こちらとしてはモヤモヤして気分が晴れんままだというのに。まあでも昔からこういうところもあったし、仕方がないと思うしかないのだろうか。まとまらない思考が俺の頭の中を支配していく。こんな事でウダウダ考えていても無謀なのはハナから分かっているはずなのだが。
「ところで月島、今晩は暇か?」
なんだ、やはり用事があったんじゃないのか。翻弄されてばかりの俺と、そんな事を気にも留めていないこの御方のコントラストが歪で仕方がない。だが今の俺の頭の中はそんなことよりも今言われたその五文字で頭の中が真っ白になった。途端に顔を逸らして小さな声で呟く。
「……晩酌、ですか。」
な訳あるか。心の中で自分にツッコミを入れる。だがこうでもしないと年上の矜持を保てないのだ。まるで生娘のように頬と耳、おまけの首元まで赤く染めた俺が言えるセリフでは無いと思うが。被っている軍帽を更に深く被り直す。顔だけは見られないように、とせめてもの抵抗だった。
「むう、分かっとろうに。言わせるとは随分と意地が悪くなったものだな、月島軍曹?」
揶揄うように、己の階級を込めて名を呼ばれる。途端に背筋に良くないものが走った気がして、慌てて顔を逸らした。そうにも関わらず未だ顔を覗き込もうと視線を絡ませてくる彼の心境が理解出来ない。見ないでくれ。そう心中で願って止まなかった。
「今晩、私の私邸に来い。時間帯は分かってるな?……逃げるなよ。」
ずるい御人だ。普段は左頬に傷が出来る前とさほど変わらぬ様子なのに、こういう時ばかり勇ましくなった貴方を垣間見せてくる。その目に穿たれると俺は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまうというのに。
するり、俺の顎を一撫ですれば満足気に微笑んで、まるで己の頼んだ事を断られる理由など見当たらないと言っているようで。憎らしくて堪らない彼、だけれど俺の中では最愛の人で。愛おしいが答えてやりたくない、そんな感情が混ざりあってぐちゃぐちゃになってしまう。
「は、…承知しました。……逃げるなど滅相もない。」
結局、俺は素直に頷くしか方法は無いようだ。
少尉殿、少尉、鯉登少尉殿。あの端正な唇から紡がれる己の名が妙に色っぽくて、それを言わせるが為だけに彼の名を何度も何度も呼んでしまう。多分、それをあの堅物は鬱陶しいやら面倒臭いやら不敬な事を思い浮かべているのだろう。バレていないとでも思っているのだろうか。何年傍にいると思ってる。
彼、月島基が己の私邸に来るまでの時間、これから彼を抱くというのに似ても似つかない事を思い浮かべてしまう。
「はあ、月島ァ……はよ来んかばかすったれ…」
風呂も身支度も、彼を気持ちよくする準備も。何もかもが整っていて、あとはメインの彼だけを待つのみだ。その間何をすれば良いか分からなくて、彼の事を考えるあまりその思考に陥ってしまった、というのがこの話のオチだ。
「…大体、昼間のアレはなんだと言うのだ…アレで誘っとらんというのなら世も末じゃ……」
頭を抱えながら新任少尉の頃とさながら変わらぬ声色でグチグチと不満を述べる。果たしてそれを不満と言って良いのかは知らないが、綺麗に整った髪をわざと崩しながら溜息を吐く。
と、玄関口の方からノック音がする。と同時に、「月島です」と名乗るあいつの声がする。ようやっと来たか、待ちきれんかったぞ、あいつの顔を見たらそう言って飛び付いてやろう。それ一心で足早に玄関口へと向かう。途中、己の家だと言うのに転けそうになったが、現役軍人少尉の体幹でどうにか持ち堪えた。
「つきしまァん!待ち草臥れ…た、ぞ?」
がらり、今すぐにでもその扉をぶち壊すほどの勢いで開けてやりたかったが、己が彼が来ただけでそんなに浮かれていると勘付かれたくなかったのと、一応夜中だからと自制した。さて、これから完璧なエスコートを……と、持ち前の強い顔面で微笑みかけたのも束の間。いつもと様子が違う彼。具合でも悪いのだろうか。
「ど、どうしたつきし…」
「おやめください」
ぴしゃり、叱責するような言葉が私の呼びかける声と重なる。な、なんだ?何か変な事をしてしまったか、私は。もしかして昼間いじめすぎたか?上官名目丸潰れの動揺の仕方をかましてしまえば、どうすれば良いかも分からずに彼の言葉の続きを待つ。
「……私の、俺の名を呼ぶのは…おやめください。」
「……ッキェ?」
驚きのあまりに不発の猿叫の様な声が漏れる。ないごて?ないごて?私の頭の中ははてなマークで支配される。なぜ呼んではいけないのだ。
「な、ないごて?月島、」
「ッそれ、それですよそれ!」
焦ったように声を荒らげる月島と、この状況を未だ上手く飲み込めていない鯉登。その絵面はシュールで仕方が無かった。
取り敢えず中へ入れ、身体が冷える、とどうにか丸め込んで自室へと案内をする。長い廊下を歩いて行く途中、あいつとわたしの足音だけが廊下に反響していて、どうにも静かでむず痒かった。
その後無事に自室に着き、適当に座れと促す。律儀にも正座を取った彼を、「崩して良い」と軽く言いそこから胡座になるまで数分の時間を要した。
「で、だ。理由を聞かせてもらおうか、つきし……んにゃ、軍曹。」
ついいつもの癖で名を呼びそうになったが、いかんいかんとかぶりを振って階級名に呼び直す。私だって普通に呼びたいのだ、己の部下兼恋仲の名を。でもその恋仲が嫌だというのならばそれに素直に従うしかないだろう。
「…お恥ずかしい話なのですが、最近貴方に名を呼ばれる度に…その、腰が変に疼くのです。このままじゃ業務もままならない……」
至って深刻そうに、事の事態の深刻さをひしひしと訴えかけるようにして言葉を紡ぐ彼。風呂上がりなのだろう、少しだけしっとりとした坊主頭。憂いを帯び視線を落とす翡翠色の瞳。その話を聞いている私は、至って平常で居られなかった。いてもたってもいられなくなり、目の前の男の腕を掴んで興奮した様子で言葉をかける。
「軍曹……いや、月島。」
「ッ、だからおやめなさいと…!」
やはりそうか。
ふ、ふふ、と笑みがこぼれるのを隠しもせずに、予備動作も無く立ち上がる。結果的に私が彼の腕を引っ張り上げる形になり、彼は訳も分からず膝立ちを強いられる形となった。膝立ちと言っても片足だけなのだが。
まるで今からプロポーズでもするのだろうか、そんな思想を彷彿とさせるその体形に嫌に気分が高鳴る。なぜだかは己でも分からなかった。
「……こいと、しょう…ッ」
恐怖と期待が綯い交ぜになったその表情。堪らんな、たもってしまおごたっ。そんな事を耳打ちしながら噛み付くように口付けを交わす。彼の生温い口内が嫌に愛おしく感じてしまって、隅から隅まで舐めあげたい、なんて。
「ン゛、ッぅあ、しょ、ッ……ンん…!」
彼の顎をもう片方の手で掴んで逃げ道を封じる。己のせいで顔が赤く染っていく様を見るのは、なんとも言い難い感情で。
かわいらしい。
三十路すぎの男に抱く感情では無いその六単語。キスの合間に此方の国言葉でかわいらしいという意味を持つ〝むぜ〟と何度も何度も言い放てば、徐々に力を無くしていく彼の腕を見て、これまた笑みが止まらない。
「ッは、ッつ、…ぅ゛、ッ〜〜、……」
しまった、やりすぎた。と、情けなく項垂れる気持ちが半々、もっと壊して、こいつも知らないような快楽を引き出して、未だ形を保っているその無表情の面を情けなく壊してやりたい。性欲って怖いな、そんなことを他人行儀に思いながら、今から己の手で壊す彼の最後の姿を目に焼き付けた。