テラーノベル
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夕暮れ前の静かな公園。
ベンチに腰掛け、ギターを抱えた高校生の指先が軽やかに弦を弾く。 その音色は柔らかくて、まるで風と溶け合っていくようだった。
「 ♪〜 … 」
「 わぁぁ、⸝⸝ 」
そのギターを、いつも一人の少年が聴いていた。 歌声まで加われば、もう目を離せないほど綺麗で、胸の奥にすっと染み込んでいく。
「 お兄さんっ、すごい! 」
少年は瞳をキラキラ輝かせながら言った。
少し濃い緑色の髪が風に揺れ、赤く澄んだ瞳が嬉しそうに光る。
高校生は優しく笑って、短く答えた。
「 ありがとう。」
その笑顔はギターの音よりもきらきらしていて、少年はその瞬間を胸にしまった。
それからというもの、少年は毎日のように公園へ行き、 彼のギターと歌を聴くのが日課になった。 まるで宝物の時間のように。
そんなある日
いつもの時間。
いつもの公園。
いつものベンチへと、少年は駆けていく。
「あれ……」
そこにいるはずのお兄さんが、どこにもいなかった。 ギターの音も歌声も、風のどこにも混ざっていない 。 ベンチは空っぽで、ただ静かに夕陽だけを浴びていた。
数年後
「 ん”、、…… あれ? 」
目を開けると、なぜか洗濯機の前にいた。
肩や背中が痛く、体の向きが微妙に窮屈だ。
「 え”っ!? なんで!? 」
困惑しながら起き上がろうとすると、元気な声が耳に入る。
「あ、やっとお兄ちゃん起きた! もー、起きるの遅いよ?」
そこには彼の妹が立っていた。 昨日は妹の誕生日で、テンションを上げすぎた結果、なぜか洗濯機の前で寝落ちしてしまったらしい。
「お、俺……昨日ベッドで寝てたよね?」
尋ねると、妹は口をクシャッと歪めて笑う。
「何言ってんの、『俺、洗濯機と結婚してくる』って言ってたよ。」
「……その俺を殴りたい」
呟きながら、昨日の自分の奇行を思い出して顔をしかめる。
その時、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いが漂ってきた。
「 いい匂い……お母さんが焼いたのかな?」
だが、ほんの少し焦げた匂いも混じっている。
「焦げ臭い……」
「あ、多分それ私」
「でしょうね」
朝食を済ませ、制服に着替える。
鏡の前で立ち止まり、右耳のイヤリングを軽く弄る。 指先でネイルの剥がれも確認し、細かいところまで気を配る。
「 よし、準備おっけい っ! 」
鏡に向かって小さく頷き、スクールバッグを肩に掛ける。 深呼吸をひとつして、ドアノブに手をかけた。
「 行ってきまーす! 」
元気な声を残し、ドアを開ける。 まだ静かな家の廊下に、その声だけが響き渡る。
「 …… 」
窓から外を眺める。 目に映るのは、庭に堂々と立つ一本の大きな木。
季節は春。木の枝先には淡い桜が咲き誇り、風に揺れる花びらが柔らかく舞い落ちる。
「 ……綺麗だな」
ベッドに腰掛け、ベッド用の小さなテーブルに肘をついて本を手に取る。
本の文字を追いながらも、視線はしばし窓の外へ。 これが、彼の朝のルーティンだった。
ふと横の鏡を見る。
そこには、整った顔立ちの彼が映っている。
だが、目の下には薄いクマが少しだけ刻まれていた。
眠れていないわけではない。
むしろ、十分な睡眠時間は取れている。彼は眠りたくないのだ。悪夢にうなされるから。
あまりに辛い夜が続いた時期には、精神科に入院するほどだった。
深く息をつき、気持ちを整える。
「 ……準備しよ」
制服に袖を通し、きちんとボタンを留める。
ベルトを締め、ネクタイを整え、胸の中で小さな決意を固める。
そして、静かにリビングへと歩みを進めた。
「 おはよう、みこと。」
「 ん…おはよう、お兄ちゃん。」
リビングに入ると、兄がエプロン姿で朝ごはんを並べていた。 湯気の立つ味噌汁、焼き鮭、少し焦げた卵焼き。 兄なりに頑張って作ったのがよく分かる。
「 よく寝れたか? 」
「 うん、寝れたよ。」
みことは軽く首を縦に振った。
「 そっか、顔洗ってこい。」
「 うん。」
にゃーお
「 あ、ハル っ ! 」
足元にふわりとすり寄ってくる温かい毛玉。
西園寺家、愛猫のハルだ。黒い毛並みに黄色い瞳の、大人びた性格。
「 おはよ。挨拶してくれたん? 」
しゃがみ込んで頭を撫でると、ハルは喉を鳴らして目を細める。
にゃぁお…
その声に、胸の奥がふっと軽くなる。
みことにとってハルは、唯一確実に「安心」をくれる存在だった。
父親は——多分、今日も病院にいるのだろう。
最近は帰ってくる回数がめっきり減って、夕飯の席も空いたまま。
みことは洗面台の前で顔を洗いながら、昨日観た昼ドラの場面をふと思い出した。
(まさか、お父さんが浮気なんかしちゃって、あのドラマみたいにドロドロになるんじゃ!)
ありえないと思いつつ、でも心のどこかで不安がちらつく。 ドラマのあの「修羅場」が頭をよぎり、思わずブルッと肩を震わせた。
(奥様役の人、すごい怖かったなぁ…お母さんが怒った顔とそっくりやった…)
母親は、小学校の先生だ。
優しくて、些細なことでも心配しすぎるくらい。 みことが眠れない日が続いた時も、ずっと寄り添ってくれた。
そして兄。
みことの夢を「絶対叶えろよ」と背中を押してくれる、頼れる存在。 1週間前に外国から帰ってきて、今は家にいてくれる。
家族はバラバラのようで、でもどこか繋がってる。
んにゃーお…
「 ん?なぁに?」
ハルが足元で鳴き、みことの不安を小さく切り裂く。 撫でると、ふわっと温かい。
「 ……よし、 」
顔を拭き、軽く息を整えて洗面所を出る。
朝食の湯気がゆらゆらと上がる食卓。
兄は味噌汁をすすりながら、ぽつりと言った。
「 みことも今日から2年生か…いやぁ、時の流れは早いな。」
「 そっか、…お兄ちゃんもあと五年したら、三十路 なんか … 」
「 やめろ、聞きたくない。」
「「 …ふふっ、 」」
2人は顔を見合わせて、笑った。 笑い声が小さく弾けて、リビングに朝の明るさが広がる 。
登校の時間。
みことは玄関で靴紐をきゅっと結ぶ。兄はドアのところに立ち、腕を組んで見ていた。
「 今日は、すちと一緒に行くんだろ?」
「うんっ、すちくんが、部員を集めるの楽しみって言ってた。」
「 これ、渡しといて。」
「 手紙? 」
兄は白い封筒を差し出す。
「そう。…あ、お前、中身見るなよ。」
「 俺そんな非常識人じゃないよ…」
むくれながらも、みことは大事そうに封筒を受け取った。
スクバを肩にかける。
「行ってきます。」
「ん、行ってらっしゃい。」
兄が手を軽く振る。みことは外に出た。
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