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山奥にあるその稲荷神社には、昔から妙な噂があった。 夕方以降に鳥居をくぐった者は帰ってこない。
社の奥で鈴の音を聞いたら振り返ってはいけない。
白い兎を見つけても、絶対に追いかけてはいけない。
そして。
水色の狐に名前を呼ばれたら――もう人間には戻れない。
そんな、子供騙しみたいな怪談。
けれど人間っちゅうんは不思議なもんで、怖がるくせに近づきたがる。
肝試しやら動画撮影やらで、毎年ようけ人が来る。
まあ、そのほとんどは途中で逃げ帰るんやけど。
……帰れた者は、な。
「また来よった」
僕は社の屋根の上に座りながら、小さくため息を吐いた。
月が綺麗な夜やった。
木々の隙間から射し込む青白い光が、石段をぼんやり照らしとる。
その先を、若い男二人組が懐中電灯片手に歩いてきよった。
「マジで出んのかなー」
「狐の化け物とか? ウケる」
ぎゃはは、と下品な笑い声。
僕は耳を伏せた。
嫌いやねん。
ああいう笑い方。
ここは遊び場やない。
……ここは檻や。
化け物を閉じ込めるための。
「帰った方がええよ」
気づけば、僕は石段の途中に立っとった。
二人は「うおっ!?」と驚いて懐中電灯を向けてくる。
白い髪。
白い着物。
赤い目。
夜の神社で見るには不気味すぎる格好やったやろう。
「誰?」
「神主?」
僕はにこ、と笑う。
「神主ちゃうよ。案内人」
「案内人?」
「せや。ここに入る覚悟がある人だけを導く役目」
そう言って、社の奥を指差した。
「この先には“お狐様”がおる」
二人は顔を見合わせたあと、また笑い出した。
「うわ、設定ガチじゃん」
「演技うま」
……あーあ。
終わった。
僕は心の中で手を合わせた。
「最後に聞くで」
僕は笑顔のまま言った。
「ほんまに行くん?」
「行く行く!」
「じゃあ、どうぞ」
瞬間。
――カラン。
どこからか鈴の音が鳴った。
空気が変わる。
神社全体が息を潜めたみたいに静まり返る。
「……は?」
二人も異変に気づいたらしい。
さっきまで騒いどったくせに、顔色が青くなっとる。
その時やった。
「こんばんはーっ!」
無邪気な声。
社の奥。
闇の中から、ふわりと水色が揺れた。
月光を溶かしたみたいな髪。
細い目。
口元に浮かぶ笑み。
そして。
九本の、水色の狐尾。
「っ……」
二人の喉が引き攣る。
ああ。
見てもうた。
かわいそうに。
「人間だー!」
そいつ――いむくんは、嬉しそうに駆け寄ってきた。
足音はせん。
まるで地面を滑るみたいに近づいてくる。
「ねえねえ、遊ぼ!」
「ひっ……」
「なんで逃げるの?」
いむくんが首を傾げる。
本当に不思議そうに。
悪意なんか一切ない顔で。
……せやから余計に怖い。
「僕、ずーっと一人だったんだよ?」
にこ。
笑う。
「だからさぁ」
ぞわり。
空気が凍った。
「君達の“中身”、ちょうだい?」
次の瞬間。
悲鳴が山中に響いた。