「そう、乳腺炎。母乳を長い時間あげないでいると乳腺が妊娠前の状態まで戻っちゃうのよ。でも母乳の生産は急に止まらないから乳汁うっ滞がおこちゃうの。後は、赤ちゃんに吸われて傷になってもなる場合があるのね。さあ、搾るわよ! はい、はい、さっさと脱いで! おっぱい出してね」
腕まくりをしながら笑いかける滝沢さんの迫力に気圧された。
優しいのに押しの強いコノ感じ、親戚のおばさんみたいだ。
キツネにつままれたような気持ちで上半身裸になり、滝沢さんの指示で布団に横になるとバスタオルで上半身を包まれた。
そして、タオルの隙間から左胸をむき出しにされ、声が掛かる。
「はい、始めるわよ。ウチは、母乳でがんばっているママさんの駆け込み寺、母乳マッサージの専門なの。これだけ張っているとちょっと最初は痛いかもね」
と、左胸にホットタオルが乗せられ少しずつ圧が加わる。
滝沢さんの手によって、もみほぐされ始めた。
「ああ、ココがシコっているわね。チョット痛いわよ」
グッッと押されると思わず痛みで「うっっ!」と声が上がる。手に力がはいり敷布団を掴んで握りしめた。
「痛いわよね。でも、酷くなると手術だから、それよりマシだと思って頑張って!」
手術という言葉を聞いてゾッとした。美優を預けるにしたって、いとこは仕事しているから何日もお願いする事も出来ない。それぐらいなら揉まれて痛いのぐらい耐えてみせる。
時折、うめき声をあげてしまったが、滝沢さんによる左胸の施術が終わった頃には、あんなにコチコチになっていた胸が、プルプルのプッチンプリンのように柔らかくなっていた。
肩も物凄く軽い。
「スゴイ! スゴイ! 嘘みたい!」
感激していると滝沢さんが笑顔で言う。
「今度は右のおっぱいね」
がーん!
そうですよぇ。右のおっぱいもパンパンなんだもの。でもあの痛みをもう一度体験するのか……。
手術するよりマシだよね。うっっ!
「はい、頑張ったわね。おっぱい触って見て」
右胸に手を当てるとさっきまでの痛みがウソのように引いて、柔らかな感触があった。
「もう、大丈夫だけれど、今日と明日はお風呂に入っちゃダメよ。断乳なんでしょう。何回か来るといいわよ」
「はい、通わせて頂きます」
衣類を身に着け立ち上がると、まだ、立ち眩みがして壁に手を付いた。
「元は、退治したけど、まだ、無理は禁物よ!」
と滝沢さんに注意された。
その通り、熱は、まだありそうだ。
滝沢さんが大きな声で「終わったわよ」と声を掛けると、朝倉先生が美優を抱いて入ってきた。
「少し顔色が良くなった」
朝倉先生は、ホッとした表情で私を見つめる。優しくて温かな瞳に私が映り、ずっと、その中に留まっていたくなる。
「朝倉先生ありがとうございました。美優の世話までして頂いてすみません」
「病人は遠慮しないで甘えていいんだよ」
朝倉先生は、ふわりと柔らかい微笑みを浮かべた。
尊い……。
「滝沢さん、急にお願いしてすみません。助かりました」
「朝倉さん家とは、長い付き合いですもの気にしないで、お姉さんたちのお子さんが大きくなってしまったけど、まだあなたが居たわね」
滝沢さんが、大らかに笑いながら朝倉先生の肩をポンポンを叩いた。
「で、翔也さん、いつの間に結婚したの?」
ぎゃー! ダメ!
今すぐにその滝沢さんの余計な口を塞いでしまいたい。
「あの、結婚していません。朝倉先生とは、お仕事をご一緒させて頂いているんです」
すると、滝沢さんが朝倉先生に向かって言う。
「なにやっているの! だめじゃない! 女手一つなんて大変なんだから サッサと観念して結婚しておしまいなさい」
あちゃ~。やめて~。
「滝沢さんには、敵わないなあ」
朝倉先生は追求を躱すように、ニコッと笑う。
うっっ! いたたまれない。今の返しで収まって欲しい。
「いつまでも過去の事を引き摺っていないで、落ちて来た幸せを見逃しちゃダメよ。幸せになるのよ。いい? わかった?」
えっ? 朝倉先生の過去?
「はい、はい、わかりました。もう、勘弁してくださいよ。滝沢さん」
朝倉先生は、笑いながら受け流していた。
私にだって、将嗣との過去があるように。この年になれば、いくつかの恋愛の過去ぐらい誰にだってある。
良く考えたら、私、朝倉先生にお姉さんたちがいる事ぐらいしか知らないんだ。
幾度も助けてもらっていて、朝倉先生に恋心を抱いたとしても朝倉先生から見たら私は、ただの仕事相手。人の良い朝倉先生は親切で手を貸してくれているだけで、特別でもなんでもない。
まあ、いつもボロボロで、マイナス得点の時にしか会っていないから女としてどうよ? って、話よね。
ザ・パーフェクトの朝倉先生の恋人になんて相応しくない事ぐらい、わきまえないといけない。
はぁ、自分がもっと、要領が良かったら見込みのない恋心なんてサッサと捨てて、自分にとって有利な道を選択できるのに……。
自分の心なのに自分でままならない恋心とは厄介な病だ。