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――えー。嘘ー。そうなんですかー。わー。わたしすっごいファンなんです! 作者様に会えて感激ぃー!
……なーんて言えるほどわたし、お子様ではない。
わたしはこう告げる。「そんな話、信じられるはずがないじゃないですか」
すると男は、
「アザミのキャラクターは、昔好きだった女の子をサンプリングしたの。涙道に小さなほくろがあってさぁ。髪が長くて……可愛い女の子だったんだよね。いつもは髪をおさげにするんだけど、たまにさ。体育以外のときにさ。外すと――パーマがかかってるみたいでね。あ、でも、直毛の女の子だからウェーブがかかるのは一瞬で、しばらくすると元に戻っちゃうんだ。その一瞬のウェーブが見たくって……どうしようもなく好きだったね」
前を向いたまま淡々と語る男を見てわたしは面食らった。――よっぽどの読書家か? という線も捨てきれないが……、
「――『碧川』っていう架空の町は、おれの出身地である石川県緑川市をモチーフにしたの。夏祭りんとき担ぐのは、本当は、キリコっていうでっかい灯篭なんだけど、読者はイメージが湧かないだろうから神輿にしたの。そのほうがアザミが入りやすいと思ってさあ。……案の上、ネットでは散々叩かれたよ。能登の祭で担ぐのは神輿じゃない、キリコです、ってさ……」
いやよっぽど奥村冴子に傾倒しているマニア、とか……。
「勿論編集にもそこは言われたけど、でもなんか、そこは譲れなかった。……後からさ。能登を舞台にした朝ドラがあったじゃん? あれ、放送したあと、出版されてたらよかったのにな、なーんて思ったよ。がっつりキリコ出てくるからね。文字だけでは表現出来ないものが……映像にはあるんだよ。……ま。小説にしか出来ないことをやってのけるのが小説というものなんだけどね」
――わたしと同じく、書評書いているひと、とか……。
「ダブルヒーローについてもさ。『ラノベかよ』『純然たる群青にはふさわしくない』『群青の権威も地に落ちたか』とか散々……言われたんだよね。文芸であれやるのアウトって考えるひとは多いんだね。ラノベや漫画だとよくある手法なのにさ。アザミについても『浮気者』『ふたりの男の子のあいだでふらふらしているさまが見苦しい』とか……色々言われたよ。エゴサなんかしなきゃいいのにさ。つい、――見ちゃうんだよ。レビューとか、一日三回くらい見ちゃってさ……。病んでるよねえ」
「――あの。あの、ほんとに……」自分の声が期待でふるえているのは分かっていた。「え……嘘でしょ。本当? 本当に……」
「あんなに褒めてくれる読者がいるなんてつい――嬉しくてさ」照れたように男は笑った。――きゅん。笑った顔がむしゃぶりつきたいくらいにスイートだった。「ひとりでべらべら喋っちまったよ……恥ずかしい」
――どうしよう。嬉しい……!
いっそこの男が奥村冴子じゃなくてもいい。熱心ないち読者だったとして、騙されていても構わない。騙されたっていい! この熱い思いを――共有出来る人間がいるのなら。
書評を書くのは、孤独な作業だ。いくつかコメントはついても――例えばシリーズ作品であれば一作目から順番に読む。作者ほどではないが、かなりの労力を必要とする作業だ。正直、大変ではある。その、苦しみを。感動を。分かち合える相手が、いま、目の前にいるのなら――至上の幸せだ。
「……ここだとあんまりお喋り出来ないんで」わたしは声を潜めると彼に――奥村冴子に顔を寄せ、「一時間くらい、別のカフェで話せません? いいお店があるので……」
わたしの提案を受けた奥村冴子はにっこり笑った。「――魅力的な提案だね。是非……」
* * *
「――とまあ。割とネットで叩かれてさぁ。やんなっちまって……あと編集の勧めるテイストのもうまく書けなくって。他社の公募にも応募はしたよ。それでも……一次落ちしたり。へこんだよ。三年頑張ったけどやんなっちまって。それで、サイトも削除して姿を消したの。それでも……きみみたいに覚えてくれている読者がいるなんて、嬉しいなあ」
奥村冴子こと荒木《あらき》英雄《ひでお》はよく喋る男だった。よっぽど鬱屈しているのだろう。わたしは話題を変えた。「いまは――なんの仕事を?」
「新卒で入った会社でずっと働いているよ。システム開発の会社でシステム部の仕事をしている」前髪にパーマを当てている辺り、営業職ではないとわたしは見抜いていた。「……書籍化すると仕事辞めちまうやつもいるんだけどさ。辞めなくてよかったとつくづく思うよ。……小説だけで食ってけるのなんてほんの一握りだぜ」
あんなに素晴らしい文章を書けるひとが辞めてしまうなんて。「……勿体ない」とわたしは正直に心情を吐露した。
「あれだけの作品が書けるのに辞めてしまうなんて……勿体ないです。
荒木さんには才能があるんですから、努力――すべきです。いえ、いまは……休養が必要なのかもしれませんが。出版界の事情は分かりませんが、でも……辞めてしまうにはあまりにも惜しいです。荒木さんは……才能の塊なんですから」
「本気でそれ言ってんの?」と荒木は皮肉気に笑う。「才能。才能ねえ……。才能なんかないよおれ。センスのあるやつはさ、世の中に星の数ほどいて……大した文章力もなしにどんどんデビューしてヒットを連発していくんだ。……ま、文章力は後天的に身につくものだから、文章力なんか後回しでもいいんだけどさ。長年書いてれば勝手に上達してくし。
ヒットを連発するセンスのある連中を……才能がある、って言うんだよ。篤子ちゃん。
おれには才能がない。だから努力したんだ。でも……駄目だった」
目の前にいる奥村冴子は――見た目は美しいけれど、いまは、苦悩の塊だった。小説を出版した本人にしか分からない――苦悩があるのだろう。
放っておけない、とわたしは思った。
どうにかしたい――と思った。
休養といっても、会社勤めをしているわけだから、休んでいるわけではないのだ。ただ――兼業作家を辞めただけで。ならば、わたしは――。
「……日曜のお昼前。この時間って……暇だったりします?」因みにわたしは敢えて花見町から新宿方面に二駅さきのファミレスを選んだ。娘が保育園や小学校に行っているため、花見町に知り合いは多い。「だったら毎週……わたしとお話をしませんか? わたし……ネットで書評を書いている人間なので。作家さんの思考に……興味があるんです。どうしても、わたしの書くものは読者視点に偏ってしまいますし……」
断られることも覚悟したのだが、意外にも荒木は「うん」と頷いた。
「……めそめそした話になっても大丈夫?」
荒木は――見た感じごく普通の男性だ。さっぱりとした顔立ちで、一見するとあんな女々しい小説を書くひとには思えない。しかもPNは女性名と来た。わたしはずっと、奥村冴子を女性だと思い込んでいたのだ。だから――あのPNを選んだ事情も含め、もっともっと話が聞きたかった。
わたしは笑顔で答えた。「ええ。勿論」
*