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ウーヴェとその家族が互いを守りたい一心で胸に秘めていた思い、それをリオンが半ば強引にこじ開けた結果、以前とはまた違う関係の一歩を踏み出した。
長い長い夜を越えて迎えた朝は驚くほど昨日の朝と変わらない日で、ウーヴェの目の不調が治るわけでもなかった。
ただ、それでもいつか必ず良くなる確信を何故か持っていたリオンは、ハンナの朝食を満足げに食べてウーヴェとハンナに感謝感激雨あられとキスの雨を降らせた後、AMGを借りて出勤したのだが、そんな日が二日ほど続いた日の夕方、珍しく事件が無いことで定時に帰れると刑事連中が喜んでいた時、リオンの携帯にウーヴェから連絡が入った。
その声に浮かれ気味に返事をし、聞かされた言葉に驚愕の声を上げたりしたが、了解した証に携帯にキスをし、それを見ていた同僚達のブーイングを一斉に浴びてしまう。
リオンが同僚達の愛情溢れる罵声を浮かれ気分の背中で跳ね返しながら職場を後にし、ウーヴェからのお使いを果たすために向かったのはゲートルートで、店の前は先日同様に早めの食事をするための客が多く、路地にまで人が待っている状態だった。
その様子を横目に、ウーヴェから借りているAMGを少し離れた路地に停めたリオンは、店内の様子を窓の外から窺っているが、カウンターの奥で忙しく動き回っている店員が気付いたのか、程なくして店の裏手に回ることの出来る路地から名を呼ばれて手招きされる。
「キング、こっちだ!」
「ベルトラン、準備は出来てるか?」
こんなに忙しいのにあんたが店を離れて良いのかよとつい客の目線で呟き、ジーンズの尻ポケットに手を突っ込んだリオンだったが、荷物を持ってくれと言われて我に返り、勝手口から運び出される段ボールを当たり前の顔で受け取ると、こんなことなら車を横付けにすれば良かったと後悔の言葉を口にする。
「車はどうした?」
「ん?あそこに置いた」
少しだけ離れた場所に置いた車を顎で示したリオンにベルトランがスパイダーではないことに気付き、少しだけ待っていろと告げて店に戻ると、台車を押して戻って来る。
「AMGなら多少の大荷物でも平気だな」
「一番嵩張るのは俺かベルトランだな」
台車に荷物を載せ直し石畳の上をガラガラと荷物を運んで車に積み込んだ二人だったが、ベルトランがもう一度店に戻ったかと思うと勝手口から顔を出し、この店を始めた時からの右腕である誠実さと人の良さが最大の長所のライナーに後を頼むと手を上げ、新しく入って来た料理人にも目で合図を送るとそそくさと店を後にする。
「じゃあ行くか」
「ん、分かった。それにしても、良くこの忙しいときに休む気になったな」
ここからさほど離れていない場所で開かれているビール祭り、そこで一杯飲んだ後に店に来る客や入れなかった人たちがゲートルートにやって来ている様をルームミラーで確かめながら問いかけたリオンは、新しい料理人を雇ったがその腕前をはっきりと確かめたい、それをするには一番忙しいときが良いと肩を竦められてそんなものかと返すが、後部シートに置いた荷物を振り返った彼になるべく安全運転で頼むと伝えられると、了解の合図に口笛を吹く。
ゆっくりと進み出した車の助手席でベルトランが携帯を取りだし、どうやら店に電話を掛けているようで、運転に集中しているリオンの耳には片言の単語しか入って来なかった。
「チーフ? 急なことで本当に悪いな」
『大丈夫ですよ。ディックの腕前を確かめるチャンスですし』
「お前にそう言って貰えると助かる」
『ウーヴェにお詫びの品を楽しみにしてるって伝えておいて下さい』
「ああ、分かった。じゃあ後はいつも通り頼む。あまりに客が多かったら適当に帰せ」
自分が休みの時には後を託せる唯一の存在であり、やはり今でもベルトランの右腕であるチーフことライナーにウーヴェが急に呼び出したことを詫びるが、ベルトランに負い目を感じさせないような明るい声で大丈夫と返されて安堵し話を終えると、さっきとは打って変わった口調でリオンを呼ぶ。
「キング」
「ん? 何だ?」
リオンの癖で優しく問われればそれなりに優しく返すが厳しい声で問いかけられると条件反射的に厳しい声を出してしまうというのがあるが、今もベルトランの声に厳しく返してしまうと、ベルトランが己のそれに気付いたのか咳払いをした後、詳しい話をあいつは教えてくれなかったがどういうことだと問われて目を瞬かせる。
「……俺もさっきベルトランをテイクアウトして来いって言われただけなんだけどな。オーヴェ、なんて言ってた?」
「詳しいことはこっちで教える、リオンと一緒におじさんの家に来いと言われた」
おじさんの家、つまりはウーヴェの実家だがそこに行けば総てが分かるが料理はいつかの様にお前達二人分ではなく十人分近く用意しろと言われたため、それでは出張料理になってしまうと呆れたベルトランに電話越しにウーヴェが遠い昔に聞いた声でバート頼むと伝えたのだ。
その声を聞いて断れるベルトランではない為、だから今夜は店をチーフと新入りに任せることにしたと呟くと、リオンが呆れたような顔で溜息を零す。
「オーヴェがそう言ったのならさ、もうちょっとだけガマンしてくれねぇかな」
「キング?」
「……俺から聞かされるよりオーヴェから聞いた方が良いと思う」
だからこの道中何も聞かないで出来る事ならばこの後食べさせて貰える料理についての話だけにしてくれと微苦笑混じりに告げられて軽く驚くベルトランだったが、その雰囲気や電話口でのウーヴェの様子から悪いことではないだろうと何となく想像し、それならばこれから作る料理だがお前に手伝って欲しいとベルトランがリオンを見ると、見るからに嫌そうな顔でそっぽを向かれてしまいぽかんと口を開けてしまう。
「えー、俺、食うだけの人だからなー」
「……ケーゼシュペッツレを作ろうと思っているんだけどな。好きなだけエメンタールを掛けても良いと言おうと思っていたんだけどな」
「あ、うそうそ。前言撤回。手伝う手伝う」
だから好きなチーズ料理を食わせてくれ好きなだけ食わせてくれと今にも助手席へに向き直りそうなリオンに前を見ろと短く叫んだベルトランは、鶏の丸焼きとシュペッツェレと後はウーヴェ専用のリンゴのタルトだなとシートベルトを握りしめながら告げ、手伝いをするからどれも食わせて欲しいがリンゴのタルトはやはりウーヴェ専用であってメニューにも載っていないのはそのせいかと問われ、目を丸くする。
「ああ。そうだな。ガストハウスで甘いものが欲しくなるのも分かるが、俺は菓子については専門外だからな」
ただウーヴェのためにリンゴのタルトを焼いてやることだけはあの店を開くときに決めていたのでそれを今でも守っているだけだと笑うと、リオンが少しだけ考え込むが、本当に俺のダーリンは皆から愛されていると目を細める。
その横顔からベルトランが感じ取ったのは嫉妬などの負の感情ではなくそんな人から愛されている己が幸せであるという思いで、ベルトランが先ほどの願いを叶えられなくて悪いと断りつつどうしても気になることをその横顔に問いかける。
「キング、……あいつ、おじさんの家にいるけど……その……」
辛くないのかと何故か躊躇いつつ問いかけるとリオンの蒼い目がちらりとベルトランに向けられ、信号が変わったことからタバコを取り出して火をつける。
「……俺が言えるのは一つだけ。オーヴェは皆から愛されてる特別な子どもだったけれど、今もそうだしオーヴェ自身も家族を特別に思っていたってことだけだな」
「おい?」
「それ以上は俺からは言えませーん」
聞いたとしても口を割らないからあと少しだけガマンしてくれと悪戯っぽく目を細めてアクセルを踏んだリオンは、家に着けばチーズを下ろせば良いのかと己の前言を守るように料理の話やゲートルートに新しく入ってきたディックと呼ばれる料理人のことについてあれこれ聞き出し、ベルトランもその話に付き合うしかないのだった。
ベルトランがウーヴェがギムナジウムへの進学を機に離れてしまった屋敷の前にやってきたとき、懐かしさのあまり車の窓に額を押しつけてしまうほどだった。
「あのベル……まだ付けてくれてたんだな」
「ん?」
ベルトランの感慨深い独り言にリオンが首を傾げてどうしたと問いかけると窓を開け、屋敷の規模にふさわしい立派な門柱の下の方にある古びたベルを指さす。
「あれだ。あれは俺がガキの頃、遊びに来たときにベルを押せないって泣いた事があってな」
その時、レオポルドがすぐさま家人に何事かを命じたのだが、泣いたことをすっかり忘れた頃、いつものように遊びに来たベルトランが見つけたのがまだ幼い彼でも十分手の届く場所に新しく作られたベルだったのだ。
それ以来、背の低い場所にあるベルはベルトラン専用で、一般の客人達は今リオンが押そうとしていたベルを利用していた。
「じゃあさ、今も使えるかどうか分からねぇけど押してみたら?」
「そうだな」
だがあの当時背の低い己がちょうど良かった高さは今ではすっかり低すぎて、しかも車高の高い車からでは押すことは出来なかったためドアを開けて降り立ったベルトランは、幼い頃の気持ちを思い出しながらそのベルをぐっと押す。
そのベルが動いているのかどうかなど、もちろん家の外にいるベルトランに分かるはずはなかったが、程なくして門がゆっくりと内側に開いたため、リオンが運転席の窓から身を乗り出して早く乗れとベルトランを呼ぶ。
「開いたな……」
「そのベル、まだ生きてたんだな」
「ああ」
ウーヴェがギムナジウムへの進学を決め一人でこの家を出たとき以来ベルトランも己の夢のために家を離れて料理人の元で下積みを始めたため、一体何年ぶりになると感慨深げに呟き助手席に乗り込んでドアを閉めると、リオンがゆっくりと車を走らせる。
まっすぐ伸びる道を進み円形の噴水を回り込んで車を停めると階段の上にある背の高い扉が片方だけ開いていて、そこにいる懐かしい顔にベルトランの顔が子ども時代に戻っていく。
「ギュンター!」
「久しぶりだな、ベルトラン」
階段の手すりに手を突いて見下ろしつつ笑みを浮かべるギュンター・ノルベルトにベルトランが駆け寄って手を出すと、子どもの頃良くされていたように頭に手を載せられ、お前の店の話を耳にする度に自慢したくなったと笑われるとさすがに照れるのか顔を赤くしたベルトランがそんなことはないと笑みを浮かべるが、その背後に誰かがいることに気付いて身体の横を覗き込むように顔を突き出し、そのままの姿勢で固まってしまう。
「……早かった、な、バート」
「……ウー……?」
「ああ」
忙しいのに急に呼びつけて悪かったがどうしてもお前の料理をここで皆と一緒に食べたかったんだと昔を思い出させる顔でウーヴェが小さく笑い、奇妙な姿勢のまま固まる幼馴染みに目を瞬かせるが、ギュンター・ノルベルトのシャツの背中を軽く引っ張ってどうしようと問いかける代わりにその目を見る。
「ベルトラン?」
「え、いや……。なあ、ウー、お前、もしかして……」
「……ああ。ノルや父さん、と……」
和解をしたと言うのも変な感じだが前のように仲良くしていきたいと思うと告げると、ベルトランが胸に溢れる思いを言葉にしようと口を開閉させるが、出てきたものはただの吐息だけだった。
何を言おうとするのかは分からないが何かを言いたいことだけは誰の目にも分かった為、ギュンター・ノルベルトが再度ベルトランの頭に手を載せ、お前にも今まで心配を掛けたがこれからはフェリクスだけではなく俺たち家族のことも頼むと笑い、あの頃ベルトランが毎日見ていた仲の良い兄弟の姿をまた見られるのだと教えると、ベルトランの鳶色の目が限界まで見開かれたかと思うと目玉が流れ落ちるのではないかと心配になるほどの涙があふれ出す。
「バート……」
「……っ……良かった。良かったなぁ、ウー」
「……うん」
大粒どころではない涙を流し己のことのように喜んでくれる幼馴染みに素直に頷いたウーヴェは、ベルトランの背中に腕を回して抱きつくと同じ強さで背中を抱かれ、いつかもこんなことがあったと思い出す。
あれはウーヴェが家に戻ってきた直後、ようやくベルトランが面会をしても良いと親から許可されて遊びに来たとき、ベッドで日がな一日天井を見上げるだけのウーヴェを目の当たりにして辺り憚らずに今のように大泣きしたのだ。
それを思い出したウーヴェがあのとき出来なかったことが今なら出来るとも気付きベルトランのシャツをぎゅっと握りしめると、その肩に額を押しつけて今まで心配を掛けて悪かった、いつも傍にいてくれてありがとうと礼を言う。
「……ダンケ、バート。お前がいてくれたから……」
あの事件の後ここを離れて一人になった時も離れてはいたが夢に向かっていることだけは手紙や電話で話し合っていたために頑張れた、お前がいたからだと、背中をきつく抱きながらくぐもった声で再度礼を言ったウーヴェにベルトランが盛大に鼻を啜りながら照れたような笑みを浮かべる。
「……玄関先で泣いていると母さんやエリーがまた心配するぞ。早く中に入ればどうだ?」
それに階段下から地獄の蓋が開きそうな気配が伝わってきていると手すりから身を乗り出して階段下を見下ろしたギュンター・ノルベルトは、泣きながら抱き合う幼馴染みに若干呆れつつ告げるとリオンの存在を思い出したウーヴェが慌ててベルトランから離れ、階段を下ることももどかしいように身軽に手すりを飛び越えて驚くリオンの前に降り立つ。
「おわっ!」
「リーオ、お疲れさま」
「あ、ああ、うん。今日も頑張ってきた」
「うん」
突然降ってきた恋人に驚きつつもいつものように労われ、これもまたいつものように頬ではなく唇にキスをされて怒りを霧散させたリオンは、ベルトランと食材を運んできたから美味いメシを食わせてと笑ってウーヴェを抱きしめる。
「ケーゼシュペッツレを作ってくれるって言ってた」
「じゃあチーズが沢山いるな」
「うん。だから俺にも手伝ってくれって言ってたけどさ、ここの家の料理人の方が絶対上手いし手際も良いよなぁ」
ウーヴェのキスにキスを返したリオンが何かに気付いたように肩を竦めるが、確かにそうだとウーヴェが笑いながら腰に手を回し、荷物を運ぶ必要があるから人を呼んで欲しいと苦笑されてその頬にキスをする。
「ベルトラン、荷物は後部座席にあるもので全部か?」
「あ、ああ」
ウーヴェならばまだしもギュンター・ノルベルトとリオンの前で大泣きしてしまったことは大層恥ずかしいことに思えたのか、ベルトランが腕で顔を拭った後で自らも荷物を運ぶために階段を下り、呆れ顔のリオンとなるべく顔を合わせないようにそそくさとドアを開けて荷物を運び出す。
「ここに来ると色んな人が大泣きする顔を見られるから面白いなぁ」
この数日ウーヴェを筆頭に何人が大泣きしたりしたんだろうと笑うリオンを、ウーヴェがごほんと咳払いをして眇めた目で睨むように見つめる。
「……悪かったな。ケーゼシュペッツレは要らないんだな、リーオ」
「え、うそうそ。ウソに決まってるだろ? 面白いなんて思っても口にしないって」
たった今面白いと言ったその舌の根も乾かないうちに己の好物を食べるために前言を翻したリオンを呆れた顔で見た幼馴染み達だったが、美味しいものを食べさせてくれるのを楽しみにしていると笑うギュンター・ノルベルトにも荷物を手渡し、廊下の中で早く入って来なさいとイングリッドに呆れた溜息をつかれるのだった。