テラーノベル
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それは、配信のない平日の昼だった。
病院の廊下を歩いていたりつのポケットが、短く震える。
健屋花那の名前が表示されているのを見て、胸がわずかにざわついた。
「りつ、今どこ?」
声が、いつもより低い。
「外来終わったところです」
「救急。交通事故。……搬送されてきたの、葛葉」
一瞬、音が消えた気がした。
「意識はあります。命に別状はない。でも――」
「分かりました」
言葉は短く、即答だった。
医者としての判断が、先に立つ。
ストレッチャーで運ばれてくる葛葉は、確かに“生きて”いた。
意識もあり、呼びかけにも反応する。
「……おい」
かすれた声で、葛葉が言う。
「ここ、どこだ」
「病院です」
りつは、感情を表に出さない。
白衣の袖を整え、目を合わせる。
「交通事故。今から検査します」
「……りつ?」
その名前を呼ばれても、声色は変えなかった。
「今は患者さんです。動かないで」
検査結果は、幸いにも重篤ではなかった。
骨折と打撲。
しばらくの安静は必要だが、命の危険はない。
処置を終えたあと、りつはカルテを書きながら言った。
「無理な復帰、禁止です」
葛葉が苦笑する。
「……お前に言われるとはな」
「言われる側になってください」
その一言には、冗談も怒気もなかった。
後から駆けつけた叶は、病室のドアを開けた瞬間、固まった。
「……逆転してる」
ベッドに横になる葛葉。
その横で、落ち着いて説明するりつ。
「今後一週間は安静。痛みが強くなったらすぐ連絡を」
叶は葛葉を睨む。
「何やってんの」
「事故だっつーの」
「でも無茶したでしょ」
「……はい」
りつは、そのやり取りを見て、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。
そして、静かに言う。
「……怖かった」
二人が同時に、りつを見る。
「連絡来たとき、手が震えました」
医者としての顔が、少しだけ崩れる。
「でも、治療中は――冷静でいられました」
葛葉は、しばらく黙ってから言った。
「……成長したな」
「患者は、褒めなくていいです」
そう言いながらも、声は少し柔らかかった。
数日後。
葛葉は病室から、叶と一緒に短い配信をしていた。
「いや、生きてるから」
「ほんとに心配した」
コメント欄に、りつの名前が流れる。
「りつ?」
葛葉が笑う。
「あいつな……医者だったわ」
「知ってたけど、あの場面は反則だよね」
叶も続ける。
「めちゃくちゃ頼もしかった」
その切り抜きを、当直室で見ながら、りつは小さく息を吐いた。
――今度は、守る側だった。
胸に手を当てる。
鼓動は、落ち着いている。
弱い体でも、怖くても。
“できること”は、確かに増えている。
そして、誰かの命を繋げたことが、
何よりも静かな自信になっていた。
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