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「外に行って良いの?」 その知らせを聞いたこいつは、目を輝かせた。
俺は外で桜を見せてやりたいと、こいつの母親に頼み込んだ。
初めは当然のごとく考えさせて欲しいと渋っていたが、あいつが窓から桜を見つめる姿に決意したと主治医に相談すると礼まで言ってくれた。
現在体調が落ち着いていた事と、最期に色々な経験をさせてあげたいという願いから、それは叶った。
桜は満開を迎え、散り始めている。今日が見頃だろう。
病棟内を歩くことがやっとだったこいつは車椅子に乗ること、病院の敷地内を一時間のみとし何かあれば早急に戻ってくること。その約束の元だった。
「じゃあ、行ってくるねー!」
車椅子に乗ったこいつは溢れんばかりの笑顔で、母親と主治医に手を振っている。
そう。俺が連れ出して良いことになった。
こいつの母親に頼まれた。最後の思い出を作ってあげて欲しいと。
親子でと思ったが、本当にこれで良かったのか?
そう思っていると建物から抜けた先に広がったのは、一面の青空、キラキラと光る太陽、春の暖かな風だった。
「外の香りがする」
そう呟き周囲を見渡しているこいつは、一面に広がる桜の花びらを堪能しだした。
この病院は一般の総合病院と癌専門病院と建物が分かれており、その敷地内には桜の木が多く植えられてある。この病院は市外一大きく、桜の並木道が一望出来るほどだった。
「あの桜の並木道みたいだね。今年も綺麗に咲いたの?」
「ああ。まあ、もう青葉が茂ってるけどな」
「うそ! 早っ!」
「ここの桜が遅いだけだよ」
「そっか。感謝しないとね」
チラチラと舞う桜の花びらをそっと手の平に乗せ、そう呟いた。
ああ、感謝だ。ありがとうな、こんなに綺麗な桜を見せてくれて。
「……去年は小説のことばかりで、桜の木を見上げてその美しさを眺めることが出来なかったの」
こいつが手の平に乗せた桜を眺めながら、ポツリと呟いた。
一年前。こいつはやたら受賞を焦っていて、作品に向き合えていなかった頃だ。今考えると体調が崩れてきていて、自分の予後を察していたのだろう。
「時間がないの」
その言葉の意味をあの時俺が受け止められていたら、こいつは一人で悩まずに済んだし俺は最低な言葉を放つこともなかった。だからこそ自分の愚鈍さに、嫌気がさしてくる。
病院の敷地外に目をやれば、遠くに見える海。ここは海が見える場所に立地されており、美しい白浜の浜辺より沈む夕陽が一望出来る場所でもあった。
……そこは、こいつに酷い言葉を放ってしまった場所だ。
俺が桜ではなく海に目に向けていると、次はあっちに行きたいとこいつの声が聞こえる。
過去を振り返るのは、やめよう。今はこいつと居るのだから。
そう自分に言い聞かせ、風により舞う桜の花びらをただ眺めていた。
「ありがとう。直樹くんのおかげだよ」
「別に。許可してくれたのはお前の母親と主治医の先生だろ」
「ありがとう」
せっかくの桜なのに、こちらに振り向いてくるこいつ。律儀過ぎるバカ真面目に、桜を目に焼き付けるように促す。
「……なあ」
「うん?」
「俺さ、大学受験しようと思うんだ」
「え!」
パッとこっちを振り向くこいつの頭をグイッと戻し、桜の方に戻す。
いちいち顔を向けねーと話せないのか、こいつは?
「すごい! 何学部?」
「……一応、文学部だな」
「文学! ……あ!」
「別にそうゆうのじゃねーし! 国語の教員免許取得や、出版社に就職とか色々な道があんだよ!」
「そっか。……すごいね、ちゃんと考えているんだ」
「別に、考えているだけ! だけどな」
目を輝かせてこちらを見つめるこいつに前を見ろと、無理矢理前を向かせる。
まさかこんなに興味持ってくれるなんて思わなかった。喜んでくれるなんて。
こいつも病気が進行しなかったら、文学について学びたいと大学受験を考えていたらしい。小説執筆と勉強を両立させており、学校では成績上位者としてテストが終わる度に騒がれる存在だった。
こいつの成績なら、特待生などの制度を受けれたかもしれないのに。こんな有能な奴が。理不尽だ、この世の中は全てが。
言い表せられない気持ちに憤りを感じてしまうが、こいつはそんなこと一切表に出さない。「小説家になった俺の話が読みたいなー」と明るい口ぶりだ。
こいつは。誰も小説家になるなんて言ってねーだろ? お前と違って、俺は研ぎ澄まされた感性も、文才も、心の温かみもない、凡人なんだからよ。
だけどお前と共に過ごしていると、これだけは変わっているような気がするんだよな。心の温かみだけは。
あの日。過去の傷を話せた日、俺は父親と向き合った。大学で文学の勉強をさせてくださいと、頭を下げた。奨学金とバイトで学費と生活費を賄えないかと計算してみたが、俺はこいつと違って頭が悪い。特待生なんて狙えねーし、学費と生活費を賄う為に働いていたらとてもじゃないほど勉強なんて出来ないだろう。
だからこそ気付く。俺はまだ、親に養われているガキだということに。
だからこそ、頭を下げた。勉強をさせて欲しいと。
何をする気だ? 無駄な金だと言い放たれる覚悟をしたが、返ってきた言葉は「金の心配はするな」の一言だった。
俺の考えを何一つ聞いてくれない姿に正直落胆の思いはあったが、否定しなかった。それだけで充分だと、自分に言い聞かせることにした。
「お父さん。きっと直樹くんが頑張りたいこと、分かってるんだよ」
「はあ? んなわけ、ねーだろ」
「何か、その時言われなかった?」
「まあ。金のことは考えなくていい、みたいな……」
それを口にした途端、胸が温かなものが溢れるような感覚が俺を包む。そっか、大学資金について即答出来るということは、進学のことを既に考えてくれていたんだな。
俺はそんなことにも気付かないほどの、ガキだった。