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あまりの惨たらしさに、メルローズは思わず目を背けた。
同じ場所に倒れていたのは、全身にこれでもかと拷問を受け、傷のないところを探す方が難しい状態にまで痛めつけられたミアの姿だった。
たかだか半日のうちに突き付けられた現実は、ミアにとっても、またメルローズにとっても過酷で残酷なものだった。
「大丈夫ですか、まだ生きていらっしゃいますか!!?」
荒屋の硬い土の地面に投げ捨てられたよう、ぐったりと横たわったミアは、全身血だらけで生きているようには見えなかった。
慌てて駆け寄ったメルローズは、口元に顔を寄せ、呼吸を確認した。
「まだ微かに息があります。今なら間に合うかもしれません」
メルローズは荒屋の地面に直接魔力増強用の陣を描き、中心にミアを寝かせ、持ち得る最大の回復魔法を唱えた。
魔力が続く限り、何度も連続で唱え続けたが、ミアの身体に蓄積したダメージはあまりに大きく、なかなか回復には至らなかった。
「ハァハァ、まだよ、まだ出せるはず。この地に住まいし神々よ、我に誘い、この者に祝福を与えよ!」
暗闇に一筋の光が舞い降り、優しくミアの身体を包み込む。
天使のように柔らかな風が上昇気流に乗り天井へ抜ければ、ミアの身体に残っていた大きな傷を、少しずつ癒やし消していった。
全ての魔力を使い果たし、疲労からくる目眩でよろめいたメルローズは、ふらつきながらミアの頬に手を置き、再び顔を寄せた。
浅かった呼吸が少しだけ戻り、どうやら命の危機を脱したと、息を吐き安堵した。
「だけど、……どうして」
土の地面に座り込んだメルローズは、ミアの額に触れ、体温を確かめながら呟いた。
豪族の男は、ミアの問題を全てクリアにすると約束した。それなのにミアを瀕死の状態に追い込み、誰もいない荒屋に放置したということは、約束を反故にしたも同然だった。
「なぜ、どうしてこんなことを?」
メルローズには到底理解できなかった。
全てを許し、解放されたはずのミアが、どうして傷つけられなくてはならないのか。
相応の謝礼を渡し、自らが嘆願した結果がこうなのだとしたら、本質的な問題が別にあると証明されたようなものだった。
ミアを自室へと運んだメルローズは、すぐに人を集め、豪族の男を再度呼び出した。
三度目ともなり少し気怠そうに現れた男は、次はなんでしょうと頭を下げながら言った。
「荒屋でエルフの女中がまた死にかけていました。酷く痛めつけられ、全身は傷だらけです。あと数分発見が遅ければ、恐らくは死んでいたことでしょう。一体どうなっているのですか。咎は解かれたと約束されたではありませんか?」
はぁと首を捻った男は、とぼけたように頭を掻きながら言った。
「申し訳ありませんが、一体なんのことでありましょう。わたくしどもは、あの女を屋敷へ迎え入れ、なんの戒めも与えておりません。メルローズ様と約束したではありませんか」
「なん、ですって……。ではあの暴挙は、貴男方の行いではないと言い張るのですか」
「もちろんでございます。我々はあの女に対し、何一つ手を加えておりません。ですからここへ呼び出されたことに関しましても、我らは身に覚えがないというか……」
「バカなことを」と呟くメルローズに対し、「でしたら証拠のようなものがあるのでございましょうか」と嫌らしく聞いた男は、顔を伏せ小さく肩を震わせていた。
「しょ、証拠ですって。そんなものは……」
「でしたら、わたくしどもに嫌疑をかけられましても、どうすることもできません。それに、あの女にはほかにも恨みを持つ者が多くいるはず。また別の者にやられたのやもしれませんね」
飄々と嘘を付くとはこのことだろう。
証拠がないのを良いことに、自分に責任はないと言い切った男は、「むしろ自分たちの慈悲深さを褒めていただきたい」と席を立った。納得できないメルローズは、「約束が違うではないか!」と初めて声を荒らげた。
「約束、約束とはいかがなものでしょうか……?」
「咎を許し、再び屋敷にて従事させると。それがなぜこうなるのだ?!」
「ですから今回のことは偶然であって、わたくしどもにはどうすることも。わたくしは当然、あの女に今後とも働いてもらうつもりでおりました故」
ミアはどこですかとメイドの一人に聞いた男は、ミアを連れて帰りますとメルローズに頭を下げた。
しかし男の後ろ姿には、あわよくばまた謝礼を出させてやろうという嘘と欺瞞が満ち満ちていて、とても許容できるものではなかった。
「お待ちなさい、まだ話は終わっておりませんよ」
「と仰られましても。わたくしには、これ以上どうすることも」
「どちらにしても、あの者は動ける状態にありません。明日、再度ここへ足を運びなさい。良いですね?」
「明日ぃ、……ですか。そうですね、……はい」
露骨に不満さを表し出ていった男の態度に、メルローズは怒りを抑えられず右足の踵を強く地面に押し当てた。珍しく憤る様子のメルローズに慌てた侍女たちをよそに、一連の流れをどこかで覗いていたマセリが、全員に聞こえるように大きめの声量で嘲笑した。
「だから言ったではありませんか。愚かな下民に関わったところで、損をするのはいつもこちら。大人しく罪人として囚えておけば、面倒なことにならず済んだものを」
「しかしそれでは罪なき者まで罪人として裁かねばならなくなります。そんなことが許されるとお思いですか?!」
「下民の罪は、我々上に立つべき者が決めれば良い。なにより、下民など掃いて捨てるほどいるのです。どれだけ囚えたところで、また勝手に増えるでしょう?」
部下のメイド数名を呼び寄せたマセリは、メルローズに聞こえぬように何かを耳打ちした。指示を受けたメイドは、メルローズの顔を見ないように、すぐ走り去った。
「メルローズさんの言う清廉潔白は、いつも美しく正しい。しかしそれだけで、この世界は回っていかないのですよ。誰かが正しい道筋を用意しなければ、上手くいくものもいきませんこと」
「どういう意味でしょうか、マセリさん。清く正しい生き方に間違いなどあるものですか!」
「ですからあのような下民に舐められるのです。目には目を、歯には歯を。下民のやり方には、下民のやり方を」
「え……? マセリさん、貴女、何をなさるつもりですか?!」
「これから先は私が担当させていただきます。メルローズさん、貴女は上皇様の侍女という立派なお勤めがあることを一時もお忘れなきよう。では失礼」
「待ってください!」と手を伸ばすメルローズを押さえたメイドたちをよそに、不敵に笑みを浮かべたマセリは消えるように部屋をを出ていった。放しなさいと抵抗するも、そのまま上皇の元へと置かれたメルローズは、一切の動きを封じられ、軟禁されてしまった――
「ではピートさん。準備はよろしいですか?」
黒服に身を包むマセリが、同じく闇と同化した執事長のピートに声を掛けた。
ほんの数ミリ頷いたピートは、部下の執事たちに向け、腕を振り下ろした。
「さっさと終わらせてしまいましょう。……それにしても長かったですね。ようやくこの人糞臭い田舎を出ていける」