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私の声が聞こえていなかったのだろうか。ヴィンセント様は控えていた侍女に、紅茶を淹れ直すようにいう。
よく見れば、私のティーカップが空になっていた。
温かな湯気から華やかな紅茶の香りが立ち上る。だけど、花の魔法に囲まれた私は、それが本当に紅茶の香りなのか、花の香りなのか判別がつかなかった。ただ困惑しながら、ヴィンセント様を見つめ続けていた。
侍女が一歩下がると、ヴィンセント様は「ヴェルヘルミーナ嬢」と静かに私を呼んだ。
「三年前、第三王子の婚礼のお披露目でも、会っているんだが」
「お姉様の……?」
思い返してみるけど、ヴィンセント様と話した記憶はない。
婚礼のお披露目の日は、どこのご令息も着飾られて華やかだったとはいえ、こんなに背が高くて銀髪の美しい方が歩かれていたら、とても目立つわ。きっと、ご令嬢の皆さんだって、放っておかないでしょうし、そんな光景に出くわしたら覚えていると思うのだけど。
それに、どこぞのご令息が声をかけてきたら、継母が間に入って会話を遮っていたから、私は人とほとんど男性と話していなかったのよね。
必死に、三年前の婚礼を思い出そうとしていると、ヴィンセント様の薄い唇が弧を描いた。その静かな微笑みは、幼い記憶に残っている銀髪の青年と重なる。
やっぱり、そうだわ。ヴィンセント様は、お父様が長を務めていた魔術師団の砦で、何度も会った銀髪の青年よ。でも、彼は自分のことをヴィンスと名乗っていたし、侯爵家のご子息なんて話は聞いたことがなかった。
それに、三年前って……。
「あの時は名乗りもしなかったし、覚えていなくても仕方ないか」
「……え?」
悪戯な風が吹き抜け、バラの花びらが香りとともに舞い上がった。
咄嗟に乱れる前髪を抑え、ハッと気づいた。
私の大切なハンカチを拾って下さった方がいたじゃない。彼も、とても美しい銀髪だった。
ご令嬢の皆様の視線を集められる様子を見たお継母様が、縁のない男だから諦めろと言っていた。
「あの時の……魔術師団の?」
風から背けるように伏せた顔を上げると、いつの間にかヴィンセント様は私のすぐ側に移動されていた。ただでさえ背が高いというのに、座っている私は見下ろしてくるその大きな体躯が威圧感を与えた。
堪らず体を強張らせて息を呑んだ。
大きく筋張った手が伸びてきたことで、思わず目をぎゅっと閉じてしまったが、その直後、髪に優しく触れる指先を感じた。
そっと目を開けると、花びらを摘まんだヴィンセント様の手が視界に入った。その顔に、私の宝物を取り戻してくれた男性の顔が重なったような気がした。
「思い出してくれたかい?」
「……はい。うっすらでは、ありますが」
「正直だな」
三年前の顔をはっきり思い出したわけではない。それを申し訳なく感じて、うっすらと言ったからか、ヴィンセント様は可笑しそうに笑いを堪えた。
初めて会うものばかりと思っていたのに。まさか、彼のに何度もあっていたなんて。
でも、幼かった頃はヴィンセント様から見たら、嫁候補に上げるような年齢じゃないだろう。だけど、今までご結婚されてこなかったのに、私を婚約者に選んだって……。
そうか。ヴィンセント様には女性嫌いという噂もあるわ。もしかしたら、隠れ蓑として私が丁度いいということかもしれない。
なんとか納得できる答えを探していると、ヴィンセント様は深く息を吸い、おもむろに私の目の前で膝をついた。
「もう三十間近の私だが……結婚の申し入れを、受けてはくれないだろうか?」
輝く琥珀色の瞳が私を見つめている。
ヴィンセント様がお考えがどうであれ、これは好機に変わりない。彼の隠れ蓑になれるなら尚更じゃない。
「お受けします。その代わり……条件がございます」
一瞬ほっとした顔をしたヴィンセント様が、眉間に小さなしわを寄せた。
「私の継母を、レドモンド家から追い出すご協力をお願いします! それが叶うのでしたら、貴方様の妻として一生尽くしましょう」
汗ばむ手を握りしめ、私は交換条件を突きつけた。それを聞いたヴィンセント様は、戸惑うことなく笑顔で「いいだろう」と即答した。
大きな手が差し出される。手を重ねれば、少し強く引き寄せられた。
私を引き上げるようにして立ち上がったヴィンセント様は、私を胸へ誘うようにして肩を抱きしめる。
「申し訳ありません!」
倒れ込んだ非礼を詫び、離れようとした私の腰に太い腕が回され、大きな手がしっかりと私を捉えた。
綺麗な銀髪が日差しを浴びて輝いた。
「ヴェルヘルミーナ、昔のように、また私をヴィンスと呼んでくれるかい?」
顔を上げれば、女性なら誰でも酔ってしまうような端正な微笑みが、そこにあった。
どう返事をしていいのか分からない。だから、真っ青な空に視線を移して、ヴィンセント様のお願いを聞こえなかったことにした。
ひとまず、これで継母を追い出すための協力者を得られたわ。セドリック、お姉ちゃん、もっと頑張るわね。
愛しのセドリックの笑顔を思い出し、心を落ち着けようと試みる。だけど、それをすぐにヴィンセント様の声が邪魔をした。
「ヴェルヘルミーナ? 聞こえているかい?」
これは政略結婚よ。
私は、セドリックのために結婚をするの。それが私の幸せであって──
空を見上げて考えていた私の視界に、ヴィンセント様の綺麗なお顔がぬっと入り込んだ。
「相変わらず、ヴェルヘルミーナは照屋なようだね」
ぼんやりとしか思い出せないヴィンスの笑顔が重なった。
体温が一気に上がり、頭が熱くなっていく。
何をどうお返事するのが正解なのか、全く分からず、ついに私の脳は考えるのを放棄した。
視界がすっと昏くなった。
私の名を呼ぶヴィンセント様の声と、ダリアの声が重なった。だけど、それに「心配しないで」と返すことすら出来ずに、私は意識を手放していた。
コメント
1件
うわ、第25話読み終えた!ヴィンセント様とヒロイン、三年前にちゃんと接点あったんだね…!「ヴィンス」呼びしてた頃の話が出てきてグッときたわ。結婚の条件として継母追い出しを提示する流れ、ヒロインのしたたかさと覚悟が伝わってきてめっちゃ好み。でも最後、照れすぎて気絶しちゃうとこ可愛すぎるでしょ(笑)。政略って言い聞かせてるけど、ヴィンセント様の優しさにじわじわきてるのが伝わってくるよ!