ふと心臓が不穏に揺れた。
ゆっくりと背後を見回すが、そこに広がっているのはただの暗闇。
じんわりと、じっくりと
水彩絵具が画用紙に滲むように。
墨汁が半紙に染み込むように。
この狭い部屋に広がる暗闇が、湿った真綿で締め付けるようにこの身を押し潰している。
この背中に重い荷物をのしかけている。
嗚呼、肺が重い。
息を吸うのは楽なのに、吐き出せなくてどんどんと重い鉛が肺に溜まっていく。
このまま肺が裂けてしまいそうだ。
否、
このまま裂けて我が身が散ってしまえば良いのに、と心の中で誰かが囁く。
そうだな
何かの拍子でこの世とおさらばできないだろうか、
布団の中で瞼を閉じて辛抱強く夜を耐えれば、太陽が街を煌めかせる頃にお空へ昇れないだろうか
そんな幸せで楽な散り方を選べないだろうか
早くこの地獄から抜け出せないだろうか
もし抜け出してあの世とやらに行き着いたとて、偽善者の俺は閻魔様に地獄へ落とされてしまうだろうか
だとしたら
やっと生き地獄を抜けたと思えば、その後待つのはその名の通り血の煮える地獄。
全く、そんなことになったらこれが本当の地獄だと笑ってしまうだろう。
それもまた一興だな。
冴えない冗句を自分に飛ばしながら必死で自我を保つ。
手元が寂しさを紛らわそうと手探りでスマホを掴み、電源をつけた…途端、ブルーライトが激しく視界を照らした。
眩しさに目をしばしばとさせて目を慣らす。
たぷたぷとスマホの冷たい液晶に触れると、何件もの通知に目が留まった。
メール
電話
SNSのDM
少し興味を持ったものの、そのなかに彼の名があるわけもなく
落胆と安心の混じった気持ちでスマホをソファへ放る。
彼は変わってしまった
そうだ。もうあの頃の貴方は戻ってこない。
変わってしまった。
変わってしまった。
貴方のくすんだ淡い瞳は、白銀に染まった極寒の雪景色によく映えるライトブルーの瞳。
溜め息交じりにこちらをそっと横目に据える貴方は
本当に美しかった。
何を考えているのかよく分からないところも
まるで心が雪吹雪に閉ざされているようで、ミステリアスな魅力を纏っていると感じていた。
黒い軍用コートを靡かせながら黒黄白の旗を掲げる貴方は
力強さとともに脆さや儚さをもっていて
男性らしい背丈や声色に反した、女性ですら羨むであろう長い睫毛をそっと伏せる姿は…人形のようで思わず見惚れてしまうのだ。
好きだったのか
恩人だと崇め慕っていたのか
恐怖心が拗れていただけだったのか
恐らく師弟のような関係だったのだろう、その頃の俺と貴方は。
全く、師弟関係において弟子分が師に持つ感情は、まるで恋愛感情にも似たジレンマそのものだとつくづく感じる。
友情のように砕けた関係でもない…思わず身構えてしまう緊張感が漂う関係。
それが拗れて恋慕だと錯覚していたのか?
分からない
分からない分からない分からない分からない
だけど…貴方の国において同性愛は忌み嫌われ嘲笑される対象だ。
きっと
こんな感情、知らぬ分からぬが幸なのだろう。
嗚呼、でもその後貴方は変わってしまった。
まるで別人のように。
気付けば私が好いていた貴方は不純と疲労に包まれて別人になっていたんだ。
保護者のような眼差しで後ろからそっと支えてくれていた温かく冷たい貴方は
もはやただの支配者になっていた
あの頃に戻ってはくれないだろうか。
帝国主義の頃の貴方は本当に美しかった。
傲慢で気高くて、自己中心的、常に偉そうで自身を上の立場だと信じて疑わず、悪気も無くただ偽善を振りまく。
それでも良かった。いや、それが好きだったんだ。冷たく一線引いた性格が。
お願いだからその頃に戻ってくれ。
その歪んだ純粋を湛えていた貴方に
戻ってほしかった。
軍事支援なんて要らないから。ただ、あの頃の貴方に戻ってほしかった。
ただただ純粋に傲慢で偽善な貴方に、戻ってほしかった。
オスマン・トルコやオーストリア=ハンガリーから守ってくれた貴方
今思えば、あの頃の自分は貴方に洗脳でもされていたのだ
きっと貴方に酔っていた。
俺を一つの国として認めてくれるのは貴方だけだと心の底から信じて慕って喜んでいた。
貴方なら俺を分かってくれる
認めてくれる
見てくれる、と
オスマン帝国に縛られる苦痛から解いてくれた貴方は、俺の視界にはまるで神のように映っていて
きっと酔っていた
心酔していた
洗脳されていた
今思えば、実際のあの方はオスマントルコよりも達が悪い。
優しく歪んだ見えないマリオネットの糸で縛って
俺の自我を殺していたんだな
でも、もしそうであったならば
一生その酔いに浸っていたかった
なのに
どうしてあんなに変わってしまったんだ貴方は
無惨に国民に捻じ伏せられて政府を捨て
汎スラブ色を捨て
赤を掲げる。
黒黄白に輝く双頭の鷲を捨て
槌と鎌を高らかに。
正教会を捨て
無神論を唱える。
美しさや儚さなど捨て
ただ、赤くはためく旗に反した冷たい瞳でそっと見据える。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで
あの頃に戻って
お願いだから
あの頃の貴方が好きだった
慕っていた
でも、冷めることができないのも苦痛なのだ。
どんなに変わっても、またあの頃のように武器と応援を与えてくれる。
元帥が貴方を突っぱねた後も
時々昔のよしみと言って手を差し伸べてきてくださる。
どうして。
元帥が貴方に反発した時、あんなに怒っていたじゃないか。裏切り者だと俺を睨んで。
あの時、やっとこの束縛から逃げられたと思ったんだ。
貴方が私に差し伸べた手を拳銃を握る手と変えることで、
俺も貴方のことを恐怖一心で避けられると思っていたのに。
それでも時々、言い訳をするように優しく話しかけてきてくれるから
もう一度あの頃の貴方への慕情を募らせたいと
バカみたいに考えてしまう。
あの時
砂の城がさらさらと崩れるように
散っていった貴方を目にしたとき、
あの頃のように弱弱しい姿を見せたとき
無神論を辞め
正教会を再び掲げたとき
赤い旗を破り払い
白青赤の汎スラブ色にたなびく旗が、再び極寒の地に建ったとき
皇帝への気持ちを思い出したとき
あの頃の貴方と重なったんだ
戻ってきたと思った
あの頃の貴方が
また会えたと思った
俺が好いていた貴方が
慕っていた貴方が
帰ってきたと思った。
嬉しかった
嬉しかった
嬉しかった
愛していた
慕っていた
好きだった
そんな貴方にもう一度触れられるのかもしれない
そう、思った
だからこそ苦しいんだ
ウクライナに銃を向ける傷だらけの貴方が
世界中から罵声を浴びる貴方が
そんな貴方を慕って愛している自分が一番気持ち悪い
EUに入りたいのに
もっと、今まで仲良くできなかった国たちと仲を深めたいのに
EUに入って新たな道を歩みたいのに
あの頃俺に手を差し伸べてくれた貴方の後ろを一生ついていきたい
貴方の背中に
傷だらけの貴方の背中に寄り添って行きたい
あの頃俺を護ってくれた貴方の姿を見失いたくない
でも
他国に嫌われたくない
ウクライナに嫌われたくない
いつ消えてしまうか分からない貴方だから、孤立しないように今のうちに欧米と仲を深めるのが良策だろうな
両方選べたら良いのに
今ではすっかり孤立してしまった貴方の唯一無二の部下でありたい
欧州の奴らにも見捨てられたくはないから、貴方の後ろで寄り添うと同時に欧州にも笑顔を振りまきたい
そんな都合よく行くわけないよな
嗚呼
どうして貴方は
いつもいつも
俺を‥‥‥‥
セルビア[Serbia/Сербия]-Србија
to ロシア[Russia/Русија]-Россия
肺に沈んだ聖歌を貴方に
コメント
9件
腐腐腐腐腐腐腐腐腐ハハハハハハハハハァァァァァァァァァァ!!(安心してください。日頃の疲れが出てるだけです)
簡単に言おう、、、天才だな こんなにいい文構成考えられるの凄すぎる!!その才能私にも分けてくれぇ!!
おお、神・・・! まだまだにわかだけれどもバルカンにハマってて良かった・・・! チトーとスターリンの話(ですかね?)があってわあってなりました。(語彙力・・・。)