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第327話 戻りたい
【現実世界/警察関連医療施設】
榊原梓の身体は、その日のうちに専門の医療施設へ移された。
生命維持装置ごと
状態を変えないまま。
長期間、特殊な環境で保存されていた身体を、見つけたからといってすぐ通常の病室へ移すことはできない。
医師たちが確認しているのは
心臓。
肺。
脳波。
筋力。
血液。
神経反応。
そして
何年もの間ほとんど使われていなかった身体が、どこまで自力で生命活動を維持できるのか。
透明なカプセルの中
榊原梓は今も眠っている。
ユナはガラス越しにその姿を見つめていた。
「……先輩」
隣にはリオ。
少し後ろに匠とハレル、サキがいる。
警察側の城ヶ峰たちは、別室で医療班から説明を受けていた。
ユナはガラスへ近づく。
写真では見た。
社員記録にも顔は残っていた。
だが
本物を見るのはあの日以来だった。
「髪……伸びてる」
小さく呟く。
当然だった。
時間が経っている。
爪も。
髪も。
身体だけはずっと現実側で時間を過ごしていた。
リオが隣から聞く。
「間違いないんだろ」
匠が答えた。
「DNA、指紋、古い医療記録。全部一致した」
ユナはカプセルから目を離さない。
「じゃあ本当に……」
声が震える。
「先輩なんだ」
◆ ◆ ◆
ハレルの胸元で主鍵が光った。
一度。
二度。
匠が気づく。
「反応が上がった」
「榊原さん?」
ハレルが主鍵へ手を添える。
『……見える……』
弱い声。
全員が黙った。
ハレルが聞く。
「こっちがですか?」
『……少し……』
主鍵を介して映像そのものを送っているわけではない。
だが身体側の反応。
周囲の観測情報。
主鍵を通った断片。
それらが梓へ届いている。
『……私……』
声が止まる。
ハレルは急かさない。
やがて。
『……あれが……私……?』
「はい」
答えたのは匠だった。
「確認できる範囲では、間違いありません」
長い沈黙。
主鍵の光が不安定に揺れる。
サキが少しだけ顔を曇らせた。
梓にとっては何年も感じていなかった身体だ。
見つかって嬉しい。
それだけで済むはずがない。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
榊原梓の光の前に現実側の情報が流れ込んでくる。
眠る女性。
閉じた目。
長く伸びた髪。
痩せた腕。
複数の管。
生命維持装置。
梓は長い間その情報から動かなかった。
白峰律も何も言わない。
カシウスも今回は口を挟まなかった。
深層Cが静かに反応を拾う。
『自己身体情報との照合反応を確認』
白峰が言う。
「判定だけしてください」
『了解しました』
「誘導はしないでください」
『了解しました』
梓の光が僅かに揺れる。
『……変……』
白峰は反応する。
だが聞き返さない。
梓が続ける。
『……私なのに……』
少し間。
『……知らない人みたい……』
白峰の目が伏せられる。
当然だった。
最後に
自分の身体を自分として感じた時から
長い時間が経っている。
その間。
意識だけが別の世界。
境界。
深部。
様々な場所を漂った。
身体は別の場所で眠り続けていた。
『……怖い……』
梓が言った。
白峰は静かに答えた。
「はい」
『……戻ったら……』
声が乱れる。
『……私は……どうなる……?』
「分かりません」
白峰はすぐに答えた。
「記憶がどこまで残るのか」
「身体がどこまで動くのか」
「今のあなたと、身体側の反応がどう繋がるのか」
一つずつ。
「正確には、まだ分かりません」
梓の光が小さくなる。
『……失敗したら……?』
白峰の喉が僅かに動く。
それでも嘘はつかなかった。
「危険はあります」
『……消える……?』
「可能性をゼロとは言えません」
長い沈黙。
カシウスが口を開く。
「身体がある以上、戻る方が――」
「カシウス」
白峰が遮った。
強い声ではない。
だがそれ以上を言わせなかった。
「今は黙っていてください」
カシウスは白峰を見る。
何も言わない。
◆ ◆ ◆
【現実世界/警察関連医療施設】
ユナも
主鍵を通した会話をその場で聞いていた。
目の前には
ガラス越しに眠る榊原梓の身体。
そして
ハレルの胸元で揺れる主鍵。
『……怖い……』
ユナの指が強く握られる。
言いたい。
帰ってきてください。
ずっと探していた。
また話したい。
また一緒に仕事をしたい。
コーヒーを飲みながら。
コードを見て。
くだらない話をして。
笑ってほしい。
「先輩」
声が出た。
リオが横を見る。
ユナは一度息を吸う。
「帰って――」
そこまで言って止めた。
梓の答えを自分の願いにしてはいけない。
ユナは目を閉じた。
そして言い直した。
「先輩が決めてください」
主鍵の向こう。
沈黙。
ユナは続ける。
「私は」
声が震える。
「会いたいです」
それは隠さなかった。
「すごく会いたい」
少し笑う。
「また一緒に仕事したいし」
「先輩に聞きたいこともいっぱいあります」
涙が。
頬を伝う。
「でも」
拭わずに続ける。
「それは私の希望です」
『……ユナ……』
「はい」
『……戻って……ほしい……?』
ユナの顔が歪む。
一度、下を向く。
それから。
まっすぐ画面を見る。
「ほしいです」
答えた。
「でも」
すぐに続ける。
「それで先輩が決めるのは嫌です」
主鍵の光がゆっくり揺れた。
「先輩が戻りたくないなら」
言うのは苦しかった。
それでも。
「私は、それを受け入れます」
リオは何も言わなかった。
ただ。
姉の横にいた。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
梓の光の中で記憶が浮かぶ。
キーボード。
自分の指。
深夜のオフィス。
紙カップのコーヒー。
ユナの声。
「先輩、ここ分かんないです」
自分が笑う。
「またそこ?」
冬。
冷たい朝。
駅まで歩く。
手袋を忘れて。
両手をコートのポケットへ入れる。
鏡。
髪。
眠そうな顔。
自分の部屋。
ベッド。
冷蔵庫。
読みかけの本。
机の上のペン。
どれも。
大したものではない。
でも。
自分が生きていた生活だった。
次に。
白い研究室。
椅子。
装置。
白峰。
不安。
そして。
身体が遠くなる感覚。
手が見えなくなる。
足がない。
呼吸も分からない。
どこまでが自分なのか分からなくなる。
長い時間。
身体なしで存在した。
それでも。
今。
あのカプセルの中に。
自分の手がある。
自分の顔がある。
自分が歩いていた脚がある。
『……私……』
梓の声。
白峰は待つ。
『……あの身体に戻ったら……』
一度。
止まる。
『……前の私に戻るの……?』
白峰は首を振る。
「分かりません」
『……同じじゃない……?』
「同じ部分もあるでしょう」
少し考え。
「変わった部分もあると思います」
梓の光が揺れる。
白峰は続ける。
「身体も」
「あなた自身も」
長い時間を経ている。
「以前と完全に同じになる必要はないと思います」
その言葉に。
梓の光が僅かに強くなった。
『……違っても……』
「はい」
『……私……?』
白峰はすぐには答えなかった。
それを自分が決めるべきではない。
だから。
「それを決めるのは」
静かに。
「榊原さんです」
◆ ◆ ◆
【現実世界/警察関連医療施設】
ハレルは主鍵を握っていた。
誰も質問しない。
戻りたいですか。
帰りたいですか。
身体へ入りたいですか。
そう聞けば選択肢を作ってしまう。
だから待つ。
一分。
二分。
長い。
サキも
ユナも
匠も
誰も口を開かない。
やがて主鍵が一度
強く光った。
『……見たい……』
ハレルが聞く。
「何をですか?」
『……もう一度……』
医療施設側のカメラ映像が
ゆっくりカプセルを映す。
眠る榊原梓。
顔。
腕。
手。
そして胸元。
僅かに上下する呼吸。
梓は長い間
それを見ていた。
『……生きてる……』
「はい」
『……私の身体……』
「はい」
今度の沈黙は少し違った。
恐怖は消えていない。
迷いもある。
それでも光は前ほど乱れていない。
『……ユナ』
「はい」
『……私……』
ユナが画面を見つめる。
梓の声がゆっくり形になる。
『……戻りたい』
誰も動かなかった。
ユナの目から涙が落ちる。
梓は。
もう一度。
今度ははっきり言った。
『あの身体に、戻りたい』
◆ ◆ ◆
白峰律は目を閉じた。
榊原梓自身が選んだ。
誰かに言われたからではない。
ユナが望んだからでもない。
身体が見つかったからでもない。
怖さも。
危険も。
今の自分が変わる可能性も聞いた上で選んだ。
白峰が小さく息を吐く。
「分かりました」
主鍵の向こう。
ハレルもゆっくり頷いた。
「分かりました」
ユナはすぐには声が出なかった。
何度か涙を拭う。
そしてようやく。
「……待ってます」
それだけ言った。
帰ってきてではない。
必ず戻ってでもない。
ただ待っている。
榊原梓自身が選んだ道のその先で。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
深層Cの観測領域に新しい情報が反映された。
《氏名・榊原梓》
《身体・確認》
《現実世界座標・確認》
《本人意思・帰還》
白峰はその四つを見た。
名前。
身体。
場所。
そして本人の選択。
かつて自分が無視したもの。
今度は揃っている。
カシウスが表示を見る。
「帰還処理へ移る」
白峰はすぐに答えた。
「まだです」
カシウスが見る。
「なぜ」
「準備が必要です」
「身体はある。意識もある。座標も固定できる」
「だからこそです」
白峰の声は静かだった。
「失敗させない」
梓の光を見る。
「でも」
続ける。
「こちらから引っ張ることもしない」
カシウスの目が細くなる。
白峰は榊原梓の光へゆっくり言った。
「榊原さん」
白い光が反応する。
「戻る時も」
一度。
言葉を切る。
「最後まで、あなた自身で選んでください」
梓の光が細い線となって
遠い現実世界の自分の身体へ伸びていく。
今度は誰かに引かれた線ではない。
榊原梓自身が。
選んだ道だった。
コメント
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読んだよ〜〜!!😭💕✨ 梓先輩の身体が見つかって、戻るかどうかを“自分で決める”シーン、本当にグッときた……!! ユナが「会いたいです」って涙しながら言って、でも「それで先輩が決めるのは嫌です」って返すところ、梓への想いとリスペクトが溢れてて尊すぎた😢💖 「戻りたい」って梓自身が口にした瞬間、もう胸が熱くなったよ……。 白峰さんが「最後まであなた自身で選んで」って言ったのも、優しくて強いなって思った! 次の展開、めっちゃ楽しみにしてるからね🌸💕