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蝉の鳴き声が、耳の奥で壊れたラジオのように響いていた。
今年の夏も、例年通り暑い。だけど、去年とは違う。
高2の夏、俺は旧校舎の裏にある古い倉庫で、「影を見る」ことができるようになった。
正確に言うと、“誰かの過去の影”が、そこに現れる。
それはいつも夕暮れどき、倉庫の窓から差し込む光の中でだけ起こる。
現れるのは、人の形をした黒い影。声はない。ただ、動くだけだ。
最初にそれを見たのは、6月の終わり。忘れもしない、あの日だった。
部活の帰り、ふと倉庫の前を通りかかったとき、窓の奥に誰かの姿が見えた。
校舎は閉鎖されていて、誰も使っていないはずなのに。
気になって中を覗くと、少女の影があった。
白いワンピースを着て、手を振っていた。
けれど、そこには誰もいなかった。影だけが、壁に浮かび上がっていた。
それ以来、俺は毎日のように倉庫に通った。
毎回、夕暮れになるとその影は現れた。少女は笑っていたり、走っていたり、時には泣いているようだった。
誰なのかは分からない。でも、不思議と目が離せなかった。
ある日、俺は担任に聞いてみた。
「あの倉庫、昔誰か使ってたんですか?」
担任は少し言いづらそうにした後、ぽつりと答えた。
「10年前、あそこで事故があったんだよ。中学生の女の子が……転んで、頭を打って」
心臓が跳ねた。
「……名前、わかりますか?」
「うーん、確か……小泉 沙良(こいずみ さら)ちゃん。うちの学校の卒業生だったよ」
俺はその日、家で昔の卒業アルバムを探した。
10年前の卒業生、小泉沙良。
見つけた。そこには、あの影と同じ顔の少女が写っていた。
笑顔のまま、ページの中で静かにこちらを見ていた。
そして翌日、俺は倉庫で少女の影に向かって話しかけてみた。
「小泉沙良さん……ですよね?」
影は、ぴたりと動きを止めた。
そのあと、少しうつむいて、ゆっくりとうなずいたように見えた。
その日を最後に、少女の影は現れなくなった。
夕日が倉庫を照らしても、もう何も映らない。ただ、静かな影だけが床に落ちている。
まるで、長い間迷っていた魂が、やっとどこかへ旅立てたように感じた。
8月の終わり。
蝉の声が、まるで最後の言葉のように弱々しく聞こえた。
俺はあの倉庫の前に立ち、ふと思った。
——今年の夏には、確かに“誰か”がいた。
——影のように儚く、でも確かに、そこにいた。
きっと忘れない。
夏の光とともに現れ、そして静かに消えていった、あの影のことを。