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「柏木、ちょっといいか?」
「あっ、はい!ちょっと待ってください⋯」
いつもパソコンとにらめっこしている先輩が僕の名前を呼んだ。何かやらかしてしまったのかとドキドキしながら向かった。だが、そこには、頬を赤らめている先輩が待っていた。
ずっと何か話したいという気持ちだけが先走って先輩はもごもごと口だけを動かしている。やっと声を出したかと思えばグッと唾を飲み込んで
「あのさ⋯椿ってチョコレートとか、甘いもの好き?」
と、僕の手を握ってピタッと動かそうとしなかった。だが、僕の右手の中には何か固いものが落ちた感覚がした。
あ、もしかして─────バレンタインでは?
「あ⋯開いてみて、手」
言われるがまま開くと、小さなブロック型のチョコレートが一粒入っていた。思わず感謝を伝えた。すると、先輩は、髪をくしゃくしゃにして、デスクに入ってあるワックスをつけ直した。そして、もう一度席に座った。
「⋯それだけだ。もう、戻れ」
そう言われて渋々、扉の方に向かいドアノブを捻る。だが、僕がドアノブを捻り終わる前に
「あと⋯」
と、先輩が立ち上がり
「はっぴー、バレンタイン⋯⋯」
と、目を見て呟いた。外の同期に聴こえぬよう耳元で優しい声で言ってくれた。
「ハッピーバレンタイン⋯一ノ瀬さん」
近くで先輩の姿を感じることが出来てきっと心から喜んでいるのだろう。
僕の声に反応した先輩が可愛すぎて声を出して驚いた。その声に気づいた何人かが外で騒いでいる。
「大丈夫ですかー?柏木くーん?もしかして、バワハラっ!?!?」
「違うっ!!⋯ぁ」
食い気味で否定してしまったことに後悔しつつ先輩に目配せする。すると、先輩は
「あー、柏木が私の散らかっているペンに引っかかっただけだ。気にするな」
と、周りをなだめた。こうでもしないと、この二人きりの部屋に誰かが入ってきてしまうから。
「ッチ⋯あっぶねぇな⋯」
「⋯先輩、ごめんなさい⋯⋯」
ため息をこぼす先輩を見てその場を離れようと後ろを向いた。それに気づいた先輩は声のトーンを落として
「またな、椿⋯」
と、僕が部屋を出るまでその場で立っていた。
出ると僕のことをじーっと見てくる同期が沢山いた。
「大丈夫だったかー?こわーい上司と二人きりだなんて、ねぇ?」
嫌味のある言い方をされて腹を立てていると隣にいた女性が
「そんな言い方しないで下さい。私たちの編集も担当している。代表取締役の方々と同じ、責任者なんです。一ノ瀬先輩は普段、私たちに近い場所、個室で一体全体何をやっているのかが分かりません。ですが、少なくとも私たちの実になることをしてくださっているはずです。その恩を忘れぬように、よろしくお願いします。」
と、つらつらと述べていると若い同期が反発し始めた。厳しくてなおかつ、怖いイメージのある先輩。そんな先輩の二面性を知っているのは僕しかいない。
「そんなに皆さんが言うほど恐ろしく、厳しくはなかったですけどね。」
そう言うと、同期の一人が
「はぁ?柏木にあめぇだけだろぉよ!」
と、舌打ちしてデスクに戻っていった。それを見た隣の女性が
「気にしないでください、いつもの事です」
「あー、そうですか⋯」
甘い、は言い過ぎかもしれないがちょっとは意識してくれているのかもしれない。そう思い、手に持っているチョコレートをパクッと口の中に入れる。口いっぱいに甘さが広がり思わず頬を抑えてしまった。
ふと、後ろの先輩がいる個室に視線を置くと、何故か幸せそうな雰囲気で溢れていた。このチョコレートは社交辞令かもしれない。だが、僕にとっては最高なサプライズだった。あの時、言えばよかったかもな。
「チョコレートとか、甘いもの好き?」
「好きですよ~!でも⋯」
想像するだけで心臓が高鳴ってうるさい鼓動が耳に届く。そんな、バレンタインもあっていいよね。なんて、思いを馳せつつ再び編集ソフトに戻って仕事に勤しんだ。