綾菜と翔太を家に残し、バタバタと準備をして仕事に出かけた。
車で10分ほどの地元密着型のスーパーが私のパート先。
「お疲れ様です!」
早番のパートさんと入れ替わりに私が入る。
野菜売り場では、本日の特売品の在庫がもうない。
「小平さん、あと少しあるからそこ、補充しといてくれる?今日は天気が悪いから早めに出してね、売れ残したくないから」
売り場チーフから声をかけられた。
「はい、やっておきます」
「お願いね、さっき、バイトの子に頼んだんだけど、やってないのよ。ホントに今時の子は。やらなかったら、そう報告してくれればいいのにほったらかして、さっさと帰っちゃってさ」
「まぁ、学生バイトなんてそんなもんでしょ?」
「とにかく、お願いね」
ふと、チーフの胸のネームプレートを見た。
松下洋子、先週までは松村洋子だった。
ぱっと見わからないから、あまり気づいてる人はいないけど、離婚したらしい。
噂で聞いた離婚原因は、旦那さんの借金とか。
ギャンブルなのか、女に注ぎ込んだのかわからないけど。
「あの、すみません、それ、一つくださいな」
特売品の小松菜を並べていたら、お客さんが寄ってきた。
「はい、どうぞ、一つでいいですか?」
「ありがとう」
「毎度ありがとうございます」
お客様でさえ、ありがとうを言ってくれるのに、と昨夜のことを思い出した。
いつからかなぁ?
ありがとうや、お疲れ様の言葉が出なくなったのは。
「今すぐ離婚してこい、私が幸せにしてやるから」
そう言ったら、さっさと離婚して私の住むアパートに転がり込んできた旦那。
あの頃は狭い部屋で2人で暮らして、それでもいつも一緒にいられることがうれしかったっけ。
私より9歳も年上で、穏やかで優しくてこの人となら幸せな家庭生活が送れると思ったのに。
男見る目ないのかな?私。
最初の旦那とは、若気の至りでできちゃった婚だった。
お互い若くて、親になるということの意味もわからないまま綾菜が生まれて、お金もなくて毎日喧嘩ばかりしてた。
派遣社員だった旦那の給料では、親子3人暮らすのは大変だった。
もともと私は自分の母親ともうまくいってなくて、誰にも頼れず部屋で生まれて間もない赤ちゃんと2人きりだった。
お金もない、自分の自由な時間もない、誰も助けてくれない…もう限界だと思う頃、旦那は帰ってこなくなった。
旦那は自分の親に泣きついていた。
「子どもはいらないから、そっちで勝手にやってくれ」
そう言って、離婚届を持ってきた。
よくわからないまま、ハンコを押して綾菜と2人の家族になった。
運良く、友達が助けてくれたのと住み込みでの仕事が見つかってなんとかやってきた。
あんな生活、綾菜にはさせたくないけど、離婚しかないのかな?
健二くん、そんなに甲斐性あったっけ?
養育費、取れるのかなぁ?
あーでもない、こーでもないと、野菜売り場での仕事をしながら考える。
綾菜の場合、離婚したとしたらうちに戻ればいいから住むところには困らないか。
でも、暮らしていくとなると金銭的にもう少し余裕が欲しい。
「仕方ない!翔太が手を離れるまで、ばぁばが頑張って働くとしますか!」
「えっ!何?」
思わず口にしたセリフが、松下チーフに聞こえてしまったようだ。
「あ、いえ、なんでもないです」
「そう?ならいいけど」
こっちを向いてにこっと笑ったように見えた松下チーフ。
顔つきが変わったような気がするのは、私だけかな?
穏やかになったというか。
マスク越しだから、違うかな。
「あの、チーフ、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
「え?なに?」
「プライベートなことなんで、仕事が終わってからでも…」
「いいわよ、小平さん、5時まででしょ?私も今日は5時までだから、帰りにお茶でもしようか?」
ということで、仕事の帰りに松下チーフとお茶することになった。
離婚したということについて、聞いてみることにした。
「じゃ、先に行ってるね」
着替えてタイムカードを打刻すると、松下チーフは帰っていった。
「私も追いかけるので」
急いで着替えて、車で喫茶店まで向かった。
「こっち、こっち!」
「お待たせしました、ごめんなさい、お疲れのところ」
「いいのよ、たまにはこんなのもいいね、仕事帰りにお茶なんて」
こんなふうに職場以外で話すなんて、初めてだなといまさら思った。
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