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きゅーっと悲鳴をあげる実のかわいらしく悶えるようすに、あたしは一度躊躇した。瞬きの間の惑いが、あのこたちに悲劇を教える罠。いけない。始めたら止まるべからずとお約束したはずが。仕方ないわ。あたし、仕事なんて得意じゃないもの。みんなきっと、ドールごっこ、もといかくれ鬼をしてたころまでが幸せなのに。……ごめんなさい、また浸っていたみたいね? あたしってばほんと危なっかしくて、だめだめ。はーあ。可哀想だけど、これも仕様のないことだから。
えいっ。
あたしはすてきないのちを退治した。
にしても、衣装がちっともよくないの。生地がざらめみたいに固くて、痒いし、飾りも全然流行のものじゃなくって。作り直しを頼んだはずなのだけれど、未だに連絡が来なくて困ったわ。ポストを覗いて落ち込むの、飽きちゃった。
呟きながら帰ると、花びらのシールが貼られたかわいらしい封筒が待っていたので、荷物を置いて工房に飛んで行くことになった。
「ピーター、いる? 」
「……あぁ! ティンク。こちらへおいで」
彼が台の向こうで嬉しそうに笑っていて、あたしも幸せな気分になってしまう。テーブルに置かれた透き通ったスツールに腰かけると、慎重に髪を撫でられた。
「あはっ、くすぐったい! ……そうだ。どうしてあたしを呼び出したのか、当ててみせるわ。もしかして、完成したの!?」
「ティンクは察しが良いね。昨日できたんだ」
「きゃあっ、ほんと!?」
ピーターの手を取って踊ると、彼も楽しそうに指で円を描いてエスコートしてくれた。窓から差し込む日で輝いた鱗粉が舞う。
「何ヶ月も待ちわびていたのよ。あなたのステッキ! あたしの相棒、ようやく会えるのね!」
「きみに合うものを作るのは、なかなか神経を使う作業なんだよ。遅くなってしまってごめんね」
「かまわないわ。おかげで待つのも楽しめたし」
「それでこそきみだね。よし、どうぞ。この箱に入っているんだよ」
あたしは、体の二倍ほどの黒い箱を抱え、蓋を静かに取った。綿に包まれたステッキが現れ、すぐに息が漏れた。
「なんて素敵なの……」
ゆるやかにカーブを描く温かな白の素材に、渦の彫刻がさりげなく施されている。 さらに所々にはさまざまな色のかけらが嵌め込まれていた。陽だまり、草の露、野の花。
「なんだか、これ、あたしの羽の粉みたいだわ」
「マジックストーンというんだよ。ぼくの道具製作には欠かせないよ。シトリン、トパーズ、ジェイド、ペリドット、エメラルド。今回は、きみの身なりに似た石に魔力を込めてみたんだ」
「ああ、もう貸し出し用の汚いのを折らなくて済むのね。あなたってすごい! 綺麗ね……」
「じゃあ、それを持って飛んでみて。どうかな」
「とっても軽いわ! すごく楽!」
「オーケー。それにしても、儚く美しいきみにぴったりだ。よかった……」
あたしはステッキを両手で抱え、粉を撒き散らしながら植木鉢や照明などあちこちへ飛んだ。ピーターがうっとりと見つめてくれている。マジックストーンが跳ね返す光が眩しくって、まるであたしステージにいるみたい。
「ステッキ作りの間、いっぱい依頼を断っていたと聞いたけれど、本当なの?」
「照れるなぁ、噂になっているの? 他のことにエネルギーを割きたくなかったんだ。ぼくは、きみのためだけに生きてるんだからね」
「ふふ、変な人。ありがとう」
彼の目を奪えるのはあたしだけ。胸が素晴らしいリズムで跳ねている。
ネヴァーランドのピーター・パンとティンカー・ベル。お互いに二人は最愛どうしで、素晴らしいパートナーなんだもの……。
「でも、少し痩せたんじゃないの? ちゃんと食事は摂ってた?」
「あんまりかな。でも、きみさえ居れば大丈夫だよ」
「だめよ! あたしが何か買って来るわ」
「いや、体がだるいんだ」
「寝てないんでしょ。ちゃんと眠らなきゃ」
「うーん。……ティンク、あのね。ぼくは旅がしたいんだ」
「いまは危ないわよ! あたしも着いて行く」
「心配しないで。気分転換だよ。しかも、ティンクはホームシックになりやすいだろ? 新しいステッキも試してほしいし。ぼくの店が閉まってること、町のみんなに伝えておいて」
「……何かあれば名前を呼んでね? ちゃんと気づくから。ちなみに、どこへ行くの?」
「うん。ノッティンヒルってところかな。 さっき、暇つぶしのダーツで当たったから」
生憎あたしは聞き分けが悪くって、出かけるピーターに振り掛けた粉を頼りに着いて行くことにした。あたしたちは平和だった。やめておけばよかったのよ。本当ばかみたい。
帰ってきた彼は昼夜ぼんやりとしていた。ピーター・パンは道具師をやめたという噂が流れているのに。あたしが呼んでも答えない。あたしが飛んでも見てくれない。もうどうでもよくなっちゃったの? あの女を恋しがってるの? どうして?
「ウェンディのせいでしょ」
「違うよ。ただ、……旅が楽しくて」
「あたし、あのステッキ使いこなせるようになったの。ほら! あなたのおかげ! 新作はまだなの?」
「…………」
「ウェンディのことが好きなの? ……あんな賢くも羽根もない臆病者の何が」
「悪口を言うなティンカー・ベル!!」
ピーターの怒った顔、はじめて見た。すました顔を心がけたけれど、喉が震えちゃった。
「……ティンク、でしょ。そんなふうに呼ばないで」
「もういい。……羽音がやかましいから、出て行ってくれないか」
彼は眉間を押さえ、溜め息を吐いた。信じられない。許せない。あたしのことそんなふうに扱うなんて。
赦さない!
厚い窓ガラスをこぶしで叩く。月より明るく、星より細かく、粉を煌めかせて。弟たちと絵本を読んでいた憎たらしい女が、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ティンク!! 会えて嬉しいわ!」
馴れ馴れしくしないで、と叫びそうになるのを懸命に堪えて、サッシに留まった。
「ウェンディ。相も変わらず元気そうね」
「ええ、だけど……。わたし、ずっとあの日が忘れられなくて。……今、ピーターいる?」
こんなに媚びるような表情。あたしに向けられていない酔っ払いのように潤んだ瞳。ほら、やっぱりこいつも彼が好きなんだ。でも、ピーターはみんなを好きにさせる。ただそれだけよ。
「残念だけどあたししかいないわ。おまえのおかげで動けないの」
「うそ! どうしたのかしら? 病気になっちゃったのかな……」
虫唾が走る。しかめっ面をしそうになりながら、笑顔を作った。
「看病したい? なら、ネヴァーランドに来なさい」
「で、でも、今」
「会いたくないわけ? へえ。苦しむ彼を放っておくの。そう、まあ別にいいけど」
青白い顔に赤みが滲んだ。手の平で頬を挟んで俯くウェンディの腕を蹴ると、こいつは覚悟を決めたように弟たちの髪を撫でた。
「……ジョン! マイケル! よい子にして寝ていてね」
「早く来て」
こいつに魔法を掛けて飛ぶなんて面倒だわ。粉を全身に散らせて、ネヴァーランドに送ってやった。 あそこは永遠に昼なので、きっとすぐに見つかるはずよ。ふふ、どうなるのかしら。わかっているけどね。さ、あたしも仕事の時間だわ。
部屋でティンクが魔法を唱えると同時に、わたしはあのネヴァーランドに立っていた。
爽やかな風、潮の香り、木々の歌、全てが懐かしい!
ピーターの家を探していると、羽根を持つ人間に捕まえられてしまった。手足には鎖が付いていて、ベルトコンベアのようなもので流れているみたい。轡(くつわ)を嵌められていて、まともに叫ぶこともできない。 あぁ、どうしましょう。ティンクもいなくなっちゃった。前と後ろを見ると、他の子どもたちも縛られて倒れ込んでいた。みんな、等間隔で並んでいるけれど、なぜかしら?
ガコンと何かが止まった。途端、この世のものとは思えないほど悲痛な音が空気を切り裂いた。……音じゃない。声だわ。まるで恐怖に満ち溢れているかのように、どこまでも響いていく、声。首の根から熱が引いていく。わたしの歯が笑い出した。わたしのとてつもなく悪い予感は、必ず当たるから。わたしは手を組んで祈り続けた。お願い、 助けて、ピーター……。
「可哀想なウェンディ。怯えているわ」
耳慣れたソプラノが鳴った。泡のように透き通った羽をしきりに動かし、わたしのことを見下ろしている。顔はよく見えないけれど、口ぶりからなぜか楽しげなようすを感じた。
ティンク!? わたしに何をするの!? そう訴えたいはずなのに、口からは間の抜けた声しか出ない。涎が顎を伝った。ティンクは満足そうに頷く。ひらっと宙を舞い、くるりんと一回転。
「間抜けなおまえに教えてあげる。ピーターとは絶対に結ばれないの。おわかりかしら? あたしたち妖精はね、特別な仕事を任されているの」
「でも、あなたには何だか想像もつかないでしょ? 考える脳ないの? ……すぐにわかることね。あたし、とってもうまくなったから!」
酷い。怖い。どうしてわたしを睨むの。涙で視界が滲む。ティンクは見たこともないほど恐ろしい顔で笑っていた。
「ネヴァーランドにオトナが居ない理由、知ってる? ほとんどのコドモは資源にされていくからよ。……彼だけは、あたしたちの魔法でいつまでも十二歳のままなんだけどね。特別な人だから」
何を言ってるの。意味がわからない。そんなのって、おかしいわ。
「永遠の不老を、彼が望んでいるのよ。あたしたちは彼に絶対服従なの。この意味、理解できる?」
色とりどりの服を身につけた妖精たちが、わたしの周りを取り囲み、歌い出した。やめて、やめて。
「あたしたちの仕事はコドモの処理」「砕いて振るって粉にする」「ネヴァーランドは必死の国」「たったひとりのための夢」「誰も戻れない」「コドモ殺しを願ったのは」「ピーター・パン!!」
「ニンゲン殺戮ショーだあっ」
ガラスを隔てたところに、きらびやかなドレスを纏うたくさんの妖精が集まっていた。眩しい粉を辺りに落としながら、愉しそうな目でわたしたちを眺めている。
「あのときみたく守ってくれるピーター・パンは居ないわ。次こそさよならね、ウェンディ」
気がつけばティンクが、天井まで届くほど高く大きくなっていた。手には、……キノコ? 彼女はもう片方の手で、 美しく飾られたステッキを振りかざす。
優しかった空気が、一斉にわたしの敵となった。皮膚が擦れる。
血液が弾ける。世界が輝く。