テラーノベル
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幸人はまず、荒れた部屋を一瞥した。
そして、床に落ちている菓子パンの袋を拾い上げる。そこに残る、小さな歯形。
「……これが、食事?」
そして次に、幸人の視線は、立ち尽くしている詩乃に注がれる。
今の詩乃の格好は、胸元が大きく空いた派手なミニワンピース。
部屋の惨状とは裏腹に、全身を煌びやかに飾り立てるアクセサリー。
吐く息ごとに、きつい酒の匂いが漂っていた。
「……約束したはずです。乃亜のことは、ちゃんとするって」
静かな低い声。
しかし幸人が向ける視線は、酷く冷たいものだった。
詩乃は、言葉を失った。
(……これが……果穂の生活……)
見た目だけを飾り、中身がすっかり空っぽになった“母親”の姿。
「……信じた俺が馬鹿でした」
吐き捨てるような幸人の言葉に、詩乃の胸が痛む。
幸人は携帯を取り出した。
「明日から、一恵さんに来てもらいます」
詩乃は一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
(一恵……?)
「俺が海外にいる間に、ここまで壊れるとは思わなかった」
その言葉に、詩乃は思い出す。
“夫は海外赴任で、ほとんど家にいない”詩乃が眠るベッドの傍で、果穂がかつてそう語っていたことを。
幸人は、リビングの隅にいる小さな影へ視線を向ける。
そこにいたのは、果穂と幸人――二人の息子。
その子は声も上げず、ただじっとこちらを見ていた。
名前は、確か――
「……乃亜」
“乃亜”
そう、それがこの子の名前だ。
幸人が名前を呼ぶと、乃亜の肩がびくっと跳ねる。
そして何も言わず、ソファの影に座り込んでしまった。
まるで――怒鳴られるのを、叩かれるのを、待っているかのように。
詩乃の胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(……この子……こんな風に……)
幸人がシャワーを浴びに行ったあと、詩乃は果穂のスマホを手に取った。
ロックは、顔認証で簡単に解除できた。当然といえば当然だ、今は詩乃が“果穂”なのだから。
通知が、山のように溜まっている。
《今日、ギャラ飲みあるって》
《直樹が今日DJやるみたいだけど、一緒に行かない?》
夜遊び仲間と思われる女子からのメッセージ。
《今日は楽しかった。やっぱ果穂とは相性最高だよ》
《今度いつ会える?》
《次家にくる時、制服持ってきてよ。昔のやつ》
いかがわしい関係を思わせる、複数の男たちからのメッセージ。
そして、たった今――新たなメッセージが届いた。
《今日もクラブ来るっしょ? また朝まで飲み明かそーぜ》
恐らく果穂は、昨夜もこうやって泥酔して、この有様になったのだろう。
少し迷った末、詩乃は果穂を装って返信をする。
《子どもいるから無理だよ》
送り主の男からの返信は、すぐにきた。
《え、今更?笑
前みたいに睡眠薬飲ませて寝かせとけばいいじゃん》
詩乃の手が、震える。
(……睡眠薬……?)
その男との過去のやり取りを遡る。
「泣くとまじうるさい」
「邪魔」
「途中で起きられてもめんどいから、今日は子どもに睡眠薬飲ませて行く」
「まじ効いたみたい。もっと早く使えばよかった〜笑」
そこには、信じられない言葉が並んでいた。
詩乃の胸の奥に、怒りが燃え上がる。
ただの無責任な母じゃない。
果穂は――子どもを“物”のように扱っていた。
詩乃は、ぎゅっとスマホを握りしめた。
(……許せない……)
その時、ふと、リビングの方から小さな気配がする。
乃亜が、ソファの影から半分だけ顔を出して、こちらを見ていた。
怯えながら、様子を伺うような視線。
少しの躊躇いの後、詩乃はそちらへ近づいた。
乃亜の前に、ゆっくりとしゃがみこむ。
「……乃亜」
声に、できるだけ優しさを込める。
乃亜は、何も言わない。けれど、その目が、ほんの少し揺れた。
どうして、果穂と入れ替わったのか。私の体は今、どうなっているのか。まだ何も分からない。
それでも今、胸に生まれた強い決意があった。
――このままじゃ、いけない。
(この子は……私が守る)
保育士になりたかった日々。
一人ひとりの子どもと向き合ってきた時間。
それを、少しでも活かせるなら。
コメント
1件
詩乃が“果穂の日常”の実態に触れていく展開、ゾッとしつつも目が離せませんでした。特に睡眠薬のやり取りは…同じ母親として、いや人間として許せない。あの怯えた乃亜くんの反応が切なくて、「この子は私が守る」の決意に胸が熱くなりました。幸人さんの冷めた視線も辛いけど、詩乃だからこそ変われる未来がある気がします。続き気になります!
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ゆずき
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#子育て
都築七美
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