テラーノベル
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目が細くなり低い声で言う。びく、と肩が跳ねた。
あの低い声には逆らえない何かがある。教師としての威厳というよりも、もっと根源的な、年上の人間に叱られるとき特有のあの感覚。ゾムの口が一瞬きゅっと結ばれて、視線が泳いだ。
「……別に、そらしてへんけど。」
そらしていた。完全に。けれどシャオロンの細められた目と低くなった声の前では、言い訳を重ねるほど墓穴を掘るだけだとゾムの勘が告げている。しばらく黙ってから、観念したように小さく息を吐いた。パンを手に取って、残りの半分をもそもそと口に押し込む。
「……朝は食えへんねん。起きられへんくて。」
それは言い訳ではなく、おそらく本当のことだった。吃音のせいで言葉の滑りが悪いぶん、嘘をつくときの言い回しにも癖が出るのだが、今のゾムにはそれがなかった。パンを飲み込みながら、上目遣いでシャオロンを盗み見る。
「怒った?」
「せやな。結構怒ってる。」
「そもそもドラックはたしかに病気にはかからんけどその分生活習慣病に気づきにくいねん。太っても痩せても大丈夫やけど老衰が早くなるんやで?、てか、下手したら餓死、とか凍死とかもあるんやぞ?病気ってある意味即死を免れるためのものでもあるねん。」
ぽかん、とした。口が半開きのまま、シャオロンの言葉を浴びている。
怒られることは覚悟していた。けれど返ってきたのは小言ではなく、純粋な心配と知識に裏打ちされた真剣な説教だった。しかもその内容が、ゾム自身ですら知らなかったドラッグの身体の仕組みにまで踏み込んだもので。翡翠の目がゆらりと揺れた。
「……老衰、早いん?」
そこだけ拾った。怒られている最中だというのに、声に滲んだのは反省ではなく純粋な驚きと、それから微かな怯え。ゾムの中で「死」という言葉の輪郭が急にくっきりと浮かび上がったのが、表情の変化から見て取れた。膝を抱えて、少しだけシャオロンから離れるように身体を縮めた。
「凍死て……俺、冬もパーカーだけやったけど。」
笑おうとしたのか、唇の端が引きつっただけだった。
「ハァ、」とため息を着く。
「ドラックは病気かからん分、人一倍自分のこと気にせなあかんのやぞ。寒いだけで済むんやない。寒い、凍死するかもってちゃんと思え。普通の人やったら寒い、風邪ひく、とかの過程があるけどお前ないやろ。死ぬで?、ええんか?」
抱えた膝に顔を押し付けた。声がくぐもる。
屋上を吹き抜ける風の音だけがしばらく二人の間に横たわった。ゾムの結んだ髪がほどけかけて、ゴムの輪が手首まで落ちている。
「……ええわけないやん。」
小さい声だった。いつもの人を食ったような調子も、ずる賢い計算も剥がれ落ちた、ただの十八歳の声。顔を上げないまま、指先が自分のシャツの胸元をぎゅっと掴んだ。
「でも、ようわからんねん。寒いとか暑いとか、あんま感じひんし……腹減ったかどうかも、ようわからん。」
「病気せえへん身体ってそういうことやろ、多分。」
それはドラッグという稀有な存在が背負う、ある種の孤独だった。痛みの信号が届かない身体で、危険の境目が見えないまま生きるということ。ゾムがこれまで無頓着だったのは怠惰ではなく、本当にわからなかったのだ。
ようやく顔を少しだけ上げて、前髪とフードの間からシャオロンを睨むように見る。睨んでいるつもりだろうが、潤んだ目ではまるで迫力がない。
「……ほな先生が管理してや。」
「…朝電話したらすぐ出る。それで起きろ。飯はみんなが食べるタイミングで食べろ。21時までには寝ろ。」
ぱちぱちと瞬いた。
叱られることは予想していた、怒鳴られることも。しかしまさか具体的な生活指導が始まるとは思っていなかったらしい。目を丸くしたまま、まるで餌を待つ犬のような顔でシャオロンの言葉を一つ一つ拾っている。
「……毎朝?」
確認したのはそこだった。「管理しろ」と言ったのは自分だが、まさか本当にやってくれるとは。ゾムの中で、嬉しさと困惑と、それからもう一段深い場所にある暗い歓びがぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。口の端がじわりと持ち上がるのを、手で隠した。隠しきれなかった。
「21時て……小学生かよ。」
文句を言う声が震えていた。笑っているのか泣きそうなのか、おそらく本人にすら区別がついていない。おもむろにシャオロンにもたれかかった。遠慮のかけらもない、全体重を預けるような寄りかかり方で。
「わかった。全部守る。」
「……やから先生、約束やで。破ったら怒ってな。」
「ん、怒る。今度からは周期表描いてもらおうか。」
もたれたまま、げ、という顔をした。
「周期表て。あれ全部描くん何時間かかると思てんの。」
けれど声にはどこか安堵が混じっていた。「破ったら怒る」という言葉が、ゾムにとっては何よりの鎖になる。繋がりになる。見放されないという保証になる。ずりずりとシャオロンの脇腹に頭を擦り付けて、猫のように甘えた。
「ほんなら先生、破らんように見張っとってや。」
ゾムの手がシャオロンにかけたパーカーの袖を摘んでいた。返してほしくないとでも言うように、指の力加減がやけに強い。五限の予鈴まであと少し、春の陽が傾き始めて二人の影が長く伸びる。
ふと思い出したように。
「あ、先生。俺のこと希って呼んで。ゾムてあだ名やし、なんか……他人行儀やん。」
他人だろう、という正論は、おそらくこの少年には通じない。
「…?、そうか?……ほな希?」
ぴたり、と動きが止まった。シャオロンに預けていた頭がゆっくり持ち上がり、前髪の奥で翡翠が大きく見開かれる。
自分で頼んでおいて、いざ呼ばれると固まる。耳の先が赤くなっているのは風のせいだと、おそらく本人はなんとも思っていないでだろう。
するとシャオロンはハッとした顔でゾムを見下ろす。
「ゾ、希、……一旦離れてくれへん?」
✂︎——————キリトリ線—————–✂︎
NEXT20♡
あの、…22もあったんやけど?
ありがと、
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コメント
1件
うわ、第5話めっちゃ良かったです……!「管理してや」って言ったらまさか本当に毎朝電話してくれるって返ってくるの、ゾムくんの内心の驚きと嬉しさが混ざった反応にこちらまでほっこりしました。先生の本気の説教がちゃんと心配から来てるのが伝わってきて、♡♡♡だからこそ感じられない危険の話は設定としても深いなと。最後に「希」って呼ばれて固まるところ、めちゃくちゃ可愛かったです……二人の関係性がじわじわ変わる感じ、この先も楽しみにしてます!