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(⋯⋯アライン、決めました。

新たな名は⋯⋯)


沈黙の中に

ゆっくりと立ち上がる

アラインの気配が広がる。


誰もがその動作ひとつに呼吸を止め

全身を緊張に染めながら耳を傾けていた。


彼は、椅子の背を軽く叩き

マイクの前に再び唇を寄せる。


獲物を見下ろすような微笑のまま

その唇がゆっくりと開いた。


「フリューゲル・スナイダーの皮を脱ぎ去り

我々が名乗る新たな名は──

《ノーブル・ウィル》

高貴なる意志。

意志を力に

理想を現実に変える者たちの集いだよ」


その声は、落ち着いていた。


だが

確かな支配と狂気と美しさを含んでいた。


「この名のもとに集う者は──

過去を捨て、未来を選ぶ。

それが〝善〟であれ〝悪〟であれ

ただ選び、歩む意志を持つ者だけが⋯⋯

ボクの側にいればいい」


アラインの宣言に

慈善活動派がいち早く雄叫びを上げた。


「ノーブル・ウィル万歳ッ!!」


空気が熱を持つ。


次いで

先程まで沈黙していた

ハンター派の男たちの中からも

静かに手を掲げる者が現れる。


抗う気力はもうなかった。


ただその名の音が

胸の奥で何かを焼くように響いていた。


「⋯⋯ノーブル・ウィル、ねぇ」


アラインは、それを満足げに聞きながら──

まるで舞台の幕が上がった瞬間の

主演俳優のように

静かに、だが誇らしげに口元を吊り上げる。


「さぁ、祝福を贈ろう。

キミたちが〝ボクの意志〟であることを──

世界に、証明していこうか」



(もう!

何故、あなたは最後に

そんな命令するように言うんですか

アライン!

私に任せると言ってたのに⋯⋯)


精神の深層を揺らすように

鏡の向こうからライエルの声が響いた。


その声音は澄んでいながら

いつになく硬質な怒気を帯びていた。


まるで、凪いだ水面に投げ込まれた石が

幾重もの波紋を広げていくように。


だが──


返ってきたのは、揺るがぬ冷笑と

相変わらず微笑を含んだ

穏やかな声音だった。


(キミを見直したからこそ

少し手助けをしたまでだよ。

ライエル⋯⋯

この世界はね

キミが思うよりは甘くないのさ)


精神の座に在るアラインは

組んだ指を静かに胸元で揺らす。


その仕草は一見、祈りのようでもあった。


だが、そこにあるのは──

神にも届かぬ、酷薄な確信だった。


(綺麗事だけで統べられるなら

ボクも苦労しない。

理想だけで人が動くなら

ボクはとっくに〝世界〟を変えてる)


その声には、自嘲すら感じさせない。


ただ

確固たる現実の重さだけが滲んでいた。


(油断してると

あっという間に背中を刺されるよ。

キミの〝誠実さ〟は、時に毒になる。

それが〝他者を救う〟という名の

刃になって──

キミ自身を殺すんだ)


鏡の向こうに視線を投げかけるように

アラインのまなざしが細められる。


その目は

まるでライエルの頬に

優しく触れるかのような甘さを纏いながら

芯には鋭く冷たい針が刺さっていた。


(⋯⋯キミが今、目の前にしてるのはね──

綺麗事じゃない

〝現実〟という名の怪物さ)


その言葉は、どこまでも静かに

だが重く沈み込んでいく。


ライエルの唇が、悔しげに引き結ばれる。


だが、怒りに顔を歪めることはない。


その奥に灯るのは

凍てつく夜に揺れる、ひとすじの焔だった。


(〝善〟を掲げるだけじゃ

人は付いてこない。

けれど〝善〟の顔をした理想は

人を動かす事もある。

だからキミには⋯⋯

〝顔〟になってもらうんだ。

優しい仮面をつけたままで、ね?)


アラインはそれきり、何も言わず

心の奥底でただ静かに笑った。


一方、鏡の中のライエルは──


その焔を誰にも見せることなく

唇を噛み締め、再び顔を上げた。


(⋯⋯それでも私は、信じたい。

善意の言葉が、世界に届く日があると)


それは、なお諦めない者の眼差しだった。


怪物の隣で

希望という名の灯を

絶やさず立ち続けるための、覚悟の始まり。



拠点を後にし

アラインはBAR Schwarzの営業に出ていた。


カウンターのグラスを磨きながら

耳に届くのは軽快なジャズと

笑い声の混ざる夜のざわめき。


無数の顔が行き交う喧騒のなかで

彼は時折、作り慣れた微笑を浮かべながら

客と会話を交わしていた。


──だが、その裏で

ずっと胸の奥に

澱のように残っていた沈黙がある。


ミーティングルームでの宣言の後から

ライエルは一言も発さずに

沈黙を守り続けていた。


それは彼にしては珍しい静けさであり

アラインにとっても

気がかりな変化だった。


グラスを棚に戻しながら

一度だけスタッフに視線を送る。


「⋯⋯交代。少し、ボクは裏に籠るよ」


「かしこまりました。マスター」


静かな指示に、スタッフは深く頷いた。


アラインはバックヤードへと足を向けた。


重い扉を閉じる音が、外の喧騒を遮断する。


それはまるで

現実との境界線を閉じる儀式のようだった。


革張りの椅子に腰を沈め

長い髪を後ろに流すと

アラインは静かに目を閉じた。


──精神世界。


どこまでも広がる静謐な闇と

揺らめく水面。


その中心、縦に立つ荘厳な鏡の奥に

ひとりの青年の姿があった。


ライエル。


整った輪郭と、雪のように白い肌。


黒髪は静かに肩先で揺れ

アースブルーの瞳が

深く沈んだ湖面のように水面を見つめる。


彼の表情は柔らかいようで

どこか切迫していた。


心の内に必死に何かを刻みつけるように

じっと足元の揺らめきに眼を注いでいた。


アラインは鏡のこちらから

その姿を見下ろすようにして呟いた。


「⋯⋯何してるんだい?」


ゆっくりと顔を上げたライエルは

一拍置いてから答える。


その声音は落ち着いていたが

瞳の奥に小さな炎が宿っていた。


「勉強を⋯⋯

私はまだ、この現代を知らな過ぎる。

だから、あなたの記憶を見て

学んでいるのです。

今の現代の在り方を」


(私は⋯⋯あなたとは違うやり方で

人の心を掌握してみせる!)


精神の奥底にその想いが打ち下ろされた時

アラインは目を細めた。


その口元が、じわりと吊り上がる。


それは微笑みではなかった。


冷え切った内側から滲む

歪んだ〝愉悦〟の感情。


(⋯⋯ふふ。いいね)


背筋がぞくりとするような、静かな喜び。


薄闇の中、支配者の影が揺れる。


(キミが〝善〟であればあるほど──

あの天使はボクを疑わない。

時也は、キミの柔らかさに安心し

ボクの仮面を信じる)


彼の瞳の奥に思い浮かぶのは

鳶色の瞳をした優しき狂信者。


微笑みながら心を読み

誰よりも冷酷に刃を振るう男。


──櫻塚時也。


(アリアではない。ソーレンでもない。

あの狂信者を欺き、堕とすには

この優しい〝顔〟が必要なんだ⋯⋯)


鏡の向こうで

ライエルはまだ真剣な面持ちで

記憶の水面を見つめていた。


だがその瞳に映る現代の光景は

彼を苛むだけでなく

着実に彼の覚悟を育てている。


(⋯⋯キミには、頑張ってもらわないとね)


アラインは指先を組み

その拳を顎の下で支えたまま

静かに囁くように笑う。


(ボクの〝信頼〟を背負って

誠実な笑顔で世界を欺いて──

あの天使の羽根を、折るために)


唇が、愉悦に染まりきった

冷ややかな弧を描いた。


精神の奥、誰にも届かない場所で──


彼は、堕天の準備を着実に進めていた。

紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜

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