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マンションに戻り、簡単に夕食の支度をしていると雪斗が帰って来た。
「具合が悪いのか?」
雪斗は出迎えた私の顔を見た瞬間、眉をひそめた。
「え?」
「顔色が悪い。後は俺がやるから休んでろよ」
そう言いながら素早く上着を脱ぎキッチンに立とうとする。
メニューは野菜と鶏肉のあっさり鍋だから雪斗でも用意出来ると思う。でもでも雪斗の方が沢山働いて帰って来てるのが分かってるから申し訳無い気持ちになる。
だからモタモタしてしまっていると、雪斗に腕を掴まれてソファーに連れて行かれた。
「出来たら呼ぶからゆっくりしてろよ」
「……ありがと」
「ほら、これかけとけよ」
雪斗はソファーの近くに置いてあったブランケットを私に渡すと再びキッチンへ戻って行った。
雪斗は相変わらず優しい。私のことを良く見てくれているし、気遣ってくれる。
思っていた以上に疲れているのか、うつらうつらしていた。
「美月、起きられるか?」
いつの間にか眠ってしまっていたようで、テーブルの上には雪斗が支度してくれた鍋が温かい湯気を上げている。
箸も取り皿も全て完璧に用意して有った。
「ありがとう」
「体調悪そうだけど少しは食べろよ」
「うん」
「それから今日は禁酒な」
雪斗は私には冷たいお茶を渡してくれた。
「うん。いただきます」
あまり食欲は無かったけど、あっさりとした鍋料理だったせいか思ったよりは食べられる。
最近よく痛む胃にも刺激が無さそう。
雪斗はお腹が空いていた様でよく食べていたけれど、不意に難しい顔になり言った。
「気分悪いのが続く様なら病院に行けよ」
「うん、でもそこまでしなくても大丈夫そう。今日は早くベッドに入って沢山寝るよ」
「無理するなよ。少し大げさなくらいの方がいいって言うしちゃんと医者に行けよ」
「雪斗もね、私よりよっぽどハードに働いてるてるんだから」
「俺はいいんだよ」
私のことは大げさなくらい心配するのに、自分には無頓着で適当な雪斗。
でも体調不良で仕事を休むことは無いし、それなりに自己管理出来てるのかな。
それに比べて私は……水原さんとの会話ですっかり憂鬱になってしまってるし、心に引きずられる様に身体もだるくなってるし。
そして……一番の悩みはやっぱり雪斗と春陽さんの事。
もう土曜日まで日が無い。
雪斗を信じようって決心してるのに、不安な気持ちはどうしても消えなくて。
最近胃が痛いのも精神的なものかもしれない。
私は結婚した事が無いから理解出来ないしがらみも有るんだろうって、頭では分かっているし、誠実に私に向き合ってくれる雪斗を責める事は出来ないけど本当に嫌で仕方ない。
『じゃあ美月さんもそうしたらいいんじゃないですか? いつまでも私に怒ってるのは我慢ばかりしてるからでしょ? 自分が悪者になりたくないだけでしょ?』
数時間前に聞いた水原さんの言葉が蘇る。
さっきは反発ばかりでイライラしたけど……でも確かに私は我慢している。
本音は嫌で、雪斗に行かないでって泣いて責めたい気持ちが有るのに理性で抑えてる。
ギリギリのところで我慢していて……。
早く土曜日なんて終ればいい。
日曜日になって、こんな苦しくて暗い感情は忘れてしまいたい。
金曜日。休日を前にいつもなら少しの疲れとそれ以上の開放感で気分が良いのに、土曜の事ばかりに囚われて鬱々としている私に、雪斗が心配そうに言った。
「美月、具合悪いなら早退しろよ」
「うん、本当に大丈夫だから」
「……俺、今日は一日外回りだからな」
雪斗は私の言葉を全く聞いてないのか、一人でブツブツ言っている。
そんなに心配してくれるなら明日キャンセルしてくれればいいのに。
言えない本音を飲み込んで、これ以上心配かけない様に明るく振舞う。
「私は今日はどこにも出かけないし、本当に平気だからね」
「有賀に無理させない様に言っておく」
「えっ、駄目だよ!」
それだけは止めて欲しい。
有賀さんに変な気を遣われたくない。
「私だって大人なんだから大丈夫。それより雪斗は朝一で出るんでしょ? 早く行かないと一緒に行く人待たせちゃうよ」
「同行は真壁だから。あいつなら時間読んでるだろ」
真壁さんか……やっぱり急いで行かないで欲しい。
ついそんなことを思ってしまった。
仕事が始まると私は朝の定例業務をいつもより早めに終わらせて、有賀さんと会議室に籠もった。
今日一日は近日に迫った内部監査用の資料を集める作業だ。
書庫から運び出して来た過去の資料をチェックする。
量が多くて面倒だけど、内容的には単調な作業で退屈だ。
有賀さんも同じだったのか、手を動かしながら話しかけて来た。
「昨日、水原さんと話したんだってね」
意外に感じた。水原さんが有賀さんに話す事は予想していたけど、今までの経験上、それについて有賀さんが私に何かを言って来るとは思っていなかったから。
「偶然駅で会ったんです……彼女は有賀さんを待っていたんですよね?」
なんとか平静を装い答える。
「そうなんだ。昨日は仕事が早く終わりそうだったから待ち合わせしてたんだ」
有賀さんはニコリと笑みを浮かべながら言う。
昨日の件はどこまで聞いてるのかな。
彼女に対して特別酷い事を言ったつもりは無いけれど、結果的に水原さんと言い争いをして別れたから少しきまずい。
「彼女、何か言ってましたか?」
「秋野さんはかなりストレス溜めているみたいだって。イライラしてる様子だったって言ってたよ」
昨日のあの会話がストレスで片付けられたの?
そうだとしたら、やっぱり水原さんの感性を疑ってしまう。
「イライラって藤原との事?」
「いえ……」
今日の有賀さんは珍しく、踏み込んで来る。
会社内と言っても会議室で、他に人が居ないからなのかな。
「ストレス溜める程の何かが有るならはっきり言った方がいいよ、藤原だって気付かない事は有るだろうから」
「彼はかなり鋭いと思います」
私が元気が無い理由だって本当は分かってるかもしれない。
でも春陽さんと会うのを止める事は出来ないから、触れて来ないのかも。
でも有賀さんは苦笑いで否定した。
「確かに藤原は抜け目無い奴だけど、でも男って結構単純だし、言われなきゃ分からないことは沢山有るよ。だから秋野さんもちゃんと意思は伝えた方がいいよ。お互いの為にね」
「……有賀さんもですか?」
「え?」
「有賀さんも気付かないことが多いですか? 彼女とは凄く上手くいってる様に見えましたけど」
「ああ、それはそうだよ。気付かなくて怒られることはしょっちゅうだ」
「彼女ははっきり言って来るんですか?」
「うん。言い方は穏やかだけどね。でもかなり主張して来るよ。彼女は見かけは大人しいし何となく弱いイメージが有ったから初めは驚いた」
有賀さんは当時を思い出しているのか、クスリと小さく笑った。
「……そんな風に強く主張されると嫌にならないですか?」
私には我侭に感じてしまう。
自分の意見ばっかり押し通すのって良いとは思えない。
でも有賀さんはうんざりしている様には見えない。