いつもよりヤル気を出したもっちりとした黒豹が、事の場所に着いたのは、それから暫く経ってからの事だった。それは正に死闘の最中であり、辺りは怒号と悲鳴が共存し、死への誘いが谺《こだま》する様な緊迫した状況下であった。
当然ギアラも何の考えも無しに突っ込む程バカでは無い。先ずは太い樹冠《じゅかん》へと爪を立て、闇夜に身を潜めると、状況を理解する為に様子を伺う。
「なんれすかアレ? ぺったんこのパンがあばれてるれす」
見えない存在はその異様な雰囲気と、自らが感じ取った違和感の答えを求める様に具《つぶさ》に目を凝らしている。
「パンはウマイのれす。よだれがなくなるれす」
タプタプのお腹をパンパンと叩き猫が戯言《たわごと》を宣《のたま》う。
「ちょっとォ アンタ静かにしてくんなィ? 」
ギアラはまん丸な瞳で首を傾《かし》げると、注意を受けても何の其《そ》の。長い尻尾をフリフリ思い浮かんだ疑問を構わず投げかけて来る……
「パンもおこるれすか? 」
「アタシはパンじゃないしィ アレもぱんじゃないのッ」
暫く様子を伺い、見えない存在はその違和感の正体を見極めると、納得したように成程と呟いた。奔放な猫はフーンと相変わらずの毛繕いに耽溺《たんでき》になると、何かを思い出した様に我に返る。
「あっ⁉ おもいだしたのれす。あのヒトゾクはマジンさまのおともだちなのれす」
「そっちかよ…… 人族の方じゃ無くてさァ、もう1人をちゃんと見なさいヨ。アンタが気が付かないのはどうかと思うわョ」
「うにゃァ?」
「アレって、アンタの同郷なんじゃないのかって言ってんのョ」
ヴェイン達は始めこそ優勢に事を構えていたが、時間が経つにつれ劣勢へと追い込まれていた。ヴェインも無尽蔵に体力がある訳では無い。この短時間で闘い続けてきた代償が、肝心な場面で尽きかけていた。
その類稀なる精神力だけがヴェインの大剣を唸らせる。
生と死は表裏一体。常に死を背負い生に向かい大剣を振るう。絶体絶命の中で笑みを浮かべながら、迫り来る恐怖を嘲笑うように掻い潜る。
「信じられない、人間があんな化け物と渡り合ってる」
サイラはその余りにも現実離れした地獄の様な闘いを瞳に焼き付けると思わず言葉を吐いた。
「サイラ――― 」
ジンは自らも重傷を負いながらも漸くサイラに駆け寄ると、立木の中へと二人を引き摺って行く。両の肩に手を掛けると諭すように続けた。
「聞くんだサイラ、お前はレイを連れて逃げろ。注意が今あの男に向いている今なら逃げれるはずだ」
「ジンは? ジンはどうするのよ? まさか⁉ 」
「時間が無い…… 時間が無いんだサイラ、俺達には…… スマン」
ジンは言葉少なくそう告げると、サイラからレイを取り上げると首筋にナイフを突き立てた―――
「なっ―――‼ 何の真似よジン貴方は――― 」
ジンは問いに答える事無く、今度はサイラに馬乗りになると、躊躇わずサイラの首筋に刃を突き立てた―――
「止めっ、がはっ――― ジン…… 何で――― 」
「俺を恨んでくれて構わない。そうなれば俺を忘れないでくれるからな。レイを連れて逃げろ、そして生きてくれ頼む」
その言葉にサイラは我に返る。そして改めて自分達が置かれた状況を、鈍く点滅を始めたジンの呪隷紋《じゅれいもん》によって思い出した。
合流に遅れが生じれば―――
―――逃亡したものとみなされ首が飛ぶ
「そんな――― ジンも早く――― 」
「俺はいい、俺はもういいんだサイラ。レイにはコレを飲ませてやれ」
ジンは小さな小瓶を懐から取り出すとサイラの手に納め、しっかりとその手を握った。
「何でよ――― いいわけないでしょ‼ 早くジンも―――」
小瓶を握りしめた手を震えさせ、サイラの絶叫が谺《こだま》する。
「俺はもう死んでるんだよサイラ」
「何言ってるのジン止めてよ、そんな事言うのは止めてよ」
そう言い放つとジンは、悲しい笑顔を残し化け物へと向かって行った。
「ジン―――‼ ジン――― 」
後に残されたサイラは暗涙《あんるい》に濡れレイを抱き締め乍《なが》ら、ただただ悲愴な行く末を見守る事しか出来なかった。
激しい打ち合いの末に、既に腕の感覚が失われようとしている時だった。大剣が力により押し返され、いよいよと覚悟を決めた正にその時―――
1人の男が視界の隅を掠めると、化け物の前肢《ぜんし》と思《おぼ》しき関節部に、鋭利な剣を差し込んだ。堪らずバケモノは発声器官を激しく振動させる……。
―――ギュボアァァァァ―――
「加勢致す――― 」
「ぬっ―――⁉ 」
ヴェインはその姿に違和感を覚え声を荒げた。
「てめぇ何のつもりだ? 此奴《こいつ》はテメェらの差し金じゃあねぇのかよ。ははぁ~ん、さては持ち込んだ此奴が暴走しちまって、言う事を聞かねぇって訳で証拠隠滅って所か? あん? 」
男は剣を弾くとその問いに冷静に答えて見せた。
「何を言っている、この化け物はお前達の研究所下層から這い出してきたんだぞ、禁忌の研究を犯し、創り出したのはお前達の国だ」
「何だと――― それ本当かよ、それじゃぁ此奴は…… うわっとっと、危ねぇ――― 」
「あぁ、間違いなくお前達が創り出した化け物だ、だがあの2人を救ってくれた事には感謝する」
「はぁはぁ、畜生こんな化け物がマジで国産ってかよ…… しかもあの女達もお前の仲間って事は、俺は敵を助けちまった間抜野郎って事じゃねぇか、流石にババァにも弁解出来ねぇぜ、参ったぜこりゃあ」
ヴェインは振り下ろされる鋏脚《けんきゃく》を剛剣で弾くと、脚を蹌踉《よろ》めさせた。
―――クッ―――
「そうだな。アンタが間抜けなお陰で俺達は生きている。そんな恩人を見捨てて俺は去る事は出来ない。だが、あの2人だけは此処から逃がして欲しい。深手を負ってしまって居るんだ、追わないでくれると助かる」
ヴェインは迫る攻撃を身体を潜《くぐ》らせギリギリで去《い》なして見せると、荒い息遣いを悟られぬ様に答えた。
「それは出来ねえぇ相談だな。だが、もし此奴から生き延びれたらその限りじゃねぇ。先ずは此奴を何とかしなきゃ全員やられちまう、話はその後だ」
「わかった。一緒に死ぬかもしれん相手の名を知らないのは気が引ける、アンタ名は? 」
激しく剣戟《けんげき》を振るう最中、お互い初めて名乗りを上げる。
「へっ、俺様が死ぬだぁ⁉ だが、おめぇの言う事には同感だ。ヴェイン・ミルドルド。ケルトの生き残りだ」
張った虚勢で自らを鼓舞すると、一瞬グランドの笑顔が脳裏に浮かび、彼がこの場に居ない事に改めて安堵した。
「アンタがケルトの戦士だったのか、成程、納得だ。俺はジル・シルベスター、カルマによって奴隷剣士にされた、ビザンビアの南端の街、シャビズ出身の元騎士だ」
「相棒にするにゃあ上等だぜ――― 頼むわ騎士様よぉ‼ 足引っ張んじゃねぇぞぅ‼ 」
「あぁ――― アンタもなヴェイン――― 」
無明なる煩悩は幾許も無く天を流離ひ、流れ逝く。悽愴はまた誰が為の決意となり、時の狭間に鏤骨《るこつ》と化す。終焉なき戦の代償は、軈て天魔の礎と成り果てん。
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