テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
時間軸が追いつきました。
もっきー視点。
「おいすー、おつかれー」
俺がスタジオに入ると、若井と涼ちゃんが弾かれたように顔を上げた。冷静に、いつも通りに、と自分に言い聞かせて唇に笑みを乗せる。
「なんか久しぶりだね、若井も」
「……はよ」
困惑を隠せていない顔に怯えすら含ませた若井が応じる。別れたことを聞いたんだろうな、それなのにどうしてそんな普通なんだって言いたそうだ。
若井のそんな視線に気付きながらも何も言わず、涼ちゃんを振り返る。
泣き腫らした目、いつもは丁寧にケアされているのにパサついた髪、眠れていないのだろうか、肌も少し荒れて、ふっくらとした頬が不健康に削げている。
抱き締めて甘やかしたくなるのをグッと堪えて、心配してるのは嘘じゃないから顔を曇らせて問う。
「なんかちょっと会わない間にやつれてない? 大丈夫?」
びくっと震えた涼ちゃんが、悲しそうな目を俺に向けた。
そんな顔しないで。攫ってしまいたくなる。
「……ちょっと食べすぎて胃もたれしちゃってさぁ」
吐くならもっとマシな嘘にしなよ。
「おじさんだもんね」
それでも、普通を演じる。くすくすと揶揄うように笑って見せる。
「ひどいなぁ、もぉ」
苦しそうに笑った涼ちゃんが、お腹ではなく心臓のあたりをぎゅうと押さえた。
つらそうな涼ちゃんを見ていられなくて目を逸らして若井を見ると、心配そうな目を涼ちゃんに向けている。
――そんな目で見るなよ。俺の涼ちゃんなんだけど。
その視線に気づいた涼ちゃんが何か仕種をしたのだろう、若井は何も言わずに唇を噛んで俯いた。
何も悪くない若井につかみかかりそうになるから話題を変えるために、午後からあのクソ女との打ち合わせがあることを告げる。
マネージャーたちに何も伝えるなと言い含めておいた甲斐があって、若井は怪訝そうに眉を寄せた。
「そもそも提供する話すら聞いてない」
「なんか売り出し中のアイドルなんだって」
あらかじめ用意しておいた女の画像を見せる。わかりやすく名前が見えるように。
予定通り名前を読み上げた若井の声に、涼ちゃんの肩が大きく跳ねた。
やっぱり知っていたんだね。ねぇ、どうして俺より先に知ってるの?
横目で涼ちゃんの反応を確認した俺に、若井が険を帯びた声で「引き受けだんだ」と非難するように言った。
おおかた予想通りの反応だけど、やりたくないのにやらされている俺の気持ちも考えろよと、八つ当たりしそうになるのをどうにか我慢する。
「まぁ、断る理由もなかったし、これも仕事のうちでしょ」
わざとらしく肩をすくめ、そうだけどと口ごもる若井を細めた目で見つめる。何か言いたいことがあるなら言えばいい。でも何も言えないだろ、お前も。事情を知らないんだから。
「……音源送るから、とりあえず聴いて」
何も言い返さなかった若井にそう伝え、涼ちゃんと若井のタブレットに音源を送った。
気まずい空気感に涼ちゃんが顔を歪ませる。きっと自分のせいだと責めているんだろう。
間違ってはいないけど不正解だ。でもそれを、今は教えてあげられない。だから、譜面起こしに逃げていいよ。ヘッドフォンで世界を遮断していいよ。俺がなんとかしてあげるから。
そうして暫く待っていると、顔を出したマネージャーにアレが来たと伝えられ、はいはーいと席を立つ。
部屋を出てすぐには動かずドアの前で中の様子を伺うと、何かを二人が言い合って、やがて顔を見合わせて笑った。
俺にはその笑顔、向けてくれなかったくせに。
でも俺も、涼ちゃんの名前を呼ばなかったから同罪かな。
きっと涼ちゃんは気付いただろう。俺が彼の名前を呼ばなかったことに。
ちょっとした意地悪くらい、許してよ。全部片付いたら君が嫌になるくらい呼ぶからさ。
三日ぶりに会ったクソ女はやたらと馴れ馴れしく俺に声を掛けた。マネージャーが無表情でそれを眺めながら、事務的な対応を心がけている。
俺も俺で事務的に対応しながら制作した楽曲を聴かせると、キラキラとした目を向けてきた。
「すっごい素敵な曲ですね! 私のために……嬉しいです」
「……そう言ってもらえてよかったです」
はは、ほんとおまえ、救えねぇな。
心の声は聞こえないからいい。上辺だけ取り繕って安心したように見えるように息を吐く。実際は嘲笑を込めて鼻を鳴らしただけなんだけどね。
「じゃぁ、今後の予定ですが」
「あ! スケジュール帳置いてきてしまったので取ってきていいですか?」
めんっどくさいな、用意しとけよ。紙やるから書けよそこに。横にいる付き人はなんのためにいるんだよ。
言うより早く立ち上がった女が部屋を駆け足で出ていく。
出ていってしまったものは仕方ない。
「……申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にしたのは、意外にも女の付き人だった。
スーツを着た若い男性だ。
冷めた目で男を見つめる。口先だけの謝罪じゃなく、苦しそうに吐き出された言葉だったように思う。
でも、それに何の意味がある? うちのマネージャーも、俺と同じような目をしていた。
「それは、何に対する謝罪ですか」
お前に謝られたって塵ほどの価値もないのだと言外に伝えると、男はもう一度、消え入りそうな声で申し訳ありませんと繰り返した。
暫く待つと女が戻ってきて、やっと話が進んだ。今後の予定を確認し、レコーディングがあるからと外に出る。
まだ話し足りないのか女は不満そうだったが、付き人の男が我々も予定がありますと宥めていた。
スタジオに戻ると若井しかいなくて、ひとり? と訊くと、トイレ行った、と短い言葉が返ってきた。
そう、と返して涼ちゃんがいるはずのキーボードに目をやると、着実に音を拾って楽譜が作られていた。
楽譜は読めないけど、すごいなって思う。俺の歌を、俺の曲を、俺のことを理解してくれる二人には感謝しかない。
怒りに任せて作った楽曲だけど、二人が大切にしてくれるから形にできる。
「……元貴」
「なに?」
「別れたって、ほんとうか?」
きた。
若井らしく、婉曲的に訊くのではなくストレートに。
何も知らないだろうから、種は撒いておかないと。
「あぁ、そのつもりみたいだね」
なんでもないように言う俺に、若井は眉を寄せた。
小さな違和感を覚えてくれればいい。
「元貴、お前……」
「どうかした?」
「いや……」
「なんだよ、変な奴だな」
ふは、と笑う俺を、じっと見つめ、目を逸らすことなく続ける。大切な話をするときに真っ直ぐ相手を見つめるのは、俺たちが涼ちゃんから学んだことだ。
「涼ちゃん、が、元気ないじゃん」
「ね。あっちから振ったのにさぁ、あんな顔してさぁ、やらされた、って言ってるようなもんじゃん?」
「……どういうこと?」
種はこれで十分かな。あとは俺もまだ分かっていないことが多いから。
でもこれで、このあと何が起きても“俺たちの本意ではない”ってことを、若井も理解するだろう。
「んー……まぁもう少しで片付きそうだから、涼ちゃんについててあげてよ。倒れたら嫌だし」
片付きそう、は嘘だけど、後半は本当にそう思ってるから、困ったように、真剣に告げる。そこに俺の真意を見た若井が目を僅かに見開く。
そして、困惑しながらも俺の気持ちを汲み取って、わかった、と頷いた。
「おまえ……なに考えてんの?」
もう少し踏み込もうって? 悪いけどこれ以上は言えないんだよ。
でもね。
「涼ちゃんのことだよ。俺がそれ以外でこんな動くこと、あると思う?」
これだけは確かだ。
何かを考え込むように黙った若井に、ああ、そうだ、と声を掛ける。
にこっと笑い掛けると、こわっ、と失礼な反応。
「涼ちゃんのこと、気に掛けて欲しいのは本当なんだけどさ。……やりすぎはお前でも許せないから、ほどほどに頼むわ」
うわ……と言いながらも、少しだけ安心したように若井は笑った。明確な答えではないけれど、俺が涼ちゃんを手放すつもりがないことを悟ってくれたんだろう。
それだけでいい。若井には勘違いしてほしくなかったから、俺としても上々の成果だ。
程なくしてスタジオに戻ってきた涼ちゃんの顔色はすこぶる悪く、若井がどうしたの、と心配している。
涼ちゃんは、なんでもないよーと笑いながら、譜面起こし終わらせちゃうね、とヘッドフォンをつけた。
なんでもないわけないのに、君は声を上げないんだね。
助けて、って言ってくれたら、何もかもを捨てて、若井と二人で君をここから連れ出すのに。
だから、俺が追いかけてあげる。捕まえてあげるから、もう少し逃げていいよ。
若井が俺の代わりに涼ちゃんを気遣うことで、涼ちゃんが倒れる心配は少しだけ減った。涼ちゃんを慰める役割を譲るのは死ぬほど嫌だけど、今は仕方がないと割り切るしかない。
その後、軽い音合わせまで済ませて、また明日、と別れる。若井が涼ちゃんを食事に誘う。少し迷った末に行くことにした涼ちゃんたちを見送り、俺は家へと送ってもらった。
若井をこちら側につけることはできたけど、相手方を潰す情報が不足しているのは否めない。
情報源だと思った女からは何も出てこないし、やりとりするだけ時間の無駄のように感じてきた。精神的な疲労感ばかり溜まっていく。
「なんかないかなぁ」
手詰まりを認めたくはないけど、打つ手がないのは事実だ。
小さく震えて通知を知らせるスマホを開くと、ちゃんと食べたよ、というメッセージと、うどんを食べる涼ちゃんの写真。
画面に映る涼ちゃんを指先で撫でる。
俺も何か食べようと冷蔵庫を開けると、見覚えのない箱が目に入った。
「……うわ、期限切れてんじゃん」
箱の外側に貼られたシールで賞味期限を確認すると、四日前に切れていた。生洋菓子と書かれているから流石に食べられないだろうと冷蔵庫から取り出す。
そのまま可燃ごみに捨てようとして、ふと思い出す。
――元貴、冷蔵庫のプリン、食べといてね――
弾かれたように箱を開ける。
美味しそうなプリンが二つ、保冷剤と共に入っていた。
それと一緒に、親指の爪ほどの小さなUSBメモリ。
「……ははっ!」
子どもが欲しかったおもちゃを見つけたときのように声を上げて笑う。
ああ、涼ちゃん!
なんて可哀想でかわいいの、あなたってひとは!
俺の性格をよく知るからこそ、俺が箱ごと捨てるって思ったんだよね?
でも、未練があって、ほんの少しの希望に縋って、これを残してくれたんだよね?
大好きなプリンを、俺に食べといてねってそれとなく伝えてくれたんだよね?
もしも箱ごと捨てたなら、それはそれで受け入れるつもりだったんだよね? それはちょっとムカつくけど。
「はは……やっぱさいこーだよ、涼ちゃん」
うどんを食べる涼ちゃんの画像にキスをする。
鼻歌まじりに作業部屋に入り、PCを立ち上げた。
USBメモリを挿して、中身のファイルを確認する。
書類データと音声データと画像ファイル。
その全てを確認し終えて、目頭を押さえた。
君は一人で闘ってくれていたんだね。
俺のために。俺を、Mrs.を、守るために。
胸糞悪いあの女のことさえ、その優しさで守ろうとしたんだね。
君のそのやさしさが、愛おしくて、やっぱり少し憎らしい。
翌日、まとめた資料を持って俺はある人物を訪ねた。
ノックをして入室すると、全てわかっている、と言いたげな目で、やっと来たか、とその人は微笑んだ。
「お願いがあるんですけど」
さぁ、反撃を開始しよう。
続。
やっとプリン出せた。
コメント
18件
プリンが伏線だったとは、全く気付いておらず驚きました! 💛が弱っていくのも好きですが、早く敵を倒して元通りになってもほしいですし、どんな展開でも楽みです
ちゅき・・・。あ、失礼しました。次が楽しみです!
プリン、すごい伏線ですね...! 藤澤さんも若井さんも、やっぱ優しいなあと思いました。 愛重大森さんも、頑張って欲しいところですね...いつも更新ありがとうございます!!ウキウキで待ってます😆😆