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K-Takasaka
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朝七時。
シェアハウスのリビングには、まだ眠気が残っていた。
カキはソファの上で丸まり、片手にギターのピックを握ったまま眠っている。マサカゲはテーブルに予定表を広げ、今日の防音室の使用時間を確認していた。ミステーは窓際に立ち、庭の植木をじっと見つめている。
メバルはキッチンで六人分の朝食を並べていた。
「カキ、起きて。パンが冷めるよ」
「あと五分……」
「それ、昨日も聞いた」
メバルが肩を揺すると、カキは目を閉じたまま手だけを伸ばした。
「パン、こっちに投げて」
「投げない」
「じゃあ、ギターを投げる」
「それも駄目」
淡々とした声が、リビングの隅から聞こえた。
「朝からうるさい」
K-Tは壁際の椅子に座り、黙って水を飲んでいた。
黒い服に、動きやすそうな長ズボン。髪はいつも通り整えられている。誰よりも早く起き、午前四時から防音室で練習していたはずだが、疲れた様子は見えなかった。
アオノは、その姿を少し離れた場所から観察していた。
正確には、K-Tではなく、壁に取り付けられた小型カメラを確認していた。
「全員、少し聞いてほしい」
アオノがリモコンを操作すると、リビングの壁に映像が表示された。
玄関、廊下、キッチン、庭、車庫。
家の各所に設置された監視カメラの映像が、順番に切り替わっていく。
カキがようやく起き上がった。
「何これ? いつ撮った映像?」
「今朝。正確には、今から三分前」
「三分前の俺、寝てるじゃん」
「現在のあなたも、ほとんど同じ姿勢です」
ミステーが映像を見ながら呟いた。
「家の中に、家を見ている目が増えました」
「その表現は合っている」
アオノはカメラの映像を止めた。
「防犯対策として、監視カメラと簡易防犯システムを設置した。玄関、勝手口、庭、駐車場、車庫、それから廊下を監視できる」
マサカゲが眉を寄せる。
「廊下まで必要か?」
「必要。死角があるから」
「家の中に死角があるほうが、落ち着く気もするけど」
メバルがそう言うと、アオノは真剣な顔で首を振った。
「死角は、侵入経路になる」
「誰かがこの家に侵入する前提なの?」
「前提ではない。可能性を排除している」
カキが画面を覗き込んだ。
「このカメラ、俺の部屋の前も映ってる?」
「部屋の中は映していない」
「風呂は?」
「映していない」
「更衣室は?」
「存在しない」
「じゃあ、俺が風呂上がりに廊下を走っても――」
「走らないで」
メバルが即座に止めた。
K-Tは画面を見ていなかった。
正確には、画面ではなく、カメラ本体の位置と角度を見ていた。
アオノはそれに気づいた。
「K-T。何か問題がある?」
「ない」
「設置位置について意見は?」
「ない」
「映像の範囲は確認した?」
「した」
K-Tは短く答えた。
アオノは一瞬、手元の操作を止めた。
「いつ?」
「今」
画面には、リビング全体が映っている。
K-Tがいる壁際は、カメラの正面から少し外れていた。顔までは映るが、椅子の横に置いたバッグの中身までは確認できない位置だ。
アオノはカメラの角度を記録した。
「視野角は百二十度。映像の解像度は十分。音声も拾える」
「音声も?」
メバルが振り返った。
「会話を録音するの?」
「異常音を検知するために必要」
「家の中の会話まで全部残る?」
「保存期間は七十二時間。異常がなければ自動消去される」
「それなら、まあ……」
メバルは少し考えた。
「でも、誰かが嫌だと言ったら止めてね」
アオノは答えなかった。
K-Tが立ち上がった。
「水を買ってくる」
「今から?」
マサカゲが時計を見る。
午前七時二十三分。
「朝食を食べてからでもいいんじゃない?」
「必要だから」
K-Tは玄関へ向かった。
アオノは再び画面を確認した。
玄関カメラにK-Tの姿が映る。ドアが開く。K-Tが外へ出る。
しかし、次のカメラに切り替わったときには、もう姿がなかった。
庭のカメラにも映っていない。
駐車場にもいない。
車庫の前にも、道路にも、影すら見えなかった。
アオノは映像を巻き戻した。
玄関から出たK-Tは、靴を履き、右へ進んでいる。そこまでは映っていた。
だが、玄関脇の植木と外壁の間に一瞬入ったあと、映像から消えている。
「……」
「どうしたの?」
メバルが尋ねる。
「K-Tがカメラから消えた」
「外に出たんだよね?」
「出た。しかし、敷地内のどのカメラにも映っていない」
カキが画面の前に顔を近づける。
「透明になった?」
「可能性は低い」
「じゃあ、地面に潜った?」
「さらに低い」
ミステーが窓の外を見た。
「目と目の間を通ったのです」
「何、それ?」
「見ている目は、見られていない場所を見つけられません」
アオノは返事をせず、すべての映像を同時に表示した。
カメラは六台。
玄関、庭、駐車場、車庫、勝手口、家の裏側。
どの映像にもK-Tはいない。
そのとき、玄関のドアが開いた。
K-Tが戻ってきた。
手には六本入りのペットボトルがあった。
カキが振り返る。
「早っ!」
「近くの店」
「いや、そうじゃなくて。どこから帰ってきた?」
「玄関から」
「それは見れば分かる!」
カキはアオノの画面を指差した。
「外に出たところまでは映ってた。でも、そのあと一回も映ってないぞ」
K-Tはペットボトルをキッチンに置いた。
「そうか」
「そうかじゃないだろ!」
「必要なものは買った」
「どうやって?」
「歩いて」
アオノは立ち上がった。
「経路を説明して」
「必要ない」
「防犯システムの検証に必要」
「問題ない」
「問題があるかどうかは、私が判断する」
K-Tはアオノを見た。
目は冷静だった。隠しているというより、説明する必要を感じていない顔だった。
「死角を通った」
「どの死角?」
「全部」
「全部?」
「カメラの位置を見れば分かる」
K-Tはリビングのカメラを見上げた。
「玄関を出て、壁際を通る。植木の裏で一台目から外れる。車庫の屋根の影で二台目を避ける。道路に出たら、向かいの建物の反射で三台目の範囲がずれる」
アオノは画面を確認した。
K-Tの説明は正確だった。
カメラを設置したのはアオノ自身だ。設置位置も撮影範囲も把握している。
それでも、すべての死角を一度の外出で通り抜けるには、相当な観察力と記憶力が必要だった。
「なぜ、そんなことを知っている?」
K-Tはペットボトルを一本取り出した。
「見たから」
「いつ?」
「設置中」
「設置中に、私の作業を監視していた?」
「見ていた」
「目的は?」
K-Tはキャップを開けた。
「必要だから」
アオノは黙った。
カキがメバルの袖を引いた。
「アオノ、負けてる?」
「負けていない。情報が不足している」
「それを負けてるって言うんだよ」
「言わない」
「言うよ」
「言わない」
「二人とも、朝からそこまでにして」
メバルが間に入った。
K-Tは水を飲み、空いたペットボトルを分別用の箱に入れた。
その動きも無駄がなかった。
アオノはタブレットに記録を入力する。
《K-T:監視カメラの配置と死角を把握。行動経路の選択に迷いなし。質問への回答は短く、目的の説明を省略する傾向》
一度入力を止め、さらに続けた。
《警戒心が強い》
昼前。
キッチンの床下から、低い音が響いた。
ゴン……。
全員の動きが止まる。
カキがテーブルの下を覗き込んだ。
「今の何?」
ゴン……。
今度は、床の奥から振動が伝わってきた。
「地下に何かいる!」
カキはすぐに立ち上がった。
「この家、地下室あったっけ?」
マサカゲが首を振る。
「図面にはない」
「じゃあ、今できたんだ!」
「そんなわけない」
カキは床に耳を当てた。
「聞こえる。何かが叩いてる」
「カキ、床に穴を開けないでね」
メバルが言う。
「開けない。まずは小さく掘る」
「開けるのと同じだよ」
アオノは工具箱を持ってきた。
床下から、再び音がした。
ゴゴゴ……。
ミステーが静かに言う。
「地面の下で、誰かが起き上がろうとしています」
「怖いこと言わないで!」
メバルが声を上げた。
カキは床板の隙間にドライバーを差し込んだ。
その瞬間、K-Tがカキの手首をつかんだ。
「やめろ」
「でも、原因を調べないと」
「危険」
「地下に何かあるんだぞ?」
「お前の腹」
カキが固まった。
「……え?」
K-Tはカキの腹部を見た。
ゴン……。
今度は、音と同時にカキの腹が小さく鳴った。
全員がカキを見た。
「違う! 今のは床下から!」
ゴゴゴ……。
カキの腹が、さらに大きく鳴った。
「……」
メバルがゆっくり尋ねる。
「カキ、朝ごはん食べた?」
「食べてない」
「パンは?」
「あとで食べようと思ってた」
「だからだよ」
「いや、でも今の音はもっと深い場所から――」
アオノが床下マイクの記録を確認した。
「音源はカキの腹部。床板を通じて反響している」
「そんな分析いらない!」
カキは耳まで赤くなった。
ミステーが頷く。
「地下の空洞は、あなたの中にありました」
「俺の中に空洞があるみたいに言うな!」
メバルが皿を差し出した。
「はい。食べて」
「俺、そんなに分かりやすかった?」
「分かりやすいよ」
「K-Tは最初から分かってたのか?」
「音が近かった」
「どういう耳してるんだよ……」
K-Tは何も答えなかった。
アオノはまた記録を入力した。
《K-T:音源の方向と距離を即座に特定。通常の聴覚能力か、経験による判断かは不明》
午後。
アオノは防犯システムの設定を調整していた。
リビングのモニターには、家の各場所が小さく並んでいる。
玄関。
廊下。
庭。
車庫。
勝手口。
家の裏。
どの画面も静かだった。
メバルは洗濯物を畳み、カキはギターの弦を張り替え、マサカゲは予定表を書き直している。
ミステーは、監視カメラの一台と向かい合っていた。
「ミステー、何してるの?」
メバルが尋ねる。
「見つめ返しています」
「カメラを?」
「目が見ているなら、目も見られる必要があります」
「でも、カメラは目じゃないよ」
「目に似たものは、目と同じように扱うべきです」
その会話を聞きながら、アオノは設定画面を切り替えた。
動体検知。
音声検知。
赤外線。
侵入判定。
すべて問題なく作動している。
しかし、K-Tだけは、カメラに映っていても動体検知の反応が弱かった。
歩幅が一定で、動きが小さい。
余計な動作がないため、システムが背景の変化として処理してしまうのだ。
アオノは検知感度を上げた。
その瞬間、廊下の映像に赤い枠が表示された。
K-Tだった。
K-Tは防音室の前に立ち、扉を見ていた。
アオノは音声を再生した。
「防音室を使うの?」
メバルの声。
「使う」
「今から?」
「必要だから」
K-Tが防音室へ入る。
扉が閉まった。
数秒後、音声検知のメーターが動き始めた。
声が聞こえる。
会話の声よりも高い。
細く、鋭く、それでいて不安定ではない。
歌声だった。
言葉はない。
高音の旋律だけが、防音室の奥から流れてくる。
アオノは無意識に音量を上げた。
K-Tの声は、普段の低く抑えた話し声とは別人のようだった。
高い音域を中心に旋律を作り、音を長く伸ばしていく。
音の終わりには、わずかな息の揺れがある。
メバルが手を止めた。
カキも弦を張る手を止める。
ミステーは監視カメラから目を離し、防音室のほうを向いた。
歌声は、誰かに聞かせるためというより、機械のように正確だった。
高音。
短い呼吸。
再び高音。
アオノはタブレットに表示された周波数を見た。
「会話時と歌唱時で、声域が大きく違う」
マサカゲが尋ねる。
「どれくらい?」
「会話では低めに抑えている。歌唱時は、上の音域を中心に使っている」
「K-Tって、あんな声も出せるんだな」
カキが感心した。
「男性とも女性とも断定できない声だね」
メバルが静かに言った。
アオノは返事をせず、波形を見つめた。
高音の連なりは、細い線のように画面を横切っていく。
「高音域に適性がある」
「それ、本人に言う?」
「記録する」
アオノは入力した。
《K-T:歌唱時、高音域を中心とした発声。声質の性別判定は困難。高音域への適性あり》
防音室の歌声が止まった。
直後、ドラムの音が一度だけ響いた。
強く、短い一打。
全員が画面を見る。
防音室の映像には、K-Tの後ろ姿が映っていた。
ドラムセットの前に座り、スティックを下ろしている。
K-Tはカメラのほうを見た。
正確には、カメラの少し横。
死角になっている位置を見た。
アオノは気づいた。
K-Tは、カメラに映っていることを知っている。
それでも、何も言わない。
しばらくして、防音室のドアが開いた。
K-Tが出てくる。
「どうだった?」
カキが尋ねた。
「普通」
「いや、普通じゃないだろ。あの高い声!」
「練習」
「何の?」
「歌」
「それは聞けば分かる!」
K-Tはタオルで手を拭いた。
メバルが微笑む。
「きれいな声だったよ」
K-Tは少しだけ視線を逸らした。
「そうか」
「もっと歌ってくれてもいいのに」
「必要なら」
メバルは一瞬、言葉を失った。
アオノはそのやり取りを見ていた。
K-Tは歌声について褒められても、否定しない。
だが、自分から説明もしない。
アオノはタブレットを閉じた。
「K-T」
「何だ」
「歌声の性別判定を行ってもいい?」
防音室の前の空気が止まった。
カキが「あ」と小さく声を漏らす。
メバルはアオノを見た。
K-Tの表情は変わらなかった。
ただ、手に持っていたタオルを折り畳む動きが止まった。
「必要ない」
「音響データとしては――」
「必要ない」
短い言葉だった。
いつもと同じ調子に聞こえる。
しかし、声の温度が少しだけ下がっていた。
アオノはK-Tを見た。
「分かった」
K-Tはそれ以上何も言わず、自分の部屋へ戻っていった。
カキが小声で言う。
「ちょっと怒った?」
「怒ってはいない」
メバルが答えた。
「でも、聞かれたくないことだったのかも」
「性別の判定くらい、機械なら普通に――」
「普通かどうかは、本人が決めることだよ」
メバルの声は穏やかだったが、はっきりしていた。
アオノは黙ってタブレットを見下ろした。
さきほどの記録の最後に、短い一文を追加する。
《K-T:分析を拒否。理由は不明》
夜。
シェアハウスの照明が落ち、廊下だけに小さな明かりが残っていた。
アオノは一人、リビングのモニターを確認していた。
全カメラに異常はない。
玄関、庭、駐車場、車庫、勝手口、家の裏。
誰もいない。
そのとき、画面の端に白い光が走った。
一瞬だった。
庭の奥。
木々の間に、細い白い線が現れ、すぐに消える。
アオノは映像を巻き戻した。
再生する。
白い光。
停止。
もう一度。
白い光。
光が消えた直後、音声波形に小さな乱れが記録されていた。
ザーッという、短い通信ノイズ。
「外部信号?」
アオノは庭のカメラ映像を拡大した。
白い光の発生地点には何もない。
人影も、車も、機械も見えない。
ただ、画面の隅に一瞬だけ、黒い影が映っていた。
アオノは保存ボタンを押した。
その背後で、廊下の床が軋んだ。
振り返ると、K-Tが立っていた。
「まだ起きていたのか」
「あなたも」
「水を飲みに来た」
K-Tはキッチンへ向かった。
アオノはモニターを指差した。
「庭で白い光を検知した。何か知っている?」
K-Tは画面を見た。
ほんの一秒。
しかし、その視線は白い光ではなく、映像の隅に残った黒い影へ向けられていた。
「知らない」
「通信ノイズも記録されている」
「そうか」
「外に出る予定は?」
「ない」
「本当に?」
K-Tは冷蔵庫から水を取り出し、キャップを開けた。
「必要なら出る」
アオノは、その返答を記録しようとして手を止めた。
K-Tは水を飲み、空になったボトルを捨てた。
それから、廊下のカメラを見上げた。
「アオノ」
「何?」
「カメラを増やすなら、角度を変えろ」
「なぜ?」
「今のままだと、同じ場所に死角が残る」
「どこ?」
K-Tは廊下の突き当たりを見た。
「そこ」
アオノは画面を確認した。
確かに、廊下の突き当たりにはカメラの視野が届かない場所がある。
だが、そこは壁であり、窓も扉もない。
「そこに何がある?」
「何もない」
「なら、なぜ角度を変える必要がある?」
K-Tはしばらく黙っていた。
「何もない場所ほど、見落とされる」
それだけ言うと、K-Tは自分の部屋へ戻っていった。
アオノは廊下の映像を見つめた。
画面には、誰もいない突き当たりが映っている。
静かで、何も起きていない。
しかし、映像の奥に、見えない何かが隠れているように感じられた。
アオノはタブレットに最後の記録を入力する。
《K-Tは監視されることを嫌がっているのではない。監視から外れる方法を知っている》
少し考え、続ける。
《目的は不明》
深夜。
防音室から、再び高い歌声が聞こえた。
今度は、さっきよりも小さい。
誰にも聞かせるつもりのない声だった。
メバルは自室の前で立ち止まり、音の方向を見た。
アオノはモニターの前で、声の波形を見ていた。
カキは布団の中で寝返りを打ち、マサカゲは予定表を閉じ、ミステーは暗い窓の外を見つめている。
K-Tの声は、家の中に細く伸びていく。
高い音。
短い息。
また高い音。
防音室の外の監視カメラは、閉じた扉だけを映していた。
その画面の隅で、白いノイズが一度だけ瞬いた。
そして、すぐに消えた。
コメント
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K-Tの動き方と観察力が本当に印象的でした。カメラの死角をすべて把握して、説明も「見たから」「必要だから」で済ませるあの感じ、一歩間違えば不気味なのに、どこか惹かれるキャラクター性がありますね。歌声のシーンも素晴らしくて、性別判定の話になった瞬間の空気の変化にドキっとしました。それぞれが異なる視点でK-Tを観察している構造が効いていて、ミステーさんの「目と目の間を通った」という台詞が一番好きです。全体的に「秘密のベール」みたいな空気感が心地よくて、続きが気になって仕方ありません。