嗜好、というものがある。好みとか、そういうものを指す言葉。誰にでもある、ありふれた指向。
俺にとってのソレは「首を絞められること」だ。しかし、相手は誰でも良い訳ではない。今迄に数回似た嗜好を持つ人間と会って試してみたが、どれもしっくり来なかった。
「でさ、この間…」
「へえ、そんな事あるんや」
練習終わりのロッカールームで、俺はチームメイトであり恋人の木浪聖也と話している。何とか相槌は打っているが、全く頭は回っていない。
…やっぱり、綺麗な指してるよな。
「良いかも…」
「おーい…チカ?チカ!おい!」
「え、あ、すまん…」
目の前でパンと手を叩かれ、ふと我に返る。
「なに、寝不足?」
「違う、違う」
投げかけられた問いを躱そうと、俺はへらりと笑って首を横に振ろうとする。
寝不足は事実だが、理由が理由だけに正直に話す訳には行かなかった。夜毎の試行がその原因などと知られてしまえば、きっとお互いが辛い思いをする事になるのだから。
しかし、聖也はそう簡単に誤魔化されてはくれなかった。
「ろくに眠れてないでしょ、隈が出来てる」
その指先が俺の目元に触れるか触れないかの瞬間、俺は固く目を閉じた。
「ごめん、びっくりさせた」
「いや、驚いた、って言うより…」
ゾクゾクした、と口に出しそうになるのをすんでの所で止める。
「ほんとに大丈夫?練習中も時々危なっかしかったけど」
「大丈夫やて、ちゃんとやれてたやろ」
「やれてるやれてないの問題じゃない、心配なの。俺が」
「母親じゃあるまいし、そんなに心配せんでも…」
「心配する、今日からチカは俺の部屋で一緒に寝ること!」
「わ、分かった…」
確かに俺達は住まいを共にしているが、流石に寝室は分けていた。だからこそ、これまで様々な試行が出来ていたのではあるが…まあ良い。同好の士の力を以てしても、俺の欲求は満たせなかったのだ。この先不完全燃焼がずっと続こうが、別段現状とさして変わらないだろう。
「…とは、言ったもののなあ」
帰宅後まだ食事まで時間があるので仮眠をとるよう言い渡されはしたものの、すんなり眠れる筈もない俺は無為に寝返りを繰り返していた。恋人の部屋とは言え、自分の物でない空間は落ち着かないものだ。
「気まず…」
やりどころを無くした両手が無意識に己の首元を掴む。しかし、それだけではやはりどこか物足りない。
「少しだけ、なら」
一度息を吸い、首に掛けた両手に少しだけ力を込めてみる。やはり、欲求が満たされる様子はない。
それなら、と思い立ち、更に両手に力を込めていく。気道が段々狭まり、僅かに意識が薄れ始める。
「…チカ!?何して、」
…ああ、最悪や。見られてしまった。それも、一番見られたくない奴に。
「あー、その…個人的な趣味」
こんな拙い弁明しか出来ない俺を、誰かいっそこの場で叩き殺して欲しい。
「え、え…?」
困惑するよな、それはそうだろう。俺だって逆の立場だったら困惑する自信がある。
「白状するわ…俺、首絞められんの好きやねん。でも、誰でも良い訳じゃない」
時間にしてみれば、僅か数秒の沈黙。それでも、俺を地獄みたいな気持ちにさせるには充分すぎるだけの時間。
「…えっと」
沈黙を破ったのは聖也だった。
「じゃあ、さ。俺に絞めさせてって言ったら…嫌?」
意外な申し出に驚いて満足に言葉が出せないまま、何とか首を横に振って嫌ではないと意思表示をする。
「嫌じゃない、寧ろして…?」
返事をし終える前に、聖也の指が俺の首に絡みつく。先程まで水仕事でもしていたのだろう、俺の喉元はひんやりした感触にすっかり覆われてしまった。
「苦しかったらすぐ言ってよ?」
分かった、と目線で合図を送る。程なくして、気道がじわじわと狭められていく。
それは、言うなれば至高の時間だった。決して強く絞め上げられている訳ではないのに、だんだん湧き上がってくる多幸感が俺を満たしていく。
「あぁ、凄っ…これ良い…!」
「この位がちょうどいい?」
「そ、うっ…」
頷くと同時に喉からは自分のものだと信じ難いほど甘く上擦った声が漏れる。
「可愛い。顔よく見せて…」
熱を帯びた聖也の声が鼓膜を震わせ、俺は恍惚の表情で視線を合わせる。
「っ、は…ぁ」
しっかり首を捉えられてはいるが、全く呼吸を阻害しない絶妙な絞め方。
「ヤバいね、これハマりそう」
やっぱり、俺の見立ては間違ってなかった。
「おれ、もっ…聖也、が、いい」
脳髄から全身にじわりじわりと伝わってくる甘い痺れを味わいながら、俺は聖也にしがみつく。
「チカ、」
「これからチカの首絞めていいのは俺だけ…ね?」
「う、ん…っ」
思考すら蕩けていきそうな状態で、俺は勿論だとばかりに大きく頷く。当然だ。遂に、最高の相手を見つけたのだから。
コメント
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ほんとにこのふたり大好きなんです…💕みててにやにやしてました笑 これからもがんばってください!!