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将来の夢ってなんだったっけ。
消し忘れた常夜燈を見上げながら、ぼんやり思う。
窓を開けっ放しにしていてもたまにぬるい風が吹き込むばかりでちっとも涼しくない。中古で買ったボロの扇風機は、今にも死にそうな音を立てて首を振っている。昨日作った大根の煮物はこの暑さでもう駄目になってしまっていることだろう。
一体いつから、夏という季節はこんなにつまらなくなったんだ。
焦燥感から目を逸らせば懐かしいゲームのパッケージや映画のポスターなんかが僕を見下ろしていて、ちゃぶ台に座椅子、背中に当たる畳の感触でさえもあの頃と何も変わらないはずなのに。
いつの間にやら体だけ大きくなったもんだ。いや、頭脳もか。みんなと同じようにそれなりに生きてきたはずなのに、心だけがみんなと同じような大人にはなれなかった。
──きみはどう思ってるかな。
置いていかれた僕と違ってみんなよりもっと早く大人になったきみは、今頃何をして、何を考えて生きているんだろう。
あの頃とは違うよな。だったら見当もつかないや。
昼下がりの輝く陽射しが眩しくて、僕は目を閉じる。
何だか今日は変に感傷的な気分だ。こういう時は寝逃げに限る。嫌なこと、詮無いことから逃げるために、こうして目を閉じて、何も考えないようにして────……
────それで、いいんだっけ?
§ § §
「ねぇ、2人はさ、今日このまま帰る感じ?」
アイボリーの髪を揺らしながら、何やら不満げな表情の星導くんが視界にフレームインしてくる。HRが終わった後の教室で、周りは他愛もない喧騒に包まれていた。
様子を見るに、おそらく星導くんのクラス──隣の2組では一足先にHRが終わっていて、その足でこちらの教室に来たという感じだろうか。急いで準備をしたのだろう、鞄のチャックは半分ほど開いており、シンプルなペンケースの頭部分だけがちらりと覗いている。
……ということは。
「僕は特に用事はないけど……今日もロウくん、捕まえられなかったんだ?」
「そ〜〜なんだよ! ぴょんのやつ、またいつの間にかいなくなっててさぁ! そんでそんな早く帰って何するのかと思ったらず〜〜っと家でゲームしてんだよ!? どっこにも寄らずに! あいつ本当に高校生かよ!?」
「じゃあお前はロウと一緒に帰って何したいわけ?」
「え? …………コンビニ?」
「大した用事ないじゃねえかよ」
リトくんの鶏みたいな独特の笑い方が教室に響き渡る。きみの声はよく通るよな。おかげで何事かと訝しかったクラスメイトが何人かこちらを振り返っている。散ってくれ、本当に大した用事じゃないから。
ふわふわの茶髪を靡かせて「なぁ?」と首を傾げながらこちらに同意を求めてくるが、そうやって味方を増やそうとしないで欲しい。星導くんめちゃくちゃこっち見てるだろうが。
「あー……でも今日は一緒に帰んの無理かも」
「え? リトなんか呼ばれてたりしたっけ」
「いやほら、『あの子』。今日中に病院連れてってあげたいんだよね」
そう言って指をさす先には、リトくんの机──の上に置かれた、謎のマスコットのような生き物がいる。明らかに動物図鑑の何にも当てはまらないであろうそれはかろうじてキリンのような耳に角、蹄としっぽを持ってはいる。 が、その体に僕のよく知るキリンの模様はなく、全身に黄色や水色のパステルカラーを纏っており、何より全長がリトくんの手のひらに収まってしまうほど小さい。お菓子の箱で作られた即席ベッドで眠る姿はまるで魔法少女のお助けキャラクターさながらのキュートさだ。
あの子は今朝、リトくんが河川敷の高架下で眠っているところを発見し、放置するわけにもいかずそのまま拾ってきてしまったらしい。僕達にはぬいぐるみかマスコットにしか見えないが、もしかしたら獣医さんなら何か分かるかもしれない。とリトくんが言うので、この後動物病院に行くことになっているのだった。
星導くんは「そっかぁ」と残念そうに鞄を持ち上げる。
「一轍は? お前も着いてくの?」
「あぁうん、そうだわ、忘れてた。ごめんね」
「えぇ〜今日も俺1人〜? ……まぁいっか。あれが何なのか分かったら教えてよ」
「おう、気ぃつけて帰れよ〜」
リトくんはひらひらと手を振って星導くんを見送った後、「俺らも帰るか」と鞄を取りに行くため自分の席へと戻っていく。
帰りの準備をする暇もなくリトくんに捕まってしまっていた僕は慌てて机の中のものを鞄に詰め込む。すると何かくしゃくしゃになった紙が指先に触れ、引っ張り出してみればそれは進路希望調査のプリントだった。
提出は来週に迫っているにも関わらず白紙のままのそれを僕は苦々しい気持ちで見つめ、浅くため息を吐く。
──どうして大人は先へ先へ急がせようとするんだろう。
青春というものは人生のうちほんの少ししか存在しない、謂わば一瞬の煌めきのようなものだ。それなのに、その貴重な時間を削ってまでつまらない将来の設計作りのために当てなきゃならないなんて。
「テツー?」
「あ、ごめん! ちょっと待って──……」
プリントを再び机の中に突っ込もうとして、僕を呼ぶリトくんの声が思っていたより随分近いことに気付いてしまった。叫んでしまわないよう恐る恐る横に顔を向けると、リトくんは僕の真後ろに立って身を屈めながら手元を覗き込んでいる。
「あの……あの、リトくん。ちょっと距離感とか考えてみようか。僕は別に一向に構わないんだけどね? ちょっと友人にしては近すぎやしないかなってそういう、なんか価値観の相違があるかなっていうか」
「……それ、進路希望のプリントだよな」
「あ、ウン……」
僕の必死の説得を華麗にスルーすると、リトくんは前の席に移動して椅子を逆向きに座る。
「もう帰るんじゃなかったのか」なんて言葉は、笑っているのにどこかいつもと様子の違うリトくんの顔を見て引っ込んでしまう。
何かを消した跡すらないプリントを「何も書いてねえじゃん」とつつかれるのを、「今日帰って書く予定だからさ」と思ってもいない言い訳で乗り切った。
「……テツはまだ、進学か就職かも決まってない感じ?」
「う〜〜ん……そう、だね。マジで何にも決まってない感じ」
「ふーん……」
そう言ったきり何故か黙り込んでしまう。リトくんは何も言わずにプリントの字面を眺めては、与えられた空欄をなぞるように目線を滑らせるだけだ。
何だよその反応。気になるだろ、何か言えよ。煮え切らない反応がまどろっこしくて、僕は耐えきれず口を開いた。
「じゃあ、リトくんは何か決まってるの? 将来のこと」
「俺? 俺はねぇー……」
リトくんはそこで言葉を切り、周りを見回す。いつの間にかほとんどの人が教室からいなくなっており、見知った顔は誰も残っていなかった。
……そういえば、リトくんって将来どうするつもりなんだろう。友人のくせに今まで一度も聞いたことがなかった。
彼は頭が良いから大学だってこの辺じゃまぁまぁ良いところに行けそうだし、人柄が良くて体力もあり、おまけに人望もあるからどこへ行ったって働いていけることだろう。そんな余りある希望を抱えたリトくんが自分で見据えた未来がどんなものなのか、端的に言ってものすごく興味があった。次々と教室から消えていく人影を眺めながら、もしかしたら家族以外で聞いたことがあるのは僕だけかもな、なんて優越感を覚えないと言うと嘘になるけど。
よっぽど聞かれたくないんだろう。リトくんは最後の1人が出ていくのを見送ってから、できる限り声を潜めた。
「……誰にも言わないって約束な?」
「う、うん……」
「…………──俺さ、役者目指してみたいんだよね」
────やくしゃ。
言葉を音で聞いてから、漢字で意味を繋げるまでに時間がかかった。
「……エ゛!? リトくん役者になるの!?」
「バッッカお前声でけえって!!」
スコンと頭をはたかれて机に撃沈する。大丈夫? 僕の頭抉れてない??
ただ誰にも言わないという約束を飲んでおきながらいきなり教室が揺れるほどの大声を出した僕も悪いと言えなくもない。ここは喧嘩両成敗ということでモゴモゴ小さく謝罪をして場を収めることにする。
リトくんは拳を握りしめながら「次やったら『これ』だからな」と怖い顔で脅してきた。もちろん僕もまだ死にたくないのでこくこくと頷いて、ほとんど吐息にしか聞こえないほど声を絞る。
「……え、ほんとに役者になるの? じゃあ芸能科の学校みたいなところに通ったり……?」
「や、それより声楽やっときたいなって」
「声楽……ってことは」
「そー。舞台……つうか、まぁ、ミュージカル俳優?」
「……ミュージカル……」
呆然とする僕にリトくんは「何か言えよ」と焦れったそうにしているが、すぐには見合う言葉が出てなかった。
なんて──なんて素敵な夢なんだろう!
リトくんが昔から好きだというのは知っていたし、何なら僕達が友達になったきっかけもミュージカルの話題からだった。僕にとっては遠いところから眺めるだけだった舞台が、リトくんにとっては憧れの居場所だったんだ。
輝かしい舞台に立ってあの凄まじいまでの歌声を響かせる彼を想像して、何だか泣きそうになってくる。
どうしよう。リトくんのことが、眩しく見えてしょうがない。
「……い、良いと思う! すごく……! だってきみ歌超上手いし、演技も、あと背も高いから舞台映えするだろうし、それに──」
「だから声でけえんだって。……でもさ、俺まだ全然未熟で、スタートにも立ってないと思ってんだよね。だからちゃんとした学校で学びてえの」
「そっか……ミュージカル俳優かぁ……そっ、かぁ……!」
「なんでお前のがテンション高いんだよ」と呆れ半分に言われたって、これにテンション上がるなって方が無理だろ。こんな、こんなにキラキラした夢を聞かせられて。はしゃぐ僕に苦笑いをしつつ、リトくんもどこか満更でもなさそうだ。
「一応専門……と、音大も視野に入れてる。で、在学中になるかもだけど、劇団のオーディションも受けるつもり」
「じゃ、じゃあ今から色々勉強したりしてるの……?」
「あー……まぁ、一応?」
「へぇえ〜〜〜……!!」
何だよ、今までそんな素振り見せたこともなかったのに、めちゃくちゃちゃんと将来設計立ててるんじゃないか。
もしリトくんが舞台に立つ日が来たら、絶対に最前列で観てやろう。あの圧倒的な演技力と歌唱力に打ちのめされて、割れんばかりの拍手を送ってやろう。
ああもう、もどかしいな。さっきまでは煩わしくて仕方なかった『将来』が待ち遠しくてしょうがない。
「──テツは? 何か、やりたいこととかねえの?」
「いや、だから僕は……」
「いやいや、そんなきっちり決まってなくてもいいからさ。なんとなく好きなこととか、やってみたいこととか……そういうの」
促されるまま未だ白紙のままのプリントを眺めて、自分だったらどんな文字で埋めるのか考えてみる。
やりたいことはたくさんある。好きなことも。
例えば僕はゲームが好きだ。最近流行っているような美麗グラフィックのものも好きだし、昔懐かしのレトロゲームも好きだ。
あと、好きな漫画や映画、音楽について語ったりするのも好きだ。少々マニアな話になるので聞いてくれる人がいるかどうかは別として。
それに、まだ誰もやったことがないようなアイデアについて考えるのも好きだ。寝る直前に何かものすごく変なことを思いついて、もしそれを実行に移せたらどんなに楽しいだろうと思ってみたりする。
歌を歌ったり演技をしたりするのも好きだけど、リトくんに比べたらどうかな。劣っちゃうかも。それでも、世界で僕にしかできない表現なんてものがあるとすれば、それはすごく魅力的な話だ。
ざっと考えてみただけで、やりたいことなんてものは星の数ほど思いつく。しかしそのどれもが生業にまで昇華できるかと言われると微妙だし、そもそもこんな雑多な職業なんて────
「……あ」
「お、何か思いついた?」
「あ、いや……きみの夢に比べたらちょっと見劣りするっていうか……」
「んなわけねえって! お前のも立派な夢だろーが」
「うぅん……いや、でも……そうかなぁ……?」
「おう」
「……そのー…………ネット配信者、とかなら、僕のやりたいこと全部できるかなーって……」
いつになく真剣な墨色の瞳にそそのかされて、つい口を滑らせてしまう。
それが職業と呼べるかどうかは未だ曖昧な時代だが、僕としては経済を回す立派な職業だと思っている。しかし界隈に携わる企業も年々増えてきているとはいえ、やはり俳優などに比べるとその敷居は高いようでいて、またほとんど無いに等しいとも言える。
やや負い目を感じつつ目線を上げると、さっきまでの僕を鏡映しに見ているように、キラキラ目を輝かせているきみがいた。
「──良いじゃん! すげえ! テツに向いてると思う!」
「ほ、ほんとに……? 皮肉とかじゃなくて?」
「違えって。俺もたまに見るけど……ああいう人達ってさ、面白い言葉がポンポン出てくる人だったり何か一芸に秀でた人だったり、どっかしら尖った人多いと思うのね。その点お前はすげー合ってると思う。あとめちゃくちゃ良い声してるし」
「声に関してはきみもじゃん」
「そこはまぁほら、系統が違うっつうかさ」
何を企んでいるのか知らないが、あれよあれよと乗せられて良い気分になってきてしまった。え、どうしよう。目指してみようかな、ネット配信者。
僕が本気で配信者としての将来像を結び始めた時、遠くの空がカッと光った。思わず2人でそちらを向き、続いて轟く重低音を聞く。
今日の予報は見てきていないが、どうやらこれから荒れそうだ。狭い空を埋める灰色の雲を見て思う。
「……やべ、降りそうじゃね? 俺傘持ってきてねえんだけど」
「あぁ、奇遇だね。僕もだよ」
「『奇遇だね』じゃねえんだよ。さっさと帰んぞ」
リトくんはそう言って席を立ち、今度こそ謎の生き物を菓子箱ごと持ち上げて入り口のドアへと向かう。……というか全然起きないなこの子。動物って雷の音聞いたら飛び起きるイメージだったんだけど。
「早くしねえと警備員さん来ちまうぞ」なんて冗談めかして言うリトくんを追いかけて、プリントを持ったまま席を立つ。プリントは皺を伸ばして折りたたみ、とりあえず鞄に入れておくことにした。
今日は一晩かけて考えてみようかな。自分が本当にやりたいことは何なのか、どんな選択肢があるのか。
残された時間はたっぷりとある。想像もつかないような『将来』とやらは、きっとまだまだ先にあるんだろうから。今はまだ、贅沢に悩んでみてもいいかもしれない。
──せっかくこれから、若人が悩むのに相応しい季節がやってくるんだから。
微かに蝉の声が耳へ届く。
高校に入って二度目の夏が始まろうとしていた。