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「……にしても、何なんだろうね? この子」
僕はリトくんの腕の中でスヤスヤと眠る生き物を指差した。くるんと上を向いたまつ毛を伏せ、穏やかな寝息の中で時折寝言でも喋るみたいに口をむにむに動かす様子が何とも愛くるしい。
リトくんはその様子を愛おしげに見下ろしながら、頭のてっぺんを指先で撫でてやっている。
「これさ……めっちゃフワフワなんだよね、触り心地。マジでマスコットみてえ」
「……キリン、じゃないよね? 多分。似てるけど」
「どうなんだろうな? すげえ遠い親戚みたいな感じだったりするかも」
「ていうかそもそも生き物で合ってんのかな? すげー精巧に作られたロボットとかじゃない?」
「いや、それは俺も思ったんだけどさあ……」
訝しむ僕にリトくんはちょいちょいと手招きして、その子の顔の前に手を翳すよう指示をした。僕は促されるまま口元へと恐る恐る手のひらを突き出してみる。
「あっ……あったかい……」
「な。こんなでもちゃんと呼吸してんの」
手のひらに当たる湿った風に家で昔飼っていた犬を思い出す。リトくんの言う通り、こんなデフォルメチックな外見でも生き物としての器官は備わっているらしい。僕は何だか感動を覚えてしまった。
リトくんは一旦立ち止まり、スマホの地図アプリを開いた。どうやら病院の場所を確認しているらしい。僕も一応アプリを開いてみるが、そもそも読み方がてんでわからないので力にはなれそうもない。
現在2つ隣の駅前までは来たものの、僕達の自宅は揃って逆方向なので土地勘があまり無く、下手をすれば道に迷ってしまいそうだ。
……そういえば、
「知ってる? リトくん。最近この辺で謎の生物が出没するらしいよ。」
「……それってこの子のこと?」
「や、そうじゃなくて……見た目は割と同じくらい謎なんだけど、どっちかというと害獣寄り? で、なんかめちゃくちゃ迷惑かけてくるんだって」
談笑がてら、先ほどこの周辺について調べていた時にたまたま見つけたネット記事の話を振ってみる。サイトによると、どうやらそれは丸っこいフォルムに黒っぽい見た目をしているらしく、更に決定的な特徴として──、
「迷惑って。動物って大体そうだろ」
「はは、違うんだな、これが。いや街中に出る動物のする事なんてさ、畑荒らすとか人に危害加えるとか、大体そういうのでしょ? でもこいつらはさ──めっっちゃしょうもないイタズラをしてくるらしいんだよ」
「──イタズラぁ?」
思いもよらない答えだったらしく、リトくんが素っ頓狂な声を上げる。そうそう、その反応が見たかったんだよ。
「記事によるとねぇ、『カードゲームのパックを全てコモンにすり替える』、『自販機のお釣りが全部10円玉で出てくるようにする』、『偽物のラブレターを送って呼び出しそのまま放置する』……みたいな」
「……なんか、しょうもねえな」
「ね。そう、そうなんだよ」
リトくんの「目的は何なんだよ」という至極もっともな意見に、「さぁ」としか答えられないのが非常に歯がゆい。
そもそも実体が目撃されたのがつい最近で、かなり前からこういったイタズラは色んな場所で起きていたらしい。ようやく犯人を見つけたと思ったら妙に可愛らしい生き物だったので警察は拍子抜けしたそうだ。
この世というのは僕らが思っているより遥かに摩訶不思議で、そんな非科学的な存在すら身近に存在し得てしまう。
もしかしたら、今振り返れば悪魔と人間のハーフがいるかもしれないし、目の前には笑顔で斧を振りかざすバーサーカーがいるかもしれない。世界とは、案外そういうものなのだ。
「まぁ、今のところ目的も出処も分かってないらしいし、僕らにできるのは精々出くわさないように祈ることくらいだよね」
「だなー……」
気の抜けた返事を最後に、一度会話が途切れる。別に今更気まずくはないけれど、何も言葉が交わされないというのもそれはそれで落ち着かないものだ。
こうしてただ黙って歩いていると、今もどこか遠くで雷が鳴っているのが聞こえてくる。……いや、光ってから音が聞こえるまでの速度が早いから、そう遠くでもないのかもしれない。
「……それにしても蒸し暑いな」
「この後雨降るんだっけ? ……うわ、すごい雨雲」
見上げてみれば、空を覆い尽くさんばかりの灰色がじわじわと蠢いていた。
夏の入道雲はノスタルジーに浸れて好きだけど、雨と雷を連れてやってくるこいつだけはどうも苦手だ。青い空に蓋をするように覆い隠してしまって、地面から湧き上がる熱と強い陽射しに温められた空気をまとめて閉じ込めてきやがるから。
まずいな、病院までは間に合っても家に帰る頃には降り始めてしまうかもしれない。最悪病院で雨宿りでもさせてもらおうか。
そんなことを考えるうちに寂れた脇道から人の多い大通りへと出た。この辺で動物病院というとこの街まで来るしかなく、更にレビューサイトを見る限りかなり込み入った場所にあるらしい。
参ったな、僕は方向音痴なんだ。リトくんとはぐれてしまえば二度と帰って来られなくなるかもしれない。そうならないようしっかりと彼の背中から目を離さないように歩いていると、ふいに歩みが止まった。
「……どうしたの?」
「や、なんか……──声、聞こえねえ……?」
「声?」
リトくんの向く方に耳を澄ませてみると、確かにただの喧騒にしては何だか事件性のありそうな、怒号や悲鳴が微かに聞こえる。
──途端に空気が張り詰めた。
「……ねぇこれ、まずいんじゃない」
「だな。……ごめん、また寄り道していい?」
「いや、これは不可抗力だって。俺も着いてくよ」
一年ちょっとの付き合いではあるが、リトくんがこういうのをほっとけない質なことくらいは把握している。我が友人ながら損な性格だ。
僕はリトくんに倣って動物病院のある方角に進んでいた足を戻すと、声の聞こえる更に大きな通りの方へとつま先を向けた。
§ § §
やがて騒ぎの中心であろう場所にたどり着くと、そこには無数の人だかりができていた。みんなどこか上の方を見上げており、僕らも同じように背の高い建物達を仰いでみる。
「──なんだぁ? あれ……」
リトくんは片手で陽射しを避けながらぎゅっと目を細める。そうか、きみ目悪いんだったな。
代わりに僕が判別してやろうと見てみれば、それはちょっと高めの高層マンションに点々とへばり付いている、無数の──え? 何あれ??
「……あ、あー……分かった、あれアドバルーンだ。広告の。この辺でなんかイベントでもやってるのかな?」
「アドバルーン? にしてはなんか……うおっ!?」
突然隣から響いた絶叫みたいな声は、さすがに僕の耳にも届いていた。人だかりから少し離れ必死の剣幕で捲し立てているその女性は、どこかに電話をかけているようだった。
リトくんは会話の内容を聞き取ろうと耳を傾け、僕は人々が一体何を見て騒いでいるのか目を凝らす。
その正体に気付いたのは、ほとんど同時だった。
「──だから、うちの子が! 窓から落ちそうになっているんです!!」
マンションの、ざっと見積もって10階辺りの窓から、小さな女の子が身を乗り出していた。どうやらアドバルーンがあまりに近くに浮いているから、それに触ろうとしているのだろう。
「おい、やべえって! 下は……クソ、人だかりのせいで見えねえ……!」
「トラックか何かが停まってるようにも見えるけど……でも駄目だ、あんなんじゃクッションにならない!」
「ああもう、なんでこんなとこにあんなもんが浮いてんだよ!」
リトくんの言葉ではっと我に返る。
そうだ、よく考えたらおかしい。近くに新しいビルが建ったわけでも大きなイベント事があるわけでもないのに、どうしてこんな大量の広告が出ているんだ。そもそもどうして今の時代になって、都会の街中にアドバルーンなんかが浮いているんだ。
僕はマンションから目を離し、周囲をぐるりと見渡す。もしかしたらいるかもしれない。ニュースサイトで見た、黒っぽくて丸っこい特異なあのフォルムが──、
「────いたッ!!」
「は、何……ちょ、テツ!?」
歩道の生垣からこちらを覗いていた影に向かって、僕は迷いなく飛びかかる。しかしそれはすんでのところで躱され、謎生物な『そいつ』はゴムボールみたいにぽんと跳ねて街灯の上まで飛んで行ってしまう。ちくしょう、無駄にすばしっこい奴め。
「あいつだよ、リトくん! この辺で変なイタズラしてる謎生物! 早く捕まえないと!」
「っ、駄目だ、俺そっち行けねえ」
「……分かった。こっちは僕が何とかしてみるわ!」
リトくんの視線が、腕の中に抱えた菓子箱と、窓から落ちそうになっている女の子の間を交互に移る。守ることに関してなら彼に任せておけば心配ないだろう、後は誰かが保健所にでも通報しておいてくれればいいんだけど。
足の速さには少々自信がある。僕はアキレス腱を伸ばしながら再び周囲を確認した。例の記事によれば謎生物は群れで現れることが多く、騒ぎを起こした後は何かを待ち構えるようにその場に留まる傾向にあるらしい。
アドバルーンの飛んでいる空は人目に付きやすい。なら、隠れるとしたら地上、もっと言えば人だかりの近くに紛れているはずだ。
え、僕敵の情報収集とか向いてるかも。進路希望データキャラとかにしようかな。
初夏の人いきれに辟易としながら注意深く観察していると、雑踏の中きょろきょろと挙動不審に歩き回る謎生物を見つけた。すぐさま追いかけようと無意識に跳ねる踵を抑えて一度深呼吸をする。……あの素早さだ、同じように何も考えず突っ込んで行ったって捕まえられはしないだろう。
正攻法では太刀打ちできない。なら、奇襲あるのみだ。
「頼むから、大人しくしててくれよー……」
幸い僕の基本スキルにはオタクとしては必須な『隠密A-』が備わっており、更に外見だけなら特に奇抜な特徴もない健康優良児なため、人混みに紛れるのは得意分野だ。奴さんに気付かれないよう人の波を潜り抜け、じわじわとその距離を縮めていく。
そしていざ指先が触れようとしたその瞬間、にわかに周囲がわっとざわめいた。
反射的に見上げた僕の網膜に焼きついたのは、今まさに窓枠から転がり落ちようとしている小さな体と──そこへ向かって伸びる、一筋の閃光。
「────リトくん?」
僕は何故かその名前を呼んで、強烈な残像の残る目を離せなくなった。
派手に火花でも散るような音を立て、その光は歪な軌道を描きながら地上へと降り立つ。残る窓にはもう女の子の姿は無く、周囲の壁だけがうっすら黒く煤けている。
空中に留まったプラズマが弾けてアドバルーンが破れるまで、それが雷だと気付けなかった。
……今、何が起きた?
さっきより一層騒がしさを増した人混みに異変を感じたのか、謎生物はいつの間にか姿を消してしまっていた。
いや、そんなことはもうどうでもいい。僕は今しがた自分の口走った言葉がどうも嫌な予感を強調させているような気がして、稲光の着地点へふらふらと歩み寄ることしかできない。
人だかりはその場所だけを避けるように固まっていて、中心へ辿り着くのは案外容易かった。
「……──り、リトくん……だよね?」
「…………」
何も言わずにこちらを見上げる姿は、さっきの雷によく似た金色とまるで原子炉みたいに青く光る髪、その中心から生えた避雷針のような角に、水色のプラズマを放つ瞳──その全てが僕の知っている彼のものではないはずなのに、その胸元から覗く愛らしいマスコットの存在が僕の予感が見事的中していることを示している。
リトくんはおそらく電流のショックで気絶してしまっている女の子をその場に寝かせ、マンションの壁と同じく黒く焦げてしまったブレザーをかけてやった。
リトくんの指先からは未だにチリチリと帯電しているのが見え、咄嗟に女の子の脈と息を確認する。……良かった、意識はないけれど命に別状はなさそうだ。
「……詳しく説明してよ。何があったの? その姿は、何なの?」
「…………分かんねえ。この子が窓から落ちるの見たら、体が勝手に動いて……」
本人も動揺しているのだろう。視線はいつぞやの僕みたいにあちこちを巡った後、胸元から顔を出すキリンの子へと吸い寄せられる。
原因があるとすれば、『その子』なんだろうか。先ほどまで一度も目を覚まさなかった『その子』は今や、ぱっちりとしたお目目でじっとリトくんを見つめている。
「、あれ……」
「……今度はどうしたの?」
「なんか、……ノイズ? みたいなのが聞こえて──……」
リトくんの言葉を待たずにジジ、と短いノイズが走り、男の人か女の人か分からない妙に平坦な声がどこかから聞こえてきた。
《────適合率未確定。バイタル値にやや乱れあり。──同期化完了。通信を開始します》
それはどうやらキリンの子から聞こえてきており、よく見ると尻尾の先に小さな通信機のようなものが括り付けられていた。
リトくんは胸元から『その子』を取り出すと、両手の上にちょこんと座らせて向き合う形にした。『その子』は尻尾の先から聞こえる声は気にも留めず、リトくんの指と戯れている。
「あ、あの……」
《──ご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます。今回のことは我々の不手際の招いた事態であり、只今より迅速な──》
「や、それは別に良いんですけど。これ何なんですか?」
《…………》
通信の相手は黙り、一瞬音声が完全に途絶える。向こう側の誰かと話し合ったりしているのだろうか。
《──失礼致しました。では、単刀直入に申し上げます。──手元にございます当組織のデバイスを用いて、適性生命体の駆除を行なってください》
「……は? ……適性生命体って……」
《先ほどご学友様の話にありました通り、現在北区域にて発生している特別指定不明生物──当組織では、仮に『KOZAKA-C』と呼称しております》
突然矛先を向けられて焦る。聞かれてたのか、さっきの会話。
というかなんだ、こざかしーって。何らかの略称ではあるんだろうけど、響きが間抜けすぎてどうにも様にならないな。
騒ぎに乗じて見失った奴を探してみても、さすがに逃げてしまったようで当然すぐには見つけられなかった。リトくんも僕と同じ判断を下したらしく、早々に通信機へと向き直る。
「……それを、駆除、すれば良いんですか」
《──はい》
「武器とか、何にも無いんスけど」
《貴方に適合が確認された、そちらの生命一体型デバイスによって帯電が可能となっております。触れるか、そうでなけば殴打するなどして速やかに殲滅してください》
殴打。突然降って湧いた物騒な語彙に、リトくんは身体を強張らせる。
そうか、秘密組織の開発したデバイスによって変身して敵と戦闘するだなんて、まるで──ヒーローみたいな状況だとして、解決する方法は暴力しかないのか。
反応の無いことを肯定と取ったのか否定と取ったのか、通信の相手は矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。
《──現在、当組織の特殊部隊が現場へ向かっています。が、路地などへ逃げ込まれては重装備の部隊では手も足も出ません。──この要請に強制力はありません。もし応じて頂けなければ部隊が到着次第デバイスを回収し、保護に移ります》
そこで一度言葉を切り、1秒ほどの間を置いて無機質な声が続く。
《──どうか、ご協力をお願い致します》
こちらの返事すら聞かず、その言葉を最後に通信はプツリと切れた。キリンの子は相変わらずニコニコしたまま尻尾を振っている。リトくんも僕も何も言わず、たださざなみのように引いていく人混みの中を重たい沈黙が流れた。
なんだよ──何だよ、それ。
強制じゃないなんて、特殊部隊が駆けつけるだなんて、そんなのをデメリットまで明け透けに言った後に出すなんて卑怯じゃないか。そんなの、『お前が協力しなければ解決しない』って言ってるようなものじゃないか。
……ああ、でも。
僕はほとんど確信に近い気持ちでリトくんの方を見る。そして予感通り、彼はもうとっくに答えなんて決まりきってるみたいな顔で真っ直ぐ目の前だけを見つめていた。
「……テツ、」
「……うん」
「その辺の人達避難させるの、頼める?」
「…………嫌だって言ったら?」
「俺がやる」
「………………」
ああ、そうだよな、きみはどうしたってそういう奴なんだよ、リトくん。
でも僕にだって意見する権利くらいはあるだろう。リトくんの意志が決して揺るがないだろうことなんて重々承知で、僕は言い訳がましい説得を試みる。
「リトくんさ、戦闘経験なんてあるの? 素人じゃ太刀打ちできないよ、きっと」
「まぁ……自分からふっかけたことはねえけど、喧嘩の経験なら一応あるな。それで十分だろ」
「……強制じゃないんだ、逃げ出したって罪にはならないよ」
「ここで逃げれば、俺は俺と向き合えなくなる」
「──きみがやらなきゃいけない道理なんてないだろ!」
「じゃあ、他に誰がやれんだよ」
リトくんは水色の目を爛々と輝かせながら、有無を言わさない口調で言い切る。僕はそれ以上何も言えなくなって、下唇を思い切り噛んだ。頼んだぞ、なんて言うみたいに僕の肩を叩いて、リトくんはさっさと準備運動にかかってしまう。
……なんだよ。きみの冬の夜空みたいな、深くて優しい紺色の瞳は、どこに行っちゃったんだよ。
電流だって苦手なくせに。
暴力だって嫌いなくせに。
本当は誰よりも優しくて、怖がりなくせに。
今だって、手が震えているくせに。
「────ッ、皆さん!! 離れてください! できるだけ建物の中に入って!!」
精一杯の大きな声を出して、僕は呆然と立ち尽くす人達を誘導する。今日はただでさえ雲の分厚い雷の日だ。落雷を防ぐためにも屋根の下に入った方が良いだろう。
ある程度散り散りに動き始めたのを確認してから、未だ気を失ったままの女の子をリトくんの上着ごと抱き上げて、さっき狼狽えながらも懸命に助けを呼んでいた母親の元へ連れて行く。後ろからはバチバチ火花の散る音とともに早くも重い打撃音のようなものが聞こえてきて、僕は何だか泣きそうになった。
駄目だ、今振り返ったらまた無駄な説得を始めてしまう。きみの気持ちが絶対に変わらないなんて分かっているのに、それでも後ろ髪を引くのに必死になってしまう。
とうとうぽつりぽつりと雨が降り出し、あっという間に土砂降りになる。あれほど鳴いていた蝉は雨の最中じゃだんまりを決め込むばかりで、耳には雨が地面を叩き付ける音と、自然のものかきみのものか分からない雷鳴の轟く音しか入ってこなくて。
僕は結局そのまま一度も振り返れずに、泣きながら家まで帰った。
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