テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
翌朝には、もう遅かった。
事件は一晩で魔法界じゅうへ広がっていた。
マルフォイ家の屋敷で闇の存在が暴走した。
死者が出た。
しかも原因は、ドラコ・マルフォイによる禁忌の魔術。
そこへ“元死喰い人側の名家”という肩書が乗るだけで、話は一気に最悪の輪郭を持つ。
人は、まだ何も立ち直っていなかった。
ヴォルデモートが消えても、恐怖は消えない。
失った人間たちも、傷ついた家族たちも、闇の魔術という言葉に過敏なままだ。
そこへ、よりによってマルフォイの名が落ちた。
パニックは理屈より早い。
ドラコは、魔法省の管理下に置かれた一室でそれを知った。
窓のない部屋。
冷たい椅子。
重たい扉。
壁の向こうでは、絶えず人が動いている気配がする。
低い声。
紙を捲る音。
誰かが早足で通り過ぎる靴音。
すべてが自分を中心に回っているのに、どこか現実感がなかった。
最初のうちは、まだ頭が追いついていなかったのだ。
使用人が死んだことも。
屋敷が封鎖されたことも。
自分が魔法省へ連れて来られたことも。
全部が、一晩で起きるには大きすぎた。
だが現実は、追いつく時間をくれない。
扉の外で誰かが少し声を荒げる。
「家族だ」と。
「面会を」と。
ルシウスではない。
ナルシッサの声だった。
その声を聞いた瞬間、ドラコの胸の奥がずきりと痛んだ。
母は知ったのだ。
息子が何をしたか。
何を招いたか。
そして、それを止められなかったことも。
顔を上げる気力がなかった。
椅子に座ったまま、ただ両手を組んでいる。
指先が少し冷えている。
自分の手なのに、どこかよそよそしい。
闇の魔術を使ってから、こういう感覚が増えた。
身体の一部が、自分のものなのに少し遠い。
今もそうだ。
恐怖はある。
吐き気もある。
なのに、そのすべてへ薄い膜がかかっている。
それが余計に気持ち悪かった。
もっと取り乱すべきなのかもしれない。
もっと泣くべきなのかもしれない。
でも、泣けない。
叫べない。
その代わり、胸の底だけがずっと冷たい。
扉が開いた。
ドラコは反射的に顔を上げる。
来たのはハリーだった。
その瞬間、息が止まりそうになった。
ハリーの顔は、ここ数日で見た中で一番ひどかった。
目の下に濃い影がある。
唇は乾いている。
それでも、こちらを見る目だけは異様に熱い。
必死に何かへしがみついている人間の目だ。
ドラコは一瞬だけ立ち上がりそうになった。
立てなかった。
膝がうまく動かない。
ハリーは扉が閉まるのも待たず、数歩こちらへ近づいた。
「ドラコ」
声が掠れている。
眠っていないのが分かる。
たぶん昨夜からろくに食べてもいない。
「何したんだよ」
その問いは責める響きではなかった。
怒りでもない。
混乱と恐怖と、信じたくなさが全部混ざった声だった。
ドラコはすぐに答えられなかった。
何をしたのか。
禁忌に手を出した。
自分の魂を食わせた。
制御できると思った。
結果、人が死んだ。
それだけだ。
たったそれだけ。
なのに、言葉にするとあまりにも救いがない。
「ドラコ」
ハリーがもう一度呼ぶ。
その声だけで胸が苦しくなる。
こういう時まで、こんなふうに自分の名前を呼ぶ。
「……来るなと言っただろ」
ようやく出た声はひどく低かった。
ハリーの顔が一瞬強張る。
「そんなこと、今どうでもいいだろ」
「どうでもよくない」
ドラコはゆっくり言った。
「お前、ここにいないほうがいい」
「何で」
ハリーは一歩近づく。
「何でまだそんなこと言えるんだよ」
喉が震えている。
「君、今どんな状況か分かってるのか」
その言葉に、ドラコは少しだけ笑いそうになった。
笑えるはずもないのに。
分かってるのか、と。
分かっていないほうが、どれだけ楽だったか。
「分かってる」
淡々と答える。
「だから言ってる」
ハリーはそこで一瞬、言葉を失う。
分かっている。
それをこんな静かな声で言われることが、逆に恐ろしいのだろう。
「僕、何とかする」
そのあと、ハリーはほとんど反射みたいにそう言った。
ドラコは目を閉じたくなった。
何とかする。
またそれだ。
また、この男はそう言う。
どうにもならないものの前でさえ、自分の力で道を作ろうとする。
「やめろ」
「やめない」
「無理だ」
「無理かどうかはまだ」
「まだ決まってない!」
声が大きくなる。
部屋の外の気配が一瞬止まる。
ハリーはそこでようやく、自分がどれだけ感情のまま喋っているのかに気づいたらしい。
少しだけ息を整える。
それでも目はまっすぐだった。
「僕が話す」
「魔法省にも」
「マクゴナガルにも」
「誰にでも」
「君がわざとじゃなかったって」
「治療が必要なんだって」
「だから——」
「だから何だ」
ドラコはそこで、はっきりと口を挟んだ。
静かな声だった。
でも、その静けさがハリーの勢いを止める。
「死んだ人間が戻るのか」
ハリーの顔から血の気が引いた。
それは一番触れたくない場所だ。
でも、触れなければいけなかった。
「僕は」
ドラコは自分でも驚くほど平坦に続ける。
「苦しかった」
「苦しさを止めたかった」
「自分なら制御できると思った」
視線を逸らさない。
「その結果、人が死んだ」
一つ一つ、釘を打つみたいに言う。
「それで、お前は何を何とかするつもりだ」
ハリーはすぐに答えられなかった。
たぶん今の彼の中には、方法ではなく衝動しかない。
助けたい。
失いたくない。
放っておけない。
それだけで動いている。
ドラコにはそれが分かった。
分かったから余計につらかった。
「……そんな顔するな」
ぽつりとそう言うと、ハリーがはっとしたように目を上げる。
「どんな顔」
「今にも壊れそうな顔だ」
ドラコは低く言う。
「僕のほうじゃなく、お前が」
その一言に、ハリーの表情が崩れかけた。
彼は依存していたのだ。
ドラコへ。
夜の教室へ。
手を伸ばせば拒みきらないこの関係へ。
だから今、その対象が手の中から完全に滑り落ちようとして、まともでいられない。
「壊れそうだよ」
ハリーはとうとう、そう言った。
ひどく静かな声だった。
怒鳴るより、泣くより、ずっと痛い。
「だって君が」
喉が上下する。
「こんなふうになるなんて」
「僕、思わなかった」
「気づけなかった」
目が少し赤い。
「ずっと近くにいたのに」
ドラコはその言葉を聞いて、胸の内側が痛むのを感じた。
違う。
気づけなかったんじゃない。
自分が言わなかった。
隠した。
取り繕った。
平気な顔をして、夜だけ受け入れて、昼には切った。
そして最後には、もっとひどいものへ手を出した。
ハリーが見抜けなかったのではない。
自分が見せなかったのだ。
でも、その真実を今ここで言うことは、慰めにならない。
むしろハリーの罪悪感を強めるだけだ。
だからドラコは黙った。
その沈黙を、扉の外のざわめきが破った。
最初は遠かった。
でもすぐに、はっきり聞こえるくらい大きくなる。
怒号だった。
「出せ!」
「マルフォイを出せ!」
「闇の魔術師を裁け!」
「また見逃す気か!」
ハリーもドラコも同時に顔を上げた。
外だ。
魔法省の建物の外。
もう人が集まっている。
記者だけではない。
一般の魔法使いたち。
遺族。
好奇心と怒りと恐怖で熱くなった群衆。
声は分厚い壁を越えて届く。
それだけ人数がいるということだ。
ドラコはその音を聞いた瞬間、指先の感覚が少し遠のいた。
これが、世間だ。
自分のやったことの輪郭が、群衆の声になって押し寄せてくる。
嫌悪。
恐怖。
報復。
何も不思議ではない。
むしろ当然だ。
でも当然すぎて、少しだけ吐きそうになる。
ハリーは顔色を変え、扉のほうへ半歩動いた。
群衆を止めようとでもするみたいに。
その反応が、ドラコにはひどくハリーらしかった。
「行くな」
思わずそう言う。
ハリーが振り返る。
「でも——」
「行ってどうする」
ドラコは低く言う。
「お前が顔を出せば、余計に騒ぐ」
「英雄が来たと、もっと熱狂するだけだ」
それは事実だった。
今のハリーは、もはや一個人ではない。
世間にとっては物語そのものだ。
ハリーが何か言えば、それは正義の方向づけになる。
群衆はそれを求めている。
ハリーはそれを理解しながらも、拳を握りしめている。
「僕が何も言わなかったら」
「君はどうなる」
その問いは、子どもみたいにまっすぐだった。
ドラコは返事をしなかった。
返せば現実になる。
自分がどうなるかなんて、まだはっきり告げられていなくても分かっている。
処罰される。
たぶん、かなり重く。
それだけだ。
扉が再び開いた。
今度は魔法省の役人が入ってくる。
顔は硬い。
視線も冷たい。
でもどこか、ドラコ本人よりハリーの存在に緊張しているようでもあった。
「ポッター氏」
事務的な声。
「時間です」
ハリーはすぐには動かなかった。
「まだ話してる」
「お話は後ほど」
相手は一歩も引かない。
「審問の準備が始まります」
審問。
その言葉が部屋へ落ちた瞬間、空気が一段冷えた。
ハリーの顔から、最後の希望みたいなものが少しずつ消えていく。
まだ何とかなると思っていた部分が、そこで初めて現実に触れたのだろう。
ドラコはその顔を見て、胸の奥がひどく痛んだ。
これからもっとひどくなる。
審問は始まりに過ぎない。
世間は騒ぐ。
魔法省は動く。
そしてこの男は、その全部へ正面から立ち向かおうとする。
そうすれば壊れる。
今よりもっと。
「ハリー」
ドラコは初めて、その名をはっきり呼んだ。
ハリーが顔を向ける。
「……来るなと言った意味」
少しだけ息をつく。
「今なら分かるだろ」
ハリーは何も言えなかった。
ただ、苦しそうにこちらを見るだけだ。
ドラコは視線を逸らさず続ける。
「お前は、これ以上近くにいるべきじゃない」
それは拒絶でも、突き放しでもなかった。
むしろ最後に残った理性だった。
でもハリーは、そこでゆっくり首を振った。
「無理だよ」
その声はもう、ほとんど限界に近かった。
「僕、ここまで来て」
「今さら離れられるわけないだろ」
その言葉を聞いた瞬間、ドラコははっきりと理解した。
もう自分たちは、普通の別れ方ができる段階を越えてしまっている。
どちらかが理性を保っていても、もう片方が離れない。
どちらも壊れているからだ。
だから、この先に待っているのは、たぶんもっと醜くて、もっと取り返しのつかない形しかない。
外ではまだ怒号が続いていた。
「裁け!」
「見せしめにしろ!」
「二度と繰り返すな!」
その声の中で、ハリーだけがドラコを見ている。
世界じゅうが敵になっても、まだこちらを見ている。
それが嬉しくて、恐ろしくて、どうしようもなかった。
⸻
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
175
きのこ