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白いドレスの裾を優雅に翻して、ミランジェットがゆっくりと歩み出た。鏡に映したように同じ顔、同じ瞳、同じ髪。でも、微笑みが違う。底冷えするほど完璧で、どこか楽しげな微笑み。
「逃げるの?オランジェット」
甘い、甘すぎる声。「そうよ、オランジェット……罪は受け入れなきゃいけないわ……逃げたりしたら、ドナー家の恥になるだけよ?」まるで台詞を覚えた人形のように、滑らかに言葉を紡ぐ。
私は一瞬、息が止まった。(……こいつ)獅子頭橙子の勘が、背筋を電流みたいに走った。彼女の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、嘲笑がチラリと光った。喜びだ。私が苦しむのを、愉しんでいる。
(こいつ……最初から知ってやがったな)
私は唇の端を吊り上げて、ニヤリと笑った。
「……へえ、ミランジェット……お前、ずいぶん楽しそうだな」
「あら、何のこと?」
「予定は変更だ」私は踵を返し、レオンとリバーを従えて、侍従の「待ってください!」という叫びを完全に無視して玄関ホールへ踏み込んだ。大理石の床に、懐かしい靴音が響く。暖炉の匂い、磨き上げられた木の手すりの感触、ステンドグラスから差し込む赤と青の光。全部、体が覚えている。
迷うことなく、二階への大階段を駆け上がる。踊り場で足を止めると、色とりどりの光がレオンの金髪を虹色に染めた。彼は無言で頷く。リバーは包帯の隙間から鋭い目を光らせ、私の半歩後ろに控える。
(私はもう、一人じゃない)
赤いカーペットを踏み締め、廊下を真っ直ぐ進む。右が私の部屋。左がミランジェットの部屋。私は迷わず左のドアノブに手を掛けた。鍵はかかっていない。まるで、待ってましたとばかりに。「ここに、全部ある」私は静かに呟き、ドアを押し開けた。
部屋の中は、甘ったるい薔薇の香水と、どこか腐ったような匂いが混じっていた。私は無言で奥へ進み、ミランジェットがいつも座っていた白い化粧台の前に立った。引き出しは三段。上段は香水瓶とリボン、中段は手紙と小物。下段は鍵がかかっている。
レオンが後ろから「壊す?」と小声で聞いた。私は首を振る。「壊さなくても開く」私は化粧台の右側、薔薇の彫刻が施された小さな飾り板を指で押した。
カチリ、と乾いた音がして、下段の鍵が外れる。オランジェットの記憶が教えてくれた。
子供の頃、ミランジェットが「秘密の宝物」と呼んで、私に見せびらかした場所だ。引き出しを開ける。中には、黒いベルベットの袋と、封蝋の押された数通の手紙。袋を開けると、紋章が刻まれた金のメダルが入っていた。
「この紋章は誰のものだ?」
「……これは」
レオンは腕を組んで眉間にシワを寄せた。私はそのメダルをドレスのポケットに入れた。そして手紙の一通を広げる。
『ミランジェット様へ
計画は順調。オランジェットは三日後に処刑台へ。
その後は貴女がドナー家当主、
そして我が王妃となる日を楽しみにしております。』
レオンの息が背後で凍った。リバーが低く唸る。私は最後の手紙を握りしめたまま、ゆっくりと振り返った。
「……全部、ここにあった」
ミランジェットはドアを背後で静かに閉め、鍵をカチャリとかけた。白いドレスがまるで雪のように揺れ、唇の端に冷たい笑みが浮かぶ。
「ダメじゃない……人のラブレターを見ちゃ」
その瞬間、頭の奥で何かがブチッと切れた。私は一歩で距離を詰め、ミランジェットの襟首を鷲掴みにしていた。細い首が、私の手の中で震える。
「姉ちゃんが死刑になる手紙がラブレターだと!?笑わせんな!」
私は手紙を彼女の顔に突きつけた。
「この相手は誰だ!オルファ侯爵か!?お前、あのジジイと組んで私を殺す気だったのか!?」
ミランジェットは掴まれたまま、青い瞳を見開いた。でも、怯えじゃなかった。愉しんでいるような、狂おしいほどの喜びだった。
「嫌だ、あんなおじいちゃん……オランジェットも侯爵と結婚しなくていいから良かったじゃない?嫌いだったんでしょ?」
「そんなこと知らねぇよ!」
「……ふふ」
彼女は私の手を掴み返し微笑んだ。
「ほら、早くこの人を見つけ出さなきゃ……オランジェットは断頭台行きよ?こんなところで遊んでいていいの?」
「くそっ!」
そしてミランジェットはレオンに向かってカーテシーで恭しくお辞儀をした。彼女の視線が、レオンに絡みつくように這う。
「そのお顔、どこかで拝見いたしましたわ……?」
甘ったるい声。でも、その瞳の奥に、獰猛な光がチラリと灯った。レオンは一瞬、眉ひとつ動かさなかった。ただ、静かに右手を背中に回し、リバーが無言で一歩前に出る。
「……人違いだろ」
低く、氷みたいな声。ミランジェットは小さく首を傾げて、微笑みを深くした。
「いいえ、覚えております。王宮の夜会で、王太子殿下のすぐ側にいらした、金髪の護衛騎士……いえ、今はもう“元”騎士でしたかしら?」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。私はレオンの横顔を見た。完璧に無表情。でも、背筋を這うような殺気が、ほんの一瞬だけ漏れた。彼女は舌なめずりするように唇を湿らせ、囁いた。
「レオン・ヴァル・クライツェル様……王太子暗殺の夜、行方不明になった、あの方ですわよね?」
「行こう」
レオンは一言だけ、低く呟くと、ミランジェットの横をまるで空気のように素通りした。カチャリ、と鍵が回る。錆びた蝶番が重い音を立てて、扉が開く。その瞬間、金貨の紋章、
ミランジェットの引き出しにあった手紙、そしてレオンが私を助け出した理由。全てが、ぴたりと繋がった。レオン・ヴァル・クライツェル。
王太子の側近だった金髪の騎士。
王太子暗殺の夜、王太子の側から消えた“裏切り者”とされた男。だから、あの牢獄にいたんだ。私は握りしめていた手紙を、ぎゅっと胸に押し当てた。「……レオン」彼は振り返らない。ただ、開いた扉の向こうに、長い廊下と差し込む陽光があるだけ。背中が、ほんの少し震えていた。
「行くよ、オランジェ」
その声は、もう優しくなんてなかった。静かで、冷たくて、でもどこか、壊れそうなくらいに痛かった。私は頷いて、レオンの後を追った。扉が背後で静かに閉まる。ミランジェットの笑い声だけが、甘く、毒々しく、廊下に響いた。