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レオンは私を赤茶の馬に乗せると、自分は白馬に跨ったまま、一言も発さなかった。ドナー家の門を出て、楓の赤い影が石畳に落ちる道を進む間も、麦畑へ差し掛かる間も、ずっと無表情だった。リバーと私は、どっちかが声をかけようか、と気を揉みながら何度か目配せした。突然、レオンの白馬がピタリと足を止めた。風が小麦を波のように揺らし、金色の髪を靡かせる。
陽射しが眩しいのに、彼の金色の瞳だけが、どこか暗い影を宿していた。
「レオン……どうした?」
私の声は裏返り、喉が詰まる。レオンは長い、長い溜め息を吐いた。まるで胸の奥に沈んでいた重いものを、ようやく吐き出すように。「……いや、なんでもない」彼は小さく首を振り、手綱を引いた。
白馬が再び歩き出す。でも、私は見た。その横顔に、ほんの一瞬だけ、痛みと怒りと、そして深い悲しみが掠めて消えたのを。レオンはまだ、何も語らない。けれど私は、もう知っている。彼が背負っているものの重さを。そして、これから私たちが向かう先が、どれほど険しいかを。
ミランジェットの言葉が正しければ、レオンは王太子の護衛の騎士だった。名前をレオン・ヴァル・クライツェル……彼が獄中で「確かめたいことがある」と力強く話した。私はドレスのポケットから、金貨を取り出した。
風が金貨を冷たく撫でる。指先でこすっても消えない、異様な紋章。3つの蛇が絡み合い、中央に百合の花を喰らう紋章。王太子の寝所に忍び込んだ暗殺者が落とした、決定的な証拠。レオンはこれを確かめるために、王太子が本当に死んだのか、それとも「暗殺未遂」でどこかに隠されているのか、自分の目で見極めようとしているのか?
ミランジェは知っていた。だからあんな笑みを浮かべたんだ。金貨を握りしめる。掌が痛いほどに力を込める。「……レオン」私は馬を並べて、小さく呼びかけた。「王太子は、まだ生きてるかもしれない」レオンは一瞬だけ瞳を揺らし、すぐに前を向いたまま、静かに頷いた。答えは、もう出ている。私たちは王宮へ向かう。真実を、ミランジェの笑顔を、オルファ侯爵の裏切りを、謎の人物の仮面を、全部、引き裂くために。
小麦畑で農夫たちが鎌を振り、黄金の穂がざわめくように倒れていく。遠くの丘で風車がのんびりと羽を回し、ひばりが青空に小さな弧を描いて舞う。風は穏やかで、太陽は優しく、まるで何も起こっていないかのような、平和な午後。
でもその裏で、王太子は行方不明のまま、姉を殺そうとした妹は屋敷で紅茶を啜り、オルファ侯爵は玉座の影で静かに笑っている。私は手綱を握りしめたまま、歯を食いしばった。こんな綺麗な世界だからこそ、腐った部分は根こそぎ抉り出して、陽の光で焼き払ってやる。馬を蹴る。赤茶のたてがみが風を裂き、三頭の蹄が大地を鳴らす。
私たちは馬を深い森の茂みに隠し、手綱を木に巻きつけた。レオンが黒いマントを私にかけ、自分もフードを深く被る。リバーは包帯の上から灰色の布を巻き、顔の下半分を隠した。
「これで、お尋ね者とは見えないはずだ」
「……」
逆に怪しいと思ったが、それは言わないでおいた。マンドラゴラの群生が、足首までびっしりと生い茂る小径に入る。踏み込むたびに、「ギャアアアアッ!」「イヤァァァァ……!」 根が引き抜かれるような、赤ん坊の泣き声とも女の絶叫ともつかない悲鳴が地面から湧き上がる。毎回、背筋が凍った。
「くそっ、慣れねえ……」
リバーが耳を塞ぎながら呻く。レオンは無言で私の手を握り、黙って先を急ぐ。その手のひらは、熱くて、震えていた。
マンドラゴラの悲鳴を背に、王都の裏門が見えてきた。石壁の向こうに、夕陽を浴びた王宮の尖塔が、鋭く空を突き刺している。もうすぐだ。私たちは顔を深く伏せ、三人の影を一つに重ねながら、静かに、確実に、牙を剥いた狼のように、王都へと滑り込んだ。
教会の鐘が低く六つ鳴り、広場の喧騒が一瞬だけ遠のいた。断頭台はもう跡形もなく、木の床板を外す職人たちが汗を流している。……よかった。あの場所に二度と膝をつかなくていい。レオンの手が、私の手をぎゅっと強く握り直した。
熱が伝わる。まだ震えている。
そのとき、マントの隙間から視界が開けた。教会の正面に、黒百合の紋章が染め抜かれた深紅の旗が、風もなくはためいている。十本、二十本……まるで葬列のようにずらりと並んでいた。重い扉がギィィッと開く。甲冑を纏った長身の男が、牧師と並んで現れた。銀の胸当てに、同じ黒百合の紋章。腰の剣は儀礼用ではなく、血の臭いを纏っている。
男は牧師に軽く会釈すると、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。紫の瞳。冷たく、底なしに深い。「ヴィンセント侯爵……」レオンが呟いた。黒百合と3つの蛇は、ヴィンセント侯爵の紋章だった。彼は教会との結びつきが深い。表向きは穏やかだが、黒百合騎士団を従え隣国を次々に滅ぼし、領地を広げている。
まさか、ここで。レオンの手が、私の指を痛いほど締めつけた。リバーが息を呑む音が聞こえた。公爵は、まるで私たちの存在に気づいたかのように、薄く、優しく、そして絶対に逃がさない笑みを浮かべた。鐘が7つ目を打ち鳴らす。今、この瞬間、狩る者と狩られる者が、初めて顔を合わせた。
ヴィンセント侯爵は王弟家最後の嫡子だった。
母は先王の寵姫だったが、正妃の子(現国王)を産んだ途端、冷宮に追いやられた。ヴィンセントが七歳のとき、母は「病死」と発表され、密かに毒殺された。その死体を抱いた幼いヴィンセントは、母の耳元で誰かが囁く声を聞いた。「穢れた血は、いずれ滅ぶ」犯人は誰か、幼い彼には分からなかった。ただ、母の冷たい指が、自分の頬を掻きむしった感触だけが残った。
ある夜、王宮で「王弟家の生き残りは危険」との密告がなされ、一夜にして「異端審問」の罪で追放される。追放されたその足で、ヴィンセント侯爵は地下に潜った。
……復讐のために。
王家を、教会を、そしてこの国そのものを、根底から腐らせるために。黒百合騎士団の創設。死刑囚や異端者を集めて私兵団を組織。紋章は「百合を喰らう三匹の蛇」王家を象徴する百合を、毒と裏切りで喰らい尽くす誓い。
目的はただ一つ「穢れた血は滅ぶ」を、自らの手で実現すること。現国王を病で衰えさせ、王太子を廃嫡し、最後に自分が「唯一の正統な王」として即位する。
現国王と教会は、黒百合騎士団を、国を護る存在として信頼していた。ただ一人、王太子はヴィンセント侯爵に黒い影を感じていた。密偵を潜り込ませたが、数日後、彼は川に浮かんだ。疑念は確信に変わった。
そしてヴィンセント侯爵はミランジェットを「次の王妃」ではなく、「次の傀儡女王」として選んだ。なぜなら、顔がオランジェットと瓜二つ であること。国民が「悲劇の令嬢」として同情し、担ぎ上げやすい 。そして何より、心が脆く、嫉妬に狂い、操りやすい完璧な人形だった。ミランジェットは自分が「愛されている」と思っている。
ヴィンセント公爵の甘い言葉、夜ごとの密会、耳元で囁かれる「君こそが真の女王だ」という言葉。でもヴィンセントにとって、彼女はただの「替え玉」だ。王太子が死ねば、「悲劇の妹」ミランジェットを王妃に据え、自分が摂政として実権を握る。
その後、適当な時期に「病没」させれば、王家は完全に断絶。あとは教会の神託をでっち上げて、自分が即位するだけ。ミランジェットは、最後まで自分が「愛されている」と信じたまま、毒を盛られるか、窓から突き落とされるか、あるいは「自らの手で」命を絶つよう仕向けられる。ヴィンセントは、そんな残酷な未来を、優しい微笑みとともに、もう決めている。だからこそ、私は絶対に許さない。「レオン」私は馬を止め、金貨を握りしめたまま振り返った。「王太子はまだ生きている。ミランジェットは……利用されてるだけだ」レオンは静かに頷いた。
「行くよ。王宮の、最深部へ」
風が、黒百合の旗をはためかせた。まるで、嘲笑うように。