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あの子の事を考えるのは、これで最後にしたい。

あの子はお隣の家に住む男の子で、陽だまりみたいな笑みを浮かべる明るくて強い子だった。僕より背が少し低くて、その事を気にしてか姿勢が良い。しゃんと伸びた背中と少し引いた顎、子供ながらに大人顔負けな程にしっかりとした姿勢。茶道か、華道でも嗜んでいそうな落ち着いた立ち振る舞い。近所の婦人方から大人気だった。正座が出来なくて苦いお茶が飲めないし、花の匂いが苦手なのをしっているのは、僕だけだった。


あの子の苗字は代々木、名前は和香だったと思う。三人兄弟の末子で、どうしても女の子が欲しかったあの子の母がせめて名前だけでもと泣く泣くつけた随分と女の子らしい名前の子。顔も中性的で、中学に上がるまでは女と言われても疑わないほどの美貌の持ち主だったのをよく覚えている。


二人の兄とは異様に仲が良く、肩を組んだり腰に手を巻かれて歩いているのを何度も見た。たまらなく気持ちが悪くて、見ていられなかったのを今でも覚えている。ただの兄弟だと分かっていても、三人の周りにはまるで愛人のような空気が漂っていた。


幼馴染ということで僕とあの子は仲良しで、よく遊んでくれた。引っ込み思案で周りと馴染めなかった僕の手を引いて、皆の輪の中へ連れ出してくれるのはいつも和香だった。そうしてくれた日は堪らなく嬉しくて、皆と遊ぶのが楽しくて、家に帰るとき何度も頭を下げて手を握って和香にお礼を言った。あの子はいつも優しく首を縦に振って、陽だまりのような無邪気な笑顔で僕に


「おれはお前が楽しそうな顔してるの見るのが好きだから」


と話してくれた。まだ小学生低学年くらいの頃だった。今思い出すと本当に、よくできた子だったと痛いほど思う。




家が隣なので必然的に中学校も和香と同じで、慣れない環境に委縮していた僕を、慣れるまで毎日優しくなだめてくれた。ところが和香は、中二に上がったあたりで学校へ来なくなった。そのころの僕はあの子のお陰で友達が数人できて、あの子への関心が薄まってしまっていた。最低な奴だ。


先生から説明される始めの一週間の欠席理由は風邪、その次は家の都合、三週間もすると何も言わず、無言で欠席表に彼の苗字の書かれたマグネットを添えるだけになった。その辺りから僕はようやく和香の事を気にかけはじめ、学校へ行きがてら彼の部屋の窓をなんとなく覗いていくようになった。その窓からあの子の姿を見ることは無かったが。




中三に上がって、突然和香が学校へ来るようになった。最後に会った時と変わらず、陽だまりのような笑顔と優しい性格。あっという間にクラスに溶け込んだ。皆気遣ってか、学校へ来なくなった理由を尋ねようとはしなかった。ただ一つ変わっていたのは、たまたま同じクラスだった僕に一切話しかけてこない事。此方を見ることはないし、此方へ駆け寄って来ることも無い。僕の方から話しかけるときだけ、あからさまな笑みを浮かべて会釈をする。声は発してくれない。たまらなく腹がった。確かに二年前まで、お互いに唯一無二と言えるほど気のおけない仲だったはずなのに。腹立たしくて、苛立たしくて、寂しくて、恋しかった。昔のように手を繋いで、一緒に歌を歌って、二人でくだらない映画やドキュメンタリー番組に感動したかった。抱きしめて、手を握りたかった。いつの間にか僕は、和香に恋愛的な好意を抱いてしまっていたらしい。




ゲイなわけでは無い。初恋は小学生二年生の時同じクラスだった小百合ちゃんだし、友達と雑木林で偶然見つけたエロ雑誌で勃起し何回もその時の写真を思い出して抜いた。けれどもあの子の事を好きになってしまった。理由は分からない。きっと性別は関係なくて、あの子だから好きだったのだろう。代々木和香という男ではなく、代々木和香という人間に恋心を抱いていたのだ。哲学的に言ってしまって、少し恥ずかしい。




そんな風に淡い恋心を抱いていたが故に、より彼と話せない現状が耐えられなくなった。何度もあの子を呼び出して避ける理由を引き出そうとしたが、他人の会話になんとなく合わせて息を殺してきたような僕には、そんなことをする勇気は無かった。




そして8月上旬のある日、僕と和香の疎遠っぷりに耐えられなくなった母が無理矢理あの子の部屋で僕と彼が二人で遊ぶ予定を取り付けた。あの子にきちんと許可を取ったらしいが、始めは渋られ悲しかったと言っていた。母は、和香と僕が遊ぶのを後ろから眺めるのが大好きだった




彼の部屋は随分前に流行っていた駒みたいなおもちゃで遊ぶ為に来た以来だったが、何も変わらなかった。勉強机もローラーのついた青い椅子も、ふかふかで寝心地の良いベッドも。凄く嬉しかった。仲良しだったころの彼が、まだいるみたいだった。


来たは良いもののすることは無いし気まずいしで空気は地獄。和香の母親が買って来てくれたショートケーキを目も合わせずに無言で食べ、コーラを飲むだけ。緊張していた。あれ程までに味のしないショートケーキに出会うことは今後一生無いだろう。食べ終わると無言で僕は正座し続けた。彼は机に頬杖をついて遠くを見ていた。絵を切り取って映し出したように綺麗で、日当たりが良いからかくっきりと影を作っていた。思わず手を伸ばし、頬を撫てしまいそうに何度もなった。


その内沈黙にしびれを切らしたのか、小さく小さくため息を吐いてから僕に声をかけてくれた。彼がため息を吐いたところを、生まれて初めて見た。


「……楽しそうだね、学校」


遠くを眺めたまま、此方を見ないしようにして彼は呟く。その声色は柔らかく、安心しているように聞こえた。だがどこか、ほんの少しだけ、悲しそうにも聞こえた。声は前と変わらず、男にしては高くて可愛らしい声。


「ぁ…うん。楽しい。和…代々木も、楽しそうでよかった。」


名前ではなく苗字で呼んでしまった。目の前にいるはずの彼が、途方も無く遠い存在に見えて嫌だった。僕の言葉に和香はうんと頷き、会話はそこで途切れた。何か話そうと数分考え、絞り出すような声で問いかける。本当は聞く気なんてなかったけれど、一抹の好奇心と心配に負けてしまった。


「どうして、学校来なくなったの」


彼は大きくて少し吊り上がった猫目を見開き、きゅぅと下唇を噛んだ。よほど答えたく無いのだろうと気付き、話題を変えることにした。


「答えたくないなら、いいんだ。…、代々木は、進路決まった?」


中三らしい無難な問いかけ。小さな話題を広げていく事にした。彼は顎に手を当てて少し考えるような素振りをし、答える。まだちらりとも此方を見てはくれない。


「………二つで悩んでる。君は、どうなの」


呼び方が、お前から君になっている。目の前に壁がある。どれほど武装し爆弾を用意しても壊れない、硬くて大きい透明な壁。


「僕はなんにも…。やりたいことって何もないんだ。代々木はどうなの」


小さく呼吸し応答する。なんとなく、彼の選択肢は嫌な予感がする。


「……誰もいないと所に行くか、死ぬか」


なんでも無いようなすまし顔でいい、此方を見る。しっかりと目が合う。僕に向かって選べと言わんばかりの視線、同時に、発言することを許さないとでも言いたげな圧。彼は死にたいのだろうか。誰もいない所に行ってなんになるのだろうか。分からない。けど、あの子が死ぬのは許せなかった。まだ想いを伝えていないからではない。何等かの理由で不登校になってしまったあの子に可哀想と同情したからでもない。




代々木和香が僕を置いて、ただ一人先を歩くのが許せなかった。




君が先に死んだら、誰が僕の手を引くんだ。誰が僕に向けて笑顔を浮かべてくれるんだ。考えれば考える程に思考は交じり、絡まり、何も思えなくなった。気が付くと僕は机を飛び越え、彼の肩を押して地面に押し倒していた。彼に馬乗りになって。何がしたいのか分からない。これからどう動くのか分からない。ただ一つ分かるのは、代々木和香との関係はここで完全に潰えた事のみだった。


「…和香が一人誰もいない所へ消えてしまうくらいなら。今この手で僕は君を殺す。」


それを言った時、彼はどんな顔をしていただろうか。僕はどんな声色で言っただろうか。思い出せないが、確かに僕はあの子を殺そうとしていた。自身の両の腕をあの子の上に持って行き、喉を絞めようと首に手を伸ばした。興奮し、血管の浮き出ている手で。醜く欲情した獣の、汚い手だった。彼はゆっくりと近付いてくる僕の手に怯え、震え、涙を瞳ににじませる。様子がおかしい。縋るような眼をしていて、震えからカチカチと歯を鳴らしながら口を開いた。


「…、兄、さん……酷く、しないで、」


あの子はしっかりとこちらを見、彼の兄を呼んだ。あの子は震える手で慎重に服のボタンに手を掛け、一つずつ外す。華奢…というより、やせ細って水分の抜けた体。とても綺麗とは言い難い。体は鞭で打たれたような跡があって所々赤く腫れあがり、噛み跡やキスマークが痣になっている。肋骨付近はタバコを押し当てられたようでケロイドがいくつも施されている。惨くて、胸糞が悪い。明らかに彼の兄のどちらか、或いは両方の仕業。僕は混乱して彼から離れ、近くにあってゴミ箱に吐瀉物をぶちまけた。僕はあの子の方を見ては震え、また嘔吐する。それを三回ほど繰り返した。その日はまだショートケーキしか食べていなかったからかすぐに胃袋が空になり、胃液を無理やり出した。その間彼は天井を見、顔を青くしていた。


「……汚い」


ふと口走る。そんな事言うつもりは無かった。そもそも声を発する気なんてなかった。口から突然零れたものだった。そんな事思ってない、言うつもりも無かった。心の中の中で弁明するが喉に何かがへばりつき、声が出なかった。立ち上がると荷物を持ち、急いで家を後にした。部屋を出る直前、ちらりと見えたあの子は天井を見たまま泣いていた。無責任に、非常識に、美しいと思った。あの顔は、今も脳裏に焼き付いている。


それから間もなくして、代々木家は引っ越した。父親が転勤する事になったらしい。和香の母親が挨拶に来たが顔を合わせられるわけもなく、部屋にこもって寝たふりをした。彼に謝りたい。それだけが頭の中を支配しながら。


もうあの子に謝る事は出来ないし、あの子に会う事も出来ない。手を繋ぐことも歌を歌うことも、抱きしめる事も出来ない。




昨日、あの子の母親から手紙が届いた。代々木和香の訃報を知られるものだった。

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