夜、私お手製のすごろくでみんなと遊んでいると、コウカと彼女に呼び出されていったヒバナが宿の部屋へと戻ってきた。
戻ってくるなり、コウカはシズクを連れてまた外に出て行ってしまったので、あの子が何をしているのか澄ました顔でベッドに腰掛けているヒバナへと問いかけてみた。
彼女曰く、コウカは一人一人に謝るために外へと呼び出しているそうだ。
どうしてそんなことを……なんて今さら聞かなくても分かる。ただ、律儀だなとは思った。
あと、説明してくれている時のヒバナが少しにやけていることにはつっこまないほうがいいだろう。少なくとも、謝罪は功を奏したらしい。
このままシズクとも上手く和解してくれないだろうかと思うが、シズクはヒバナ以上の頑固者だ。結構、根に持ってそうだったのでそう簡単にはいかないかもしれない。
――怒ったシズクは本当に怖いからね、コウカ。
◇◇◇
部屋でユウヒが心配していることなどつゆ知らず、コウカは先程ヒバナと過ごした時と同じ場所へとシズクを呼び出していた。
「え、えと、あたしに話って……?」
緊張した面持ちのシズクが相手の様子を窺うように視線をちらちらと送りつつ、そう問い掛けた。
それに対して、コウカが取った行動はまず頭を下げることだった。
「はい……ごめんなさい、シズク! わたしはあなたにもたくさん酷い言葉をぶつけました」
目を丸くしていたシズクが口を開く。
「……ひーちゃんに言われたの?」
「え、あ、はい。シズクにちゃんと謝るようにって……でもわたしも本当に謝りたいと思っていて……」
その言葉を聞いた瞬間、シズクの目の色が変わる。
しどろもどろになりながらも説明するコウカからは必死さが伝わってきた。そんな彼女の姿を見てシズクも口角を上げる。
「そんなに慌てなくても分かってるよ……コウカねぇがそう思っていることくらい。……うん、ちゃんと受け取ったよ。あ、別にこれも上から目線で言ってるわけじゃないから……」
自分のことをまた姉と呼んでくれた上に謝罪も受け取ると言ってくれたシズクの言葉を聞き、コウカは嬉々として顔を上げた。
だがそんな彼女が見たのは元来た道を戻ろうとするシズクの後ろ姿だった。
「え……あ、あのっ! 何かもう少しだけ話しませんか? わたし、シズクのことがもっと知りたいんです。シズクもわたしに何か言いたいこととかあったら遠慮なく言ってください」
そそくさと去ろうとするシズクをコウカは慌てて呼び止め、会話を続けようとする。
それは紛れもない本心からの言葉であり、その想いが通じたのかシズクは立ち止まるとゆっくりと首を後ろに回し、口を開いた。
「特に無いけど」
「えっ」
しかし、現実は非情であった。
バッサリと斬り棄てられたコウカは虚を突かれたような声を出すが、すぐに頭を振って考え始めた。
「でもヒバナはたしかに……」
「ひーちゃんが……? そっか……」
そんなコウカの呟きに何か納得した様子を見せたシズクがその場で反転して再度、コウカと向き合う。
「……やっぱりあったよ。言いたいこと」
その言葉にコウカはパッと笑顔の花を咲かせる。対して、その顔を見るシズクは不安そうな表情を浮かべていた。
「いきなり怒り出して、剣向けたりしないよね……?」
「しませんよ、そんなこと!」
ぶんぶんと頭を振り、少しおどおどとした様子であるシズクからの問い掛けに対して強い否定を示すコウカ。
(……どうだか。そう言っておいて前は平気で剣を向けていたくせに)
シズクは僅かに眉を顰める。
(……でもわかってる……わかっちゃってるんだ。今のあなたと前のあなたは違うってことくらい)
コウカにはたしかに前科がある。
だが、シズクはそんな彼女の言葉を切り捨てることができていない。
「……そう。それじゃあ、言う……あたしね、コウカねぇのことが苦手」
「……ッ」
それはコウカにとってショックな事実であったが、同時にほぼ自覚していたことでもある。
ヒバナはもちろん、妹たちやユウヒに対してもあまり緊張を見せなくなったシズクではあるものの未だにコウカと話すときは緊張した様子を見せるからだ。そもそもあまり会話しようとすらしてくれない。
手を強く握りしめるコウカは、その事実を真摯に受け止める。
だが、その次の言葉はコウカの胸を抉り抜いた。
「というか、嫌い」
「きら――ッ!?」
淡々と告げられた言葉であったが、コウカの心を抉るには十分すぎる威力を誇っていた。
そして圧倒的な破壊力を孕んだ言葉は止まらない。それどころかどんどんとエスカレートしていく。
「勝手な思い込みであたしたちを振り回す。ひーちゃんやユウヒちゃん、みんなのことも傷つける。本当に大嫌い」
真っ白になったコウカが膝から崩れ落ちた。
その様子に眉間の皺を深くし、少し苦しげながらも冷めた様子で見下ろすシズク。
2人の間には沈黙が訪れた。
やがて、再起動を果たしたコウカがシズクへと縋りつく。彼女の冷たい視線などお構いなしだ。
「シズク……お、お願いします。わたしを――お姉ちゃんのことを大嫌いにならないでください!」
「姉らしいことなんてしてないのにそうやってお姉ちゃんぶるのも嫌だな」
「ぐっ」
コウカが苦しそうに胸を抑える。
事実、先程の光景だけを切り取ったとしても地に膝をつけて縋りつき、必死に懇願するコウカはどう見ても姉らしくはない。
再び崩れ落ちたコウカを見て、そっと息を吐きながらシズクが肩の力を抜く。
「……なんてね。ほんの少しだけ誇張しちゃったかも」
最後の方の言葉は目線を横にずらしながら、ただ呟いたかのような声量のものだった。とはいえスライム、もとい精霊の聴力が捉えられないものではなかったが。
「本当ですかっ!?」
ほとんど本音だったと言われたにもかかわらず目をキラキラとさせながら、満面の笑みを浮かべて復活したコウカ。都合の悪い言葉は聞かなかったことにしたらしい。
すっかり元気を取り戻したコウカにシズクが呆気にとられる。
(何それ……どうしてそんな顔ができるの。どうしてずっとそうじゃなかったの。もしも……ずっと前から今みたいに接してくれていたら、あたしだって嫌いにならなくて済んだのに……)
そこまで考えてシズクはすぐにその考えを振り払う。
もしもの話など、この場で考えても仕方がない。それが過去の話ならなおさらだ。
シズクは自分の頭に乗っている三角帽子に触れる。そして手に取って目の前まで持ってきたそれの表面にある解れ目をそっと撫でた。
帽子を抱きしめたシズクがコウカに向けて言葉を贈る。
「……少し前までのコウカねぇのことは本当に大嫌いだったけど、今のコウカねぇは正直なところ、わかんないよ。それでも嫌いは嫌いだし、あんまり期待もしない」
厳しさが込められた視線にコウカも居住まいを正す。
シズクの言葉に込められた真剣な想いがコウカへと届いたのだ。
「コウカねぇって何回も裏切ってきたから。コウカねぇがしたことってそういうことだよ」
「……もう裏切りません。シズクたちの想いも……自分の心も。その輝きを見失うほど、今のわたしの目はくすんでいませんから。どれだけ時間が掛かったとしても……あなたからの期待と、そして信頼も取り戻してみせます」
その言葉を聞いた瞬間、シズクが目を見開きかけるがすぐに厳しい目つきへと戻る。
「あたしはひーちゃんみたいにすぐ絆されたりなんかしないよ。ひーちゃんが甘々でもあたしは激辛。そんな宣言1つで信じてもらえるなんて思わないでね」
「なら、期待せずにわたしが頑張るところを見守っていてください」
「……そんな簡単に言うけど……あ、あたしがずっと認めなければ、一生頑張らないといけないかもしれないんだよ……?」
「簡単に言ったつもりはありませんが……」
訝しげなシズクの問い掛けを受け、コウカは顎に手を当てて少しの間悩む。
そして何か答えを見つけたのか、やがて寂しそうな笑みを浮かべはじめた。
「想像するとすごく悲しくなりました。このさき一生、シズクに信用してすらもらえないということですから……でも、それでも少し嬉しいだなんて思ってしまう自分もいて……」
「……?」
本当に寂しそうな笑みから嬉しそうな笑みへと少しずつ変わっていくコウカを見て、シズクが首を傾げる。
「それってシズクがずっと見守ってくれているということじゃないですか。もしそうなら、わたしはそれが一生だろうと頑張れます!」
「――ッ! どうしてそんなに自信満々なの!? そんなことに人生を……一生を費やそうとするなんて馬鹿げてる! きっといつの日か今日口にした言葉を後悔するよ!?」
「馬鹿げてなんていませんよ、シズクのために頑張ることを後悔するなんてありえませんから。シズクが言ったように自信満々ということです」
なんてことないように平然とそんな言葉を告げて胸を張るコウカにシズクは信じられないものを見る目を向けるが、コウカの自信は微塵たりとも衰えることはなかった。
それには感情的になったシズクの勢いも弱まっていく。
「どうして、あたしのためなんて……」
「シズクがわたしにとって大切な家族の一員だからです。ただの自己満足だろうと、これがわたしの愛なんです」
「愛……家族……」
俯いたシズクが胸に抱いた帽子を力一杯抱きしめる。
そして絞り出すように声を発した。
「……あたしは、あなたのことを何も知らない。家族だなんて思えないよ……今までもただ一緒にいただけでしかない……」
「たしかに……この関係は一般的には家族と呼べるものではないのかもしれません。ただわたしがそうであったらいいなと思っているだけですから。でも、みんなが作ってくれたこの温かい居場所。それは限りなく家族に近いものだと思っているんです。今はそうじゃなくても、この先もずっと一緒にいられるのならきっとわたしたちは本物の家族にだってなれます」
シズクが少しだけ顔を上げ、上目遣いでコウカを見上げる。
「……なれるかな、まだ……遅くはないかな?」
「遅いことなんてない、絶対になれます! だからどうか、これからもわたしとずっと一緒にいてください。そして今度こそ、お互いのことをもっともっと知りましょう!」
瞠目していたシズクは瞬きを繰り返していたが、やがて帽子を深く被り直すと控えめな笑みを浮かべた。
向こう見ずの発言だと一蹴するのは簡単だ。遥か未来、不確定なものに想いを馳せるなど無責任すぎると。
でも彼女の目の前にいる姉は将来への不安など一切抱いていないらしい。未来には確かな希望が溢れていると信じて疑っていない。寧ろ、自分がその未来を切り開こうという気概すら感じられる。
そんな馬鹿らしいほどにまっすぐで強い想いは周りの者にまで伝播するものだ。
「……一生一緒にいたいと思える人でいてね」
「はい、約束です……えっと、これでいいんでしたっけ」
そう言ってコウカは握り拳の状態から小指だけを立てると、その手を妹へと差し出した。
これはいわゆる指切りという、ユウヒがコウカたちに教えた約束事定番のおまじないだ。
コウカと同じ時に教えてもらったことのあるシズクも小指を差し出してそれに応じる。
「たしかここで約束を破ったら針を千本飲ませる誓いを立てるんですよね」
「別にそれはいいんじゃないかな……というか約束破ったら針を飲ませるって、ユウヒちゃんが前にいた世界って実は怖いところなのかな……?」
「それは……帰ったらマスターに聞いてみますか」
そっと近づけた指同士を絡め合いながら言葉を交わす中、シズクはハッと気付く。
(あたし、自然に応じちゃってるけど……これじゃあ、ひーちゃんのこと何も言えない……)
自分の片割れと一緒のように思うなと宣言した手前、それを素直に認めるのは恰好が付かない。
幸いにも、コウカは指切りに夢中でそのことに気が付いてはいないようだったのでシズクは密かに安堵していた。
――だが同時に疑問も生まれる。どうしてこんなことをしてしまったのだろうと。
自分の心に問い掛けてみて、シズクはある1つの答えへと辿り着くことができた。
(あたしたちの始まり、それは信じることからだった。信じる心と一歩を踏み出す勇気があたしたちをこの場所に連れてきてくれたんだ。それにあたしたちが出逢ったあの時――)
目を細めたシズクの口角は意図せずとも僅かに吊り上がってしまっていた。
「あなたを信じたこと、あたしは一度も後悔したことなかったんだよ」
「ぇ……? なんて言いました?」
人間よりも優れた聴力を持っていたとしても聞き取れないほどの声量で発せられたその言葉はコウカに届くことはなかった。
言葉を発した少女の表情もまた、帽子に遮られて正確に読み取るができない。
(だから、あたしもまたこの一歩を踏み出そうと思えたんだ)
◇
コウカとヒバナを抜いた全員で始めたすごろくは最終局面を迎える。
途中まで遊んでいたシズクが抜けた代わりにヒバナが入り、再開したゲームは現在、全員がゴールから20マス以内に集まる形となった。
初回ということもあり、シンプルなルールで作ったものの中々白熱したゲームとなっている。
今回はサイコロの目が丁度ゴールまでの目と同じでないとゴールまで行っても折り返すルールを採用しているため、誰でも1着が狙える可能性がある。
だが、このターンで勝利する可能性があるのはゴールから3マス手前にいるヒバナだけなのだ。
「このまま勝たせてもらうわ」
「待って待って! まだ待って!」
「……大人げない」
「ヒバナお姉さま~手加減して~!」
ヒバナの勝利宣言の後、ダンゴ、アンヤ、ノドカの妹組が抗議するがヒバナはそれらを一蹴する。
「どうやって手加減するのよ! これは運勝負よ、恨むなら運がなかった自分たちを恨みなさい!」
ごもっともである。
因みに私はゴールから19マス前で3ターン休みをもらっているため、蚊帳の外と言わざるを得ない。このまま誰もゴールぴったりの目を出さないことを祈ることしかできないのだ。
……こんなはずではなかった。途中までは私とアンヤ、シズクで最下位争いをしていたはずなのにヒバナに代わった後に何だかんだで彼女がトップに躍り出たのだ。
どうやらヒバナは運が良いほうらしい。
それにしてはふざけて作った変なマスを何回も踏んでいる気はするが、こうしてトップになっているのが何よりの証拠だ。
反対に私はとことん運が悪いようだ。
――いや、待てよ。
このまま3ターン凌ぎきって1マス先の『3回サイコロを振り、出た目だけ進める』マスを踏めば一気に逆転できるな。
ゴールできる確率なんて6分の1だ。3ターンで誰も上がることができないことも十分に考えられる。
そんなことを考えているうちにヒバナが振ったサイコロが3の目を出せばゴールのところ、4の目を出した。
つまり折り返してゴールの1マス前へと戻る。
ゴール前のマスは何だったかな。
「あ……」
「『振り出しに戻る』って……はぁ!? このゲーム作ったの誰よ!」
「あ、あはは……これ全部、私の自作だよー」
「ユウヒぃ……あんたに人の心はないの!?」
そういえば軽い気持ちでそんなマスを作っていたっけな。
一気に逆転を狙える要素を加えつつ、最後なのでダイナミックなマスを配置したかったのだが少々雑な造りのマスになってしまった。
このゲーム、少し長めに作ったから戻るのも一苦労だろう。
これには妹たち3人は嬉しそうだが、ヒバナもまだ諦めていないようで闘志が衰えることはなかった。
そんな時、部屋の扉が開いて帽子を目深に被ったシズクが1人で戻ってきた。
「お帰り、シズク。コウカはどうしたの?」
「……知らないっ!」
そう言い捨てるや否や、ぼすんとベッドに倒れこんだシズクは枕へとその顔を埋めてしまった。
コウカはシズクとの仲直り……というか和解に失敗してしまったのだろうかと心配に思っているとコウカも部屋へと戻ってくる。
「ただいまです……」
「お帰り、コウカ……コウカ!?」
頬を手で押さえながら戻ってきたコウカがベッドに座ったので、私も一時退席させてもらってコウカの隣へと移る。
彼女が押さえている頬には真っ赤な手形が付いていた。
「まったく意味がわかりません……」
不貞腐れたような表情のコウカがそうぼやいた。
「その頬っぺた……何があったの?」
大体の予想は付いていたが、まだそうと確定したわけではない。
「急にシズクが叩いてきました」
だがやはり、私の予想通りだった。
その次にコウカはその経緯を話してくれた。
話を聞く限り、あの子はやはりコウカに良い印象を持っていないように感じるが、コウカの接し方自体にそれほど問題はなかったように聞こえる。コウカの指切りにも応じてくれたと聞いた。
だが、問題はその後らしい。
「何を言ったのか聞き直しても反応がなかったので調子が悪いのかと思って、顔をよく見るためにこうやったんです」
どうやら実践してくれるらしい。
こちらに体を向けたコウカの右手が私の顔へと伸びてきて、人差し指と親指が私の顎に触れたかと思えば、クイっと軽く持ち上げられる。
「んっ!?」
「パッと見た感じでは大丈夫そうだったんですけど、どうにも様子がおかしかったので念のために近付いて覗き込んだ時に――」
そう言って顔を一気に近づけてくるコウカ。彼女の真剣な瞳が私の目を見つめてくる。
――いや、これは駄目だろう。
顔に紅葉が散っている自覚がある上に自分の心臓がうるさくてかなわない。
この子、本当に私と顔の造形が一緒なのだろうか。
進化して私よりも大きくなったとはいえ、それでは説明できないほどに顔が良い。
美しいとか可愛らしいとかかっこいいとか色々あるけど、それをすべて踏まえたうえで顔が良いとしか言えない。
特に目だ。この子の目はキラキラと輝いていて、睫毛も長い。目付きはつり目がちの切れ長で、その目がこの子の意志の強さを表しているようだ。
こんな目でジッと見つめられたらドキッとしてしまうのは自然の摂理と言える。
――この感情を表現できるほどのボキャブラリーが無いのが本当に口惜しい。
これと同じものを見て、シズクは反射的に頬を叩いてしまったというのだろうか。
「これだけですよ? それなのに叩かれて、しまいにはデリカシーがないとか、大嫌いだとか言われたんです。意味が分かりませんよ。そもそもデリカシーって何です? というか、顔が赤い……大丈夫ですか?」
色々と聞いてくるんだけど、顔が近すぎて話が入ってこない。
不意打ちだったせいで本当に訳がわからなくなってる。
「うわぁぁ!? ボクまで吸い込まれたぁ!?」
「ざまぁないわね! あなたもこっちよ、ダンゴ!」
「いやだーっ!」
その叫び声でようやく正気に戻る。
コウカの肩を掴んで引き剥がし、深呼吸すると少しずつではあるが動悸も治まってきた。
――危なかった。もう少しで本当に呑まれるところだった。取り敢えずダンゴには感謝しよう。
見れば、今まさにヒバナの手によってダンゴの駒が振り出しまで持っていかれてしまっていた。
どうやらあのマスを踏んでしまったらしい。
「あ~アンヤちゃん~!」
ノドカがボードの上のサイコロを見て大きな声を上げる。
そのそばにはアンヤが居て、その恰好からアンヤがサイコロを投げた後なのだとわかる。
「ん? あー! アンヤがゴールしてる!」
「えっ!? そこは空気を読んであなたも振り出しに戻るところでしょ!?」
騒いでいたダンゴとヒバナもそのサイコロへと飛びついた。
理不尽なヒバナの言い分に対して、アンヤも言葉を返す。
「……ごめん。運が良すぎた」
その返答を受け、ダンゴとヒバナは揃って微妙な表情を浮かべる。
「……何だろう。謝られた気がしないよ」
「奇遇ね、ダンゴ。私もよ」
いや、それはそうだろう。空気を読む、読まないもないので責められたところでどう謝るべきなのか悩ましい。
だって――。
「あの~……そもそも~運で競い合う~ゲームですよ~? ヒバナお姉さまも~自分で~言っていましたよ~……?」
ノドカが代弁してくれたように、そういうことである。
「ぐぅ……まだ2着を狙える! ノドカ姉様もあのマス踏んで!」
「そうしてあげたくても~運次第だから~……あ~、でも~次はお姉さまの番ですね~。お姉さま~!」
ノドカが私を呼ぶ。どうやら私の休みが終わったようだ。
――そうだ。
「コウカが私の駒で遊んできてよ。といってももう最後の方なんだけど……」
「本当ですか? 実はずっと気になっていたんです!」
そう言ってコウカは意気揚々とすごろく組に混ざっていった。頬に手形を付けたまま。
みんなに突っ込まれているコウカのことは一先ず置いておいて、わたしはベッドにうつ伏せで寝ているシズクのところに向かった。
シズクの眠るベッドに腰掛けると、彼女も私の存在に気が付いたらしく、顔をもぞもぞと動かす。
「シズク、コウカとは上手くやっていけそう?」
「……どうだろう」
返ってきたのは曖昧な答えだ。
これはどう解釈すればいいだろうかと悩んでいると「でも……」と言葉が続く。
「あたしももう一度だけ信じてみる。あんな約束もしちゃったし……」
枕に顔を埋めたままであるため、くぐもった声ではあるものの確かな決意を感じる言葉だった。
それに嬉しさを覚えているとシズクが首を回して私の方を向いた
「それとね、あたしは顔がそっくりだったら誰でもいいわけじゃないんだよ?」
――どういう意図の発言だろう、それ。
少し理解に苦しんでいると、またもやすごろく組の騒ぐ声が聞こえてきた。
「サイコロを3回振ればいいんですね?」
「そうですよ~3回とも6なら~コウカお姉さまは~ゴールですね~」
ノドカがすごろく初心者のコウカに優しくレクチャーをしている。
「でも、ゴール前を踏んだらボクたちと同じ!」
「ふふ、今さっき1を出したコウカねぇに6が一度でも出せるかしら?」
振り出し組の2人がコウカをどうにかして引きずり込もうとしているが、別に盤外で何かしようともゲームに影響が出ることはない。
さっきのやり取りからして、どうやらコウカは交代してから早々1の目を出してあのマスに止まったらしい。
これで6の目を3回出して18マス進めばコウカの勝ちだが、確率は216分の1。まず不可能と言ってもいい。
とりあえず振り出しに戻りさえしなければ、ヒバナとダンゴには勝てるだろう。
「よいしょ……やった! 6が出ました!」
「んっ……まあ、それくらいはね」
幸先がいい。
あれでマスを稼げばノドカにすら勝てる可能性も出てくる。……1マス前の振り出しマスを踏む可能性も残っているわけだが。
「よぉし……あっ、6!」
「……これくらいじゃ奇跡とは呼べないわよ」
明らかに流れが変わり始めていた。
そして、コウカが最後の1回を転がす。乾いた音がテーブルに響くがここからでは何が出たのか分からない。
「見てください! また6ですよ、6!」
「えぇぇ!?」
どうやらコウカには天性の才能が宿っていたようだ。もしかしたらビギナーズラックかもしれないが、あの子たちは揃ってビギナーだしなぁ。
そんな豪運を目の当たりにしたヒバナの体がここからでも分かるほどに震えはじめる。
「こ、こんなのまぐれよ! そんなので勝って嬉しいわけ!?」
「……これ~……運の勝負~……」
この後、少しむくれたノドカがしれっと3着をかっさらっていったのでダンゴとヒバナの最下位争いになってしまったのは語るまでもない。
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