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碧
「ごめん、瑞稀のこと好きか分からなくなった。」
学校からの帰り道。もうそろそろいつもの別れ道に差し掛かるというとき、隣で碧が前を向いたままそう言った。
瑞稀
「え……碧?嘘だよね……?」
聞き間違えだと思いたかった。なんかの冗談だと、ドッキリだと。今すぐにでも「なーんてね、冗談。」そう笑ってほしかった。でも碧が冗談を言っていないことくらい分かった。分かりたくなかった。
碧
「……ごめん、別れよ。」
そう言われて、力が抜ける。さっきまで繋いでいた手の温もりがなくなっていく。「なんで」も「どうして」も聞けないまま、碧は困ったように笑うと背中を向けた。
瑞稀
「ッえ…碧……」
目頭と喉が熱くなって痛くなって、掠れた声しか出ない。視界がぐにゃりと歪むなかでも、時間はそんな俺のことお構い無しに一秒二秒と過ぎていき、碧の背中は小さくなる。
碧が角を曲がって見えなくなっても、俺はそこから動くことが出来ずにいた。
追いかけなきゃ、引き止めてちゃんと話さなきゃ、頭ではそう理解しているのに足が縫い付けられたように動かない。
繋いでいた手の温もりが僅かに残っている気がして、それが余計に苦しかった。
どうして
何がダメだった
俺、何か碧にしてしまっただろうか
ぐちゃぐちゃになった思考の中を回っているのは、出会ってから今までの碧との思い出だった。
_二年前の四月
志望校に合格し、晴れて高校生となった俺は期待と不安が入り交じった複雑な気持ちを抱え、桃色の 絨毯を踏みしめながら門をくぐった。
入学式も終わり、校庭に張り出されたクラス表で自分のクラスを把握するとすぐに校舎へと向かう。
校舎の造りは中学校と全く違い、広いのもあり校内地図を見ても自分の居場所すら分からず、クラスへ向かうのに余計な時間がかかってしまった。
二階へあがり地図と教室を見比べ目を凝らすこと数分、『一年三組』とかかれた教室プレートを見つけ、安堵しつつ早歩きで入ろうとした時
ドンッ
ちょうど教室から出ようとしていた人と見事に正面衝突。 体格差もあり、ふらついた俺は為す術もなく床に尻がぶつかり鈍い音を立てる。
瑞稀
「ッ、た……」
???
「っわ、ごめん大丈夫?」
上から聞こえた低い声に、俺は咄嗟に顔をあげる。
瑞稀
「大丈夫で──」
時間が止まったような感覚がした。彼の吸い込まれそうな青色の瞳と視線が絡んだ瞬間、俺の体は金縛りにあったように動けなくなった。
一目惚れだった。
心配そうに顔を覗いてくる彼と目が合わせられなくて俯く。我ながらものすごくダサい格好だなと思うし、相手に気を使わせてしまっているのも合わさって顔が熱くなるのが分かった。
碧
「立ち上がれそう?」
瑞稀
「えぁ、だ、大丈夫ですほんとに!こっちこそごめんなさい、ッ…」
周りの目も引き羞恥心が限界まで募ったところで、俺は早口で謝ると彼を押しのけるようにして教室に入った。
幸か不幸か、番号順だった席は碧と隣で、初めて自分の運を呪ったと思う。
身長も相まって話しかけずらい印象を碧に抱いていたが、いざ話してみると案外趣味なども合い、連絡先を交換するほど仲良くなっていた。高一の夏休み前、いつの間にか隣にはいつも碧がいて高校生活の大半を一緒に過ごしていた。
ある日の放課後。誰もいなくなった教室で二人、最終下校時刻まで窓際に座って談笑していた時、不意に碧が口を開いた。
碧
「瑞稀ってモテるじゃん。結構告白とかされてるらしいし。でも断ってんだよね、それってなんで?」
まるでさっきまでの話の延長線上だとでも言うように碧の声色は全く変わらず、淡々と語る碧の目を俺はなんとなく直視できなかった。
瑞稀
「なんで……うーん…。」
本人にそれを聞かれると、やはり動揺する。碧にも、不自然なくらい目が泳ぐ自分が映っていたと思う。 碧には言っても引かれたり否定されたりしないのではと思った。俺がゲイだってこと。
瑞稀
「……俺さ、同性愛者なの。ゲイ。」
碧
「………。」
案の定沈黙が落ちる。碧はびっくりしたように目を見開いていた。静寂が長引くほど心臓は速くなり、言わなければよかった、困らせてしまったと自己嫌悪が襲いかかる。
瑞稀
「……変なこと言った。忘れて。」
碧
1,046
「好きな人っているの。」
はぐらかそうとしたとき、碧が口を開いた。いつも通りなのに、妙に真剣に映って。
瑞稀
「…いる、いるよ。好きな人。」
碧
「誰?どんなやつ。」
ここで隠しておけば、この関係は壊れずに済む。碧にいちばん近いところにいるという肩書きも失わないで済む。
だけど、もう誤魔化したくなかった。
瑞稀
「……碧。好きな人碧。」
再び訪れた沈黙。時計の秒針が時を刻む音だけが耳に残る。碧はしばらく黙ったあと、ふっと笑みを零した。
碧
「…まじか。」
夕陽に照らされた横顔を見ると、碧の耳はほんのり赤く色づいていて。
碧
「……俺も好き。ずっと意識してた。」
瑞稀
「……は…。」
その言葉が耳に届いた瞬間、視界がどんどんぼやけて熱い雫が絶え間なく頬を伝った。
碧
「好き…だってば。泣くな泣き虫。」
瑞稀
「だ、だって、だって、ッ、」
そう言いながら目尻を拭ってくれる手はどこまでも優しくて、また気持ちが溢れ出す。好きな人と結ばれるってこんな幸せなのかと強く思った。
瑞稀
「……あー、水族館行ったなぁ……。」
家に帰ると、親に「晩飯いらない。」とだけ言い捨て自室に籠った。別れ際、母親の心配そうな顔が視界の端に映ったのを見てしまった。私情でこんな素っ気ない態度をとってしまって本当に申し訳ないと思うが、それ以上に碧と別れ心に空いた穴があまりにも大きすぎてどうしようもならなくて、小さな気配りも出来ないほどに落ち込んでいた。
瑞稀
「ぬいぐるみ買ってくれたな……俺はキーホルダーとハンカチ渡して…喜んで……くれて……」
ベッドに寝転がり布団を深く被ると、ずっとスマホのフォルダや碧とのチャット履歴を遡っていた。皮肉にもフォルダは碧との思い出ばかりで、思い出す材料が増える度に苦しくなるのに目は離すことが出来ない。
瑞稀
「碧……なんで、なんで、ッ……あお、」
何か気に障るようなことをしてしまったのか。目を閉じ考えても何も答えは出ず、浮かぶのは思い出だけ。何をするにしても辛くて寂しくて悲しくてやる気が出なくて、それがとてつもなく悔しくもあった。
スマホの画面が涙で滲む。スクロールする指先も震えて、何度も誤タップした。
『今ひま?会えたら会お。』
『電話できる?声聞きたい。』
『明日の帰りコンビニ寄ってアイス買お、暑い。』
どうでもいいやり取りばかりなのに、全部が愛おしいくて苦しい。
瑞稀
「ッ……う、ッ……。」
喉が詰まって息が上手く吸えない。 こんなに好きなのに。大切だったのに。
『好きか分からなくなった』
その言葉だけが頭の中で何度も反響する。
その時、不意にスマホが震えた。反射的に飛び起きる。画面に映った『碧』という名前を見て、涙を拭う暇もなく通話ボタンを押す。
瑞稀
「ッ、ぁ、碧?」
碧
「ごめん寝てた……?」
掠れた低い声。いつもと変わらないその声を聞くだけで、また涙がとめどなく溢れ続ける。
瑞稀
「…なん、で……。」
碧
「……ごめん。」
返ってくるのは謝罪だけ。でも俺が欲しい言葉はそんなものじゃない。
どうして別れたのか、本当に好きじゃなくなったのか。聞きたいことは山ほどあるはずなのに、声にならない。
沈黙の後、碧がぽつりと呟いた。
碧
「瑞稀は、悪くないから……。」
その一言が余計に苦しかった。
碧の声が震えているように聞こえたのは、気のせいだろうか。会って話したいのにそれも叶わない。