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あの日以来、れてんの体内時計は狂ったままだ。昼夜の区別もなく、ただ窓を閉め切った暗い部屋で、彼は自分の輪郭を確かめるように体を丸めている。表向きは、相変わらずの「れてんジャダム」を演じていた。カメラが回れば、彼は神経を極限まで削りながら、あの気怠げで毒のある言葉を紡ぐ。視聴者は誰も、彼の瞳の奥に張り付いた死んだような影に気づかない。
だが、録画停止のボタンが押された瞬間、魔法は解ける。
魔法が解けたあとに残るのは、ただの「壊れた子供」だ。
「……れてん、飯。お前、昨日から何も食ってねーだろ」
ジャダムが背後から声をかける。かつてなら「うるせーよ、後で食うわ」と返せていたはずの距離。しかし今、れてんの背中には電気的な戦慄が走り、喉の奥がヒュッと鳴る。
「っ……あ……」
れてんは反射的に肩をすくめ、耳を塞ぐようにして自分の頭を抱え込んだ。
ジャダムはその様子を、冷え切った目で眺めている。かつて、あの凄惨な撮影現場でカメラを回し、れてんが蹂躙される様子を「最高のエンタメ」として記録していたその瞳だ。
「……触らねーよ。そんなに怯えんな」
ジャダムが溜息をつきながら、コンビニの弁当を机に放り出す。
れてんは、彼が近づいてくるだけで、あの夜の「匂い」を思い出す。香水の甘ったるい匂い、男たちの低い笑い声、そして、自分を押し潰した暴力的な肉体の質量。
ジャダムはあの日、れてんを「助けなかった」。
それどころか、れてんの尊厳が徹底的に破壊される瞬間を、最も近くで楽しみ、記録した「共犯者」だ。
普通なら、顔を見るのも耐えられないはずだ。解散して、縁を切って、警察に駆け込むのが正常な判断だろう。
だが、二人の関係は、そんな単純な理屈では説明できない場所にまで墜ちていた。
「……ジャダム。……お前、次は何を撮るつもり?」
震える声で、れてんが問いかける。
ジャダムはニヤリと、歪んだ笑みを浮かべた。
「何も。お前が一人で壊れていくのを撮るだけでも、十分すぎるくらい価値があるからな」
れてんにとって、ジャダムは「恐怖の象徴」でありながら、同時に「自分を唯一理解する者」になってしまっていた。
あの日、最悪の姿を全て見せ、無様に泣き叫び、屈服した。その自分を、ジャダムは丸ごと「肯定」してくれた。狂った形ではあるが、彼はれてんの欠落を「面白い」と受け入れたのだ。
一方のジャダムもまた、れてんに依存していた。
れてんが震えるたびに、ジャダムは自分が「強者」であることを実感できる。家事もせず、世間を斜めに見ることしかできない空っぽな自分が、この「繊細で美しい天才」の生殺与奪を握っているという全能感。
れてんがいないと、ジャダムは自分の存在意義を見失う。
ジャダムがいないと、れてんはあの日起きた「現実」を抱えきれずに発狂してしまう。
「……ジャダム、いなくなるなよ」
時折、パニック発作の最中に、れてんはジャダムの服の裾を掴んで泣きじゃくる。自分を蹂躙した環境を仕組んだ張本人に対し、彼は助けを求める。それは、ストックホルム症候群という言葉すら生ぬるい、魂レベルでの共依存だった。
「当たり前だろ。お前が完全に壊れるまで、俺がずっと見ててやるよ」
ジャダムの手が、れてんの腫れぼったい瞼を優しく撫でる。
れてんはその手の温もりに、吐き気と安心を同時に感じていた。
「……死ねよ、マジで……」
れてんの口癖は、もはや他人への攻撃ではない。自分を縛り付けるこの歪な絆と、逃げ出す勇気すら持てない自分自身への、弱々しい鎮魂歌だった。
二人は、誰にも知られない檻の中で、互いを食らい尽くしながら生きていく。
外の世界では「仲の良いコンビ」として、カメラの向こう側に虚像を垂れ流しながら。
そこにはもはや、友情もビジネスも存在しない。
ただ、冷たい殺意に似た愛と、終わることのない後遺症だけが、二人を永遠に繋ぎ止めていた。