パラパラとページをめくっていく。
できれば同じような職種がやりやすいだろうと、飲食関係を見る。
「調理師免許が必要かぁ。一応あるけど今はまったくキッチンに立っていないからなぁ」
じゃあ、職種を広げて営業職は?
基本給は低いが、頑張り次第で高給が望めます?ってことは売り上げがないと、たったこれだけしかもらえないということか。
技術職はまったくの未経験だし、工場勤務は夜勤があるし、接客だと今の会社の方が給料がいい。
_____転職は難しいな
俺という人間の価値がこんなに低かったのかと、落ち込んでしまう。
さっさと離婚して自由な暮らしを満喫するつもりだったのに、これでは日々の暮らしも満足にできないかもしれない。
_____どうする?退職は避けるか?
ひとまず、会社に残る場合、どれくらいの条件になるのか確かめることにした。
◇◇◇◇◇
次の日、電話してきた常務のところへと出向いた。
「常務、昨日の話なんですが……」
「決まったか?」
「えっと、会社に残る場合、どのような雇用条件になるのか知りたいんですが」
「正式な計算はまだされてないが、給料は今の3分の2程度、勤務時間は今より長いが残業になっても手当はつかない。どれくらい効率よく回転させられるか、にかかってくる」
やはりそうなるか。
「すみません、もう少しだけ考えさせてください」
「あまり時間がないぞ、店長として入れるのはあと一店舗だけだからな。他のやつが先にやると言えば、お前の席はなくなる。早く返事を頼む」
「わかりました」
今の3分の2くらいなのに、勤務時間は増える……。
頭の中でざっと想像してみたけれど、余裕なんかまったくなくなる。
慰謝料と養育費について、杏奈はどれくらいだと考えているのだろうか。
きちんと話し合わないといけない、それはわかっていたけれど、杏奈に譲歩してもらわないと生活が成り立たないなんて、我ながら情けない。
_____そもそも、俺が浮気したのは杏奈にも原因があるのに
俺だけが負担するのか?
釈然としないものがあるけれど、現状を話してなんとかしよう。
憂鬱な気分で杏奈に電話をする。
『はい』
「あ、俺。あのさ、離婚の条件の具体的な話……なんだけど」
『……はい』
「慰謝料って払う必要ある?」
『えっ!』
そこで杏奈の返事は止まった。
「別に弁護士がいて、そう言われたわけじゃないんだろ?」
『それは……』
「まぁ、うちの金はほとんど杏奈が管理してるんだし?いくら払えるかくらいわかると思うけど。俺が浮気したのだって原因は杏奈にもあるんだし」
『…………』
何も答えない杏奈に、畳み掛けるように話を続ける。
『いらないよな?ってかそんな余裕ないよな?うちの家計』
「待って。弁護士さんに聞いてみる」
『は?そんなことしたら余計に金がかかるんじゃないの?弁護士費用って高いんだろ?』
「……ご心配なく。そういう相談に無料で対応してくれるところもあるみたいだから。わかったら連絡します」
そこでプツッと切れた。
_____え?弁護士とか入ったらヤバいんじゃないのか?
下手すると、下がってしまう給料までも差し押さえられるかもしれないじゃないか!
「いや、待て」
落ち着くために自分に向かって話す。
そもそも、ハッキリとした証拠はないんだし、家を蔑ろにしたというほどのこともしていない。
強いて言えば、圭太の怪我くらいか?
「だとすれば慰謝料はそんなにいらないだろ」
誰に言うわけでもない独り言を繰り返す。
自分の行動を思い返して、もしも弁護士が入っても不利にならないように手を打っておかないと。
「何をブツブツいってるんですか?」
声をかけてきたのは、紗枝だった。
「えっ、あ、なんでもない」
ここは非常階段の踊り場で、まだ会社の中だったということを忘れていた。
紗枝とはなんの後腐れもなかったのにと思い、あらためて紗枝を見る。
「こんなところで黄昏ちゃって。アレですか?リストラ候補とか?」
「まぁ、色々とね。それより君はリストラの話はなかったのか?」
「その話が出る前に、退職を申し出てたので。今日が最終日です」
ほら、と見せてきた紙袋には、机にあった私物が入っている。
「うそ、知らなかった」
「会社の人員整理の波に隠れて、そっと退職しようと思ってたので。みんなは早期退職だと勘違いしてますけど」
「そっか、自己都合ってやつか」
「……というか、寿?」
「えっ!うそ!じゃあ送別会とかしないと」
「そういうのが嫌だから、こそっと退職するんですよ」
「あ、まぁ。へぇ、幸せにね」
記憶を辿れば、あの夜の紗枝を思い出すことができるけど、それはもうずっと昔のことのようで現実だったかどうかも確信がない。
「私は大丈夫ですよ。それより、岡崎さんこそ、何かあったんですか?ずっとヨレてますよ」
「ヨレてるって……」
「もしかして、浮気がバレて奥さんが出て行ったとか?」
周りを気にして小声で言う紗枝。
非常階段には他に誰も見当たらないけれど、こういうちょっとした気遣いが、京香と違うところだ。
「まさかそれは私じゃないでしょ?悪い女にひっかかったんですね、なんて私が言える立場じゃないけど」
「そ、そうだよ、付き合ってる人がいるならあんなこと……」
「あー、あれは彼氏が他の女に目移りしてたから、仕返しに私もしてやったまで。特に意味はなかったんです」
「そんなことしたら、喧嘩になったりしたんじゃないのか?」
「バレてないもの」
あっけらかんと言う。
「でもね、“私は知ってるんだよ”って言ったら、即謝ってきたから“まぁいいか”って。最初に知った時は怒りの感情をなんとかしたくてあんなことしたけど、私の中ではこれでおあいこ。アレはなかったことにしてある」
アレとは俺とのことだろう。
「でも、もしも俺が婚約者にぶちまけたら?」
「してみたら?なんの証拠があるんです?ただの頭のおかしなおじさんとして通報されますよ」
_____そうだった
紗枝とのことは、まったくなんの痕跡も残っていない。
「私のことなんかより、早く奥さんと仲直りしたらどうです?どうせ変なプライドで謝ってもいないんじゃないんですか?」
「………」
図星で何も言えない。
「悪いことをしたと思うなら、まずは謝りましょうよ。ほんとに奥さん、というか家族が大事なら、まずは謝らないと。それからですよ色々話し合うのは。
「いまさら謝ったって……」
「はぁ、やっぱりそうだったんですね」
ため息混じりの紗枝の言葉が、じわりと刺さる。
「すぐに謝ってたらもしかしたら、最悪の事態にはならなかったかも?ですね。
奥さんだって、一回くらいは許してくれたかもしれないのに、もう遅いかな?岡崎さんって、そういう相手の気持ちを全然考えてなさそうだし」
俺よりずっと年下の紗枝に説教されてるようで、なんだかとてつもなく居心地が悪い。
「まぁ、岡崎さんの魅力は奥さんあってのものですから、独身になるとヨレヨレですよ。捨てられないように頑張ってくださいね!じゃ」
言いたいことを全部言うと、荷物を持って行ってしまった。
_____謝る?
そういえば杏奈に対して、“ごめん”と一言も言っていなかった。
まずは謝る、仕事でも何回も口にしたことなのに。
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